3.2補足:「窮屈と不自由」こそ、構成で得たかったもの

ADVANCEステップ

今回は、これまで学んできたADVANCEステップの内容に関して、ちょっとした補足を入れるよ。

発展形のパラダイムに必要な要素を見つけていく順番

BASICでは、物語の要素を決めていく順番が大切だと、口を酸っぱくして言っていた。それは、パラダイムを発展させていく上でも変わらない。全体を決めて、部分を明らかにしていく。

『マトリックス』のパラダイムを実際に発展させていくときの、思考の流れを追ってみよう。

まずは、ミッドポイントを決める。物語は、ネオが予言者と会う前後で、二つに分かれている。

そこから、今度はサブコンテクストを割り出す。分割された第二幕は、どんなサブコンテクストを持っているだろうか?それは、ネオが他人の言葉で自分を信じている姿と、そんな自分すら信じられなくなった姿である。

ミッドポイントが正しかったことは、第二幕全体のサブコンテクストからもわかるし、分割された後の、前半後半のサブコンテクストを見比べても、描かれている内容は、きっちり分かれている。問題なさそうだ。

そこからさらに、ピンチⅠ、ピンチⅡを決める。第二幕前半は、「救世主の捜索は終わった」と告げられることで、次のステップへ移行する。ここがピンチ2で、救世主であることを告げられなければ、ネオが予言者に会ったところで、意味をなさない。中継地点として、物語が脱線しないよう、がっちり押さえつけてくれている。

ピンチⅡは、ネオたちが襲撃を受けるシーンだ。逃げていく中で、モーフィアスが身代わりになってしまった。自分が救世主でないと言い出せなかったばかりに、こんな事態を招いてしまった。何とか逃げ切れたが、裏切りものは、一足先に現実世界へ帰ってしまった。そして仲間が次々と、現実世界で命を奪われていく……。

こんな感じで、パラダイムを埋めていく。こうやって考えていくとずいぶんはっきりと、この作品について、わかってきた気がしないかい?実際、わかってきているんだ。

新しいシーンを思い付いたって、どこに入れればいいか、手がかりは沢山ある。パラダイムを細分化していく上で、抽象度の高かった文脈から、サブコンテクストへ、さらに細かいサブコンテクストへ……、と、内容が具体的になっている。「○○という内容について書く」から、「○○が○○するまで」という形に変わっているんだ。

あとは、ここにシーンを入れていく。シーンをプロットにしていくときのカードの書き方については、そのステップに入ってから、詳しく解説するよ。

発展形のパラダイムに必要な要素を、どうやって判断していけばいいのか?

シド・フィールドが推奨するやり方は、まず、各要素の間の、中心となる出来事を探すことだ。

それは『タイタニック』のように物理的に大きな動きを起こす物でもいいし、『マトリックス』のように、精神的なものであってもいい。大切なのは、物語を、そのシーン前・そのシーン後に分割している出来事がどうかだ。

中心となる出来事を決めると、大きなサブコンテクストが、2つに分割できる。

次はそのサブコンテクストを2分割する、中心となる出来事を探す。これを繰り返すことによって、その物語における「どこに、何を書くべきか」は、いくらでも細分化して、探っていくことができる。

ミッドポイントは、物語の中心的な出来事であり、物語を「ミッドポイント以前・ミッドポイント以後」に分割する。

ピンチは、ミッドポイントによって生まれたサブコンテクストの中心となる出来事だ。

そこからさらに小さなサブコンテクストを探っていくこともできるし、そこにはもう、「○○から○○するまでのシーンが入る」以上の言葉が当てはまらないこともある。

ミッドポイントは、物語の真ん中ごろにある。映画を観る時、再生時間のスライダーを、真ん中に持ってきてみるといい。誤差はあるが、ミッドポイントにあたる出来事は、真ん中に周辺来ていることが多い。

そうして前後に分割された第二幕のサブコンテクストに、内容を端的に表す、的確な言葉を入れるのが重要になる。

同じように、ピンチも、ミッドポイントとプロットポイントの真ん中ごろにある。

これは別に不思議なことでも、作為的なことでもないよ。これは単に「そのシーンに向かうまでと向かった後」で、サブコンテクストが分かれているからだ。

山に登ったら、同じだけ降りることになる。山頂がピンチになっている、というわけ。山を下りたら、すぐに別の山に登り始める。ミッドポイントも同じように、山頂に向かうまでと同じだけの時間、山を下りるのに使うんだ。だから自然と、尺の真ん中にミッドポイントが来る。

「尺」という面からでも、「物語の中心となる出来事」という面でも、正しく捉えられているなら「危険度が一段階アップする」でもいい。別に、文脈の切り替え時から判断してもいいんだ。わかりやすい方法で、ミッドポイントとピンチを見つけ出してみてほしい。

