今回は後編。構成の視点から『マトリックス』を確認していくよ。ここまで何度も引き合いに出してきた物語だから、その正体をはっきりさせておこう。
映画自体も本当に素晴らしいから、是非見てほしい。
構成の視点から、『マトリックス』を見る
ということで、まずは予告編。こういう形で紹介しているけれど、あくまでイメージを掴む以上のことはできないから、必ず本編を視聴してね。
で、次にパラダイムを確認しよう。
これをベースに話を進めていくよ。
OP(オープニング)
オープニングで通信を逆探知されたヒロイン、トリニティが地元警察とエージェントに襲われる。スローモーションの戦闘、道路を挟んだビルをジャンプで飛び越えて、反対側のビルへ。電話ボックスに逃げ込んだトリニティと、そこに突っ込んだトラック……。
素晴らしいオープニングだ。この物語がどういうものか、端的に、視覚的に見せている。
居眠りしていたネオ(これはハッカーとしての名前で、本名がトーマス・アンダーソン)が目覚めるわけだけれど、実は、すでにここに来る前の段階で、インサイティング・インシデントを見せ終えている。
トリニティを取り逃がした際、エージェントたちは言う。「逃げられたな」「気にするな」「情報は正しかった」「次のターゲットもわかっている」「名前はネオだ」「早急に検索してくれ」「もう始めてる」。初見だと中々気づかないのだが、これによって物語が動き始めている。
居眠りから覚めたネオは、自分のパソコンに妙なメッセージが送られていることに気づく。
『白ウサギを追え』
なんのことだ? 追加のメッセージがくる。
『コンコン』
まるで見ていたかのようにドアがノックされ、ハッカーとしてのネオの顧客がやってくる。そして、パーティに誘われる。一度は断るネオだったが、彼女の方に、白ウサギのタトゥーがあるのをみて、気を変える。そしてパーティー会場で、トリニティの接触を受ける。
「危険が迫ってる」
トリニティはネオに警告する。何故か? それは冒頭で、通信を盗聴されたせいだ。エージェントたちも、次のターゲットはネオだと言っていた。インサイティング・インシデントが、既に物語を動かしている。
身に迫る危険にネオがどう対応するかという行動を見せながら、状況設定が進んでいるわけ。それがプロットポイントⅠまで続く。ネオの身に危険が迫ることになった原因、物語に「ネオの身に迫る危険への対応」という動きを与えたのは、オープニングの一連のシーンだ。
PⅠ(プロットポイントⅠ)
物語はプロットポイントⅠまで進み、モーフィアスがネオに選択を迫る。赤い薬を飲んで真実を知るか? それとも青い薬を飲んで、すべてを忘れ日常に戻るか?
ネオは赤い薬を選択する。そして、マトリックスというコンピューターによって作られた仮想世界から、現実の世界へ脚を踏み入れる。こうして第二幕に突入する。
第二幕でネオは、モーフィアスたちに機械から人類を開放する「救世主」だと言われ、めきめきと力をつけていく。しかし、予言者にそうではないと言われてしまう(厳密には、ネオ自身が、「自分は救世主ではない」と申告しているのだが)。
そして、裏切者の手によって、ネオたちは危機に陥る。奴らの狙いはネオだ。モーフィアスはそれを信じていて、ネオの身代わりとなって、エージェントの前に姿を現す。ネオは言う。
「違う! 違うモーフィアス! 違うんだ!」
仲間に連れられて、ネオはマトリックスを脱出して、現実世界に戻る。モーフィアスはエージェントに捕まった。
モーフィアスが受けているのは精神へのハッキングで、人類の本拠地へのアクセスコードをエージェントに知られるのは、時間の問題だ。そうなれば、人類は機械に敗北する。現実世界でモーフィアスを殺せば、コードが漏れることはない。
自分がヒーローであることに実感がわかない、いまいち気乗りせず、周りの言葉で自分をヒーローだと思ったり、思わなかったりする。気乗りしないヒーローの姿が、第二幕では描かれる。
ちなみに第二幕の最初、ネオはモーフィアスに、人類は機械によって支配されているという現実を知らされる。これは状況設定ではないのか? と思うかもしれないが、これは『葛藤』の一つだ。
確かにモーフィアスは「説明」をしているが、この現実は、ネオが最初に乗り越えるべき試練でもあるのだ(「面白くするための書き方」の方から根拠を引くと、「あ、これはどこからどう見ても第二幕に分類されるわ」と納得してもらえると思うのだが、ある種の抜け道なので、基礎を扱うここでは割愛する)。
PⅡ(プロットポイントⅡ)
プロットポイントⅡは、ネオが予言者の言葉の意味を理解するシーンだ。
「モーフィアスの命を取るか、自分の命を取るか、選択に迫られる」預言者にこう言われた。「選択って?」トリニティが訪ねる。この瞬間、ネオは悟る。言葉にはできなくとも、選択すること、自分を信じることを選ぶというのが、ヒーローの条件であると知るのだ。
予言者にどう言われようと、それは「救世主」という、ただの言葉でしかない。それを選ぶことが大切なのだ。「俺は救世主じゃない。予言者からもそう言われた。悪いけど違う、普通の人間だ」だけどネオはマトリックスに侵入しようとする。「なぜ?」仲間の問いに、ネオは答える。「信じてるからだ。彼を助けることができると」
こうしてネオは再び、マトリックスに侵入する。もうネオは、気乗りしないヒーローではない。
第三幕では、自分を信じることを選んだネオの姿が描かれる。CMで有名な弾丸を避けるあのシーンは、自分を信じ始めたネオだからできたことだ。
第二幕、戦闘プログラムでモーフィアスを圧倒したネオが、ジャンプ・プログラムに失敗する。自分を信じることができないからこそ、ネオはビルとビルの間を、ジャンプで飛び越えることができなかった。そんな彼がプロットポイントⅡなしに、弾丸を避けることができただろうか?
第三幕は自分を信じ始めたネオ、自分で自分を信じることを選択したヒーローが、一体どうなっていくのかを見せているのだ。モーフィアスを助け、その過程でピンチに陥ったトリニティも救う。それを見ていた仲間のオペレーターが言う。「やっぱりそうだ、彼なんだ」
選択したネオは、本当の力に目覚る。死の縁から蘇り、手をかざすだけで弾丸を停止させ、エージェントを倒す。
ED(エンディング)
エンディングでネオは、本当の自分に目覚めるよう、まだ目覚めていない誰かに電話をかけている。
ネオはもう目覚めた。モーフィアスがしてくれたように、今度はネオが、誰かを目覚めさせる立場となった。そしてスーパーマンのように空を飛ぶ。マトリックスのルールを完全に無視した、自分を信じ、心を解き放ったヒーローの姿を見せて物語は終わる。
『マトリックス』はぱっと見、ただのアクション映画に思えるが、実は思ったよりも、物語の抽象性が高い。しかし、そんな物語も、パラダイムを使えばこんな風に、目で見て構造を確認することができる。
この枠組みを、これから『マトリックス』を書くかのようにに表すと、以下のようになる。
オープニング~プロットポイントⅠまでは、「トーマス・アンダーソンに迫る危険」についてまとまったシーンを書きながら、この物語の主要な登場人物や、ネオがいる世界の様子を説明していく。
プロットポイントⅠ~プロットポイントⅡまでは、「ネオが現実世界を知るきっかけ」を書いた後、気乗りしないヒーローとして言われるがまま救世主だと思い込み、けれどいまいち自分を信じ切れない様を書いていく。それらはプロットポイントⅡ、ネオが自分を信じることを決めるシーンへと向かって進んでいく。
プロットポイントⅡまで書いたら、今度はエンディングのシーンを目指して書いていく。内容は「自分で自分を信じることを選択したヒーローの姿」で、それらを書きながら、エンディングを目指す。
プロットポイントで息継ぎをするイメージだ。「ここからここまでは、○○について書く」と、明確に決めておくことで、そこに、状況設定・葛藤・解決とは別の、物語ごとに固有に存在する、別の文脈が見えてくる。それが赤字で示した部分だ。
「どこに、何を書くか」の一端
『マトリックス』と『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のパラダイムに書き加えをしたものを、もう一度見てほしい。
点線で示した部分が「どこに書くか」で、赤字の内容が「何を書くか」に当たる部分だ。
オープニングからプロットポイントⅠまでの間には、こういうことを書く。プロットポイントⅠからプロットポイントⅡまでの間には、こういうことを書く……。
「ここからここまでの範囲は、○○についてのシーンを書く」ということが、目で見てわかると思う。三幕構成を実作に使うときは、ここまでやってようやく、書くためのツールとして使うことができる。
もし三幕構成について過去に勉強したことがあって、その上でうまく行かなかったのなら、ここはチェックしてほしいポイントだ。プロットポイントを明確にすることだけでは片手落ちで、そこが生み出す空間に着目しないと、ツールとしての効果を発揮しきれない。
基本の要素を確認してパラダイムを埋めても、もう一歩踏み込んでここを知らないと、成果を出すには難しい。パラダイムを書くためにパラダイムを書くんじゃなく、自分の長編を完成させるためにパラダイムの使い方を学んでいるのだ。
赤字の部分、「どこに、何を書くのか」を知るために、あなたはここまで長い話を聞いてきた。自分の物語のパラダイムを書いて、各ポイント間の「この範囲は、何について書くのか」という、適切な言葉を、探してみてほしい(ぼくより適切な言葉を見つけてみてほしい!)。
点線の範囲を狭め、赤字の言葉を具体的にしていくことによって、どこに、何を書けばいいかはどんどん具体的になっていく。そのための基礎固めを今やっているんだ。
今やっているのは、あくまで基礎だ。何度も言っているが、抽象的な全体を捉えてから、具体性を上げていくという段階を踏むのが、三幕構成だ。まずはこれを作ることが、書く上では大切になる。
まだ抽象的だが、物語の始まりから終わりまでを的確に、確実に捉えている。踏みしめられた、確実な一歩だ。これが書ければ、あとは細分化していくだけだ。
次回は、分析の際にやってしまいがちな(そしてぼくもやった)横着や、ハリウッド映画をサンプルに使う利点など、細々としたことを話すよ。それでは、また次回!