3.8「クライマックス」という言葉は忘れたほうがいい

CUNNINGステップ

「クライマックス」という言葉は、人によって、定義や認識に幅があり過ぎる。こういう言葉は、ぼくは苦手だ。というか、あまり良い思い出がない(似たような言葉に「プロット」や「文章力」がある)。

定義を引いてみると、

クライマックス

緊張などが、極に達した状態。最高潮。やま。

▷ climax

(引用:Oxford Languages)

とのことだが、これって物語の「どこ」に当たるのか、説明できる人は少ないと思う(ちなみに、ぼく自身も説明できない。そもそもどういう定義が共通認識になっているのか、よくわかんないんだもの)。

合評会で「クライマックスが弱い」と言ってくるやつに、「思うんだけど、クライマックスってなに? どこ?」と聞いても、おそらく、「それは一番の山場で……」以上のことを、答えてくれないだろう。無知を晒すのは嫌なものだ。

勿論、「だからさ、クライマックスって、物語のどこ? 何をやるとクライマックスなの?  一番の山場ってどこ?」などと追い打ちをかけてはいけない。そいつは答えなんて持っちゃいないし、全員が答えられなかった場合、あなたが悪者にされてしまう。あの空気は本当に居づらい。

『タイタニック』のクライマックスってどこ? と聞いて、同じ答えが返ってくるようなら、ここまで苛々させられることもなかっただろうが、実際、答えは人によって違う。

プロットポイントⅡで、ローズが救命ボートを降りるシーンかもしれないし、ジャックがローズを、ドアの上に上げるシーンかもしれない。

もしかすると、ジャックが冷たい海に沈んでいくシーンかもしれないし、年老いたローズがどこにでも持っていくという写真が、船を降りたらジャックとしたかったことだと判明する、あの眠りのシーンかもしれない(エモいって言うの? すごいよね)。

ともすれば、貧困層の服装をしたジャックと、時計台の前で会うラストシーンのことかもしれない。あの場所であの格好のジャックと出会えるのは、夢の中だけなのだ!

下手をすれば、第二幕の後半、ローズが手錠をはめられたジャックを助けに行ったシーンすら、候補に挙がって来るかもしれない。

第二幕前半で、ローズがタイタニック号の先端で両腕を広げるシーンをクライマックスだといわれたら、それはもう悪夢だ。『タイタニック』のような感動モノでこれである。

『マトリックス』のような物語の場合、どこがクライマックスなんだ? 緊張そのものが一番高まるのは、モーフィアスのプラグを抜き、現実の世界で命を奪うかの選択を迫られるシーンだ。これと、『タイタニック』のどのシーンが、共通するっていうんだ?

プロットポイントⅡでネオがヒーローであることを選択したけれど、盛り上がりが最高潮かっていうと、まだまだだろ? 盛り上がるってだけなら、ネオとスミスの一騎打ちだって、弾丸を避けるあのシーンだって盛り上がるじゃないか。CMにまで使われた、見どころなんだから!

クライマックスという言葉は、所詮そんなものなんだ。言葉があっても、その中身は幅がありすぎて、空洞化してしまっている。少なくとも、「パラダイム上ではここ」と明確に言える場所は存在しない。精々「プロットポイントⅡあたりからEDまでの、どこかしらにあると言われている」程度の話でしかない。

あなたはインサイティング・インシデントやプロットポイント、文脈、サブコンテクストと、物語を構成する要素を学んできた。ぼくが創作系のハウツーで『クライマックス』という言葉を見るたび何とも言えない気分になっているのを、今ならわかってもらえると思う。

「物語の終わりの方のどこかしらにある、物語が一番盛り上がる場所」。こんな頼りないもので、一体何をしろっていうんだ? そして、こんなものの何が物語を書かせてくれて、面白くしてくれるんだ? 

クライマックスという言葉は、忘れた方がいい。少なくとも、書くためのツールとしてはマジに機能しない。

それにあなたはもう、『クライマックス』なんて頼りない言葉を使わなくても、シーンを説明できるはずだ。「『心の暗闇』のすぐ後で~」とか、「第三幕に入ってすぐ~」とか。

何なら、パラダイムを書いて、「第三幕のこの辺」とボールペンでグリグリ点を打ってもいい。「ぼくの物語はここで一番盛り上がります」と言う方が、よっぽど具体的だ。

構成を学ぶにつれ、この言葉を使う機会は減って行くと思う。誰かと創作の話をするときに「クライマックスという言葉を使ったほうが伝わりやすいとき」くらいじゃないかな。そんな風に自然と、使うこともなくなっていくよ。

元々、大した言葉じゃないんだ。後の章で詳しく話すけれど、観客や読者は、クライマックスを観に来ているわけではないしね。

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