3.6二種類の葛藤を区別する

CUNNINGステップ

よく言われるよね。「物語は葛藤である」って。そして、「面白い物語には必ず葛藤がある」とも言われる。実際その通りなんだけど、『葛藤』って言葉そのものは、混乱を招きやすい(できればこの言葉は、できる限り使いたくないのが本音だ)。

BASICを学んだあなたはもうわかっていると思うけれど、葛藤というのは、うんうん悩むこととは違う。けれど、じゃあ悩みがないのかというと、それもまた違う。

葛藤には、2つあって、『身体的葛藤』と『精神的葛藤』があるのだ。これを混同すると、厄介なことになる。

■2種類の葛藤

こんな分類、当たり前のように思えるかもしれないが、全く区別せずに、無自覚でいると、これまた厄介な問題が起きる。分析をするときは大して気にならないが、自分で書く時に、あることをやらかす可能性があるのだ。

どんな物語にも大なり小なり、両方の要素があるものなのだけれど、これを片方に極振りしてしまうと、思い描いていたