4.1カットすべきシーンと、そうでないシーンの見分け方

ADVANCEステップ

この件についても触れておこう。「カットすべきシーン」と「カットしないべきシーン」は、どうやって見分ければいいのだろうか? それに関する、明確な基準というのはあるのだろうか?

創作ハウツーではよく「不要なシーンをカットせよ」と言われる。カットしてカットして。物語は洗練されていくと。

全く持ってその通りだ。だがその現象について、サブコンテクストを知ってもらえた今なら、きちんと根拠を以て説明することができる。

BASICステップで、目玉焼きの話をしたよね。殺人事件が起こったのに、「目玉焼きにかけるのはソースかしょうゆか」なんて話をしている場合ではない。では、どうして目玉焼きの話をしている場合ではないのか。それは、文脈、サブコンテクストに、関係しないからだ。

文脈やサブコンテクストに関係しないシーンがそのまま、カットすべきシーンになる。

  • 文脈やサブコンテクストに関係しないシーン =カットすべきシーン

書くべきシーンは文脈とサブコンテクスト、つまり、パラダイムに関係したシーン。書くべきでないものは、物語を前に進めず、そのどちらにも関係しないシーンである(人物について描写するシーンは必要だ。これについては、また然るべきタイミングで話すよ)。

殺人事件の推理という葛藤に、目玉焼きに何をかけるかは関係しない。ピンチⅠが何かは作品によるが、そこに到達するまでにも、おそらく目玉焼きは関係ないだろう。もちろん、目玉焼きにソースをかけるかしょうゆをかけるか、この話題がピンチⅠに繋がるのなら、それは書くべきシーンとなる。

サブコンテクストが明確になると、どこになにを書くべきで、何を書かないべきか、見分けることもできるようになるのだ。

文脈に関連して、また、スティーヴン・キングに出てきてもらおう。こんな話(king 2000: p. 302)がある。

キングが『骨の袋』という小説の初稿を書き上げたとき、奥さんに読んでもらった。その時書いていたのはマイクという作家の話で、妻を脳動脈瘤で亡くした所から、物語がスタートしていた。奥さんが問題にしたのは、分量にして2ページほど。主人公が妻を亡くして悲しみのあまり書けなくなり、地域のボランティア活動に従事するというくだりだった。

「そんなこと、どうだっていいじゃない。私が知りたいのは、マイク・ヌーナンの悪夢のことよ。町から酔っ払いのホームレスを一掃するために、市議選に打って出るって話じゃない」。キングは、マイクが小説を書けなくなっていること、それが一年以上続くかもしれないことを伝えてから言った。「だとしたら、そのあいだ、何かをしていなきゃいけないだろ」。すると奥さんは言った。「それはそうかもしれないけれど、だからといって、読者が退屈しなきゃいけないってことにはならないわ」。

結局、キングはボランティア活動の部分を、2ページから2段落に変更した。『骨の袋』は三百万部売れたそうだが、読者からの手紙の中に「マイクは書けなくなった一年の間、地域でどんなボランティア活動をしていたかわからないじゃないか、この間抜け野郎!」というものは、一つもなかったそうだ。

これは、サブコンテクストに関連していないからカットされた、良い例だと思う。

言語化こそしていないが、読者や観客は、知らず知らずのうちにサブコンテクストを感じ取っている。そして、それに対応した内容を期待して読み続けるのだ。サブコンテクストに関係しないシーンや文章は、「知りたいのはそこじゃないわ」と言われてしまうよ。