あなたが読者に見せなきゃいけない要素は、こんなにもたくさんある

思い付いたシーンを入れる場所は、思ったよりも自由が利かない。というより「もともとその場所にあるべきだったということを、パラダイムを見てあなた自身が気づいた」というのが正しい。

思いついたシーンは、元々あなたの物語のどこかしらに存在していたのだ。文脈やサブコンテクスト、時系列によってふるいにかけた結果、収まるべき場所に収まった、と言うべきかもね。

大切なことを言おう。物語は、シーンで見せるものだ。「ここからここまでは、このサブコンテクストについて書く」と決めてから、そのサブコンテクストをどんなシーンに変換して見せるか決めることで、パラダイムは力を発揮する。

思い付いたシーンを、パラダイムのどの空間に入れるか。それはわかった。今度は、「そのシーンに至るまで、どんなシーンが必要か」を考えていかないといけない。勿論、文脈、サブコンテクストに合致した内容でだ。

ピンチまで細分化されたサブコンテクストに合致する内容を、上位のサブコンテクスト・文脈にも合致するか確認しながら、かつ、その過程をシーンで見せる。そんなことをやっていると、シーンは山のように必要になるんだ。

実際、『マトリックス』の第二幕前半は、予言者に会うまでに見せておかないといけない情報を、片っ端から詰め込んでいる。

それがピンチ1まで、ミッドポイントまで、プロットポイントⅡまで、と続いていく。

第二幕でネオがモーフィアスと戦闘訓練するけれど、その前に、ネオが今までいた、仮想現実の世界の説明を、しなきゃいけないだろ? それをシーンに変換して見せるだけでも、目覚めたネオ、首元のプラグ、マトリックス内とは違う、くたびれた服を着たクルーたち、仮想世界への入り方など、結構な尺が割かれている。

情報をシーンに変換して見せること。世界の情報、キャラの情報、現在の状況の情報、色々な情報が、あなたの頭の中にはある。パラダイムのサブコンテクストを左から順にシーンに変換していくだけで、書くべきシーンは実はパンパンなんだ。

予言者に会うまでに観客に知っておいてほしいことは山ほどあって、映画は120分しかない。トリニティと射撃訓練している暇はないし、月に一度の「ドロドロでべちょべちょでない良い食事」を楽しんでいる場合ではない。使える尺は決まっていて、その中で、シーンたちは熾烈なポジション争いをしているんだ。

あなたの物語だってそうだ。

例えば、第一幕を考えてみよう。ノートや設定集に書き連ねた、「物語の本筋が始まる前に知っておいてほしい設定や状況」を、全部シーンで見せなきゃいけない(見せなくてもいいけど、味気ないよ? ナンカチガウって思ってしまう)。オープニングでスタートした物語をインサイティング・インシデントで引っ張りながら、プロットポイントⅠ、それが終わったらピンチⅠ……。

文脈とサブコンテクストの中身を回収しながら、その上で、次のポイントに繋がるシーンを作って行く。こんなことをしているとあっという間に、書くべきことでいっぱいになる。正直、第一幕で説明しておきたい設定をシーンに変換しただけで、嫌になるくらいの量になる。

『タイタニック』で、ジャックとローズが出会うまでに、どれだけのシーンが必要だったか、考えてみてよ! ローズの設定、ジャックの設定、タイタニック号の設定、各々が船に乗ることになった経緯……。

貧困層のジャックが船に乗る理由だって、ローズと出会ってからいきなり「ポーカーで勝ったんだ」じゃ、いくらなんでもぶつ切り過ぎるよね。「もっと前に、自然な形でこの情報を見せて置きたかったのに……」と、もやもやすることになってしまう。

「貧困層のジャックがタイタニック号に乗れた理由」という設定を、シーンで見せるとは、こういうことなんだ。ポーカーで乗船券を手に入れたなら、それをシーンで見せなくちゃ!

こんなのいちいちやってたら、シーンがいくらあっても足りない気がするだろ? 実際その通りだなんだ。

同じように「ミッドポイントまでにやっておかなくちゃいけないことが、山ほどあるじゃないか!」バージョンや、ピンチ、エンディングバージョンもある。嬉しい悲鳴だよね。

然るべき場所ににシーンを配置できるようになると、あなたに変化が起こる。「何を書けばいいかわからない」と、無限にあったような気がする空間が、思った以上に、良い意味で窮屈だったことに気づけるんだ。

書くべきことがたくさんあって、その場所も決まっていて窮屈だということは、「どこで、何を書くか」が決まっているということ。やることがあるからこそ忙しい。つまりそれは、「次に何を書けばいいか」はっきりしていて、書けるということなんだ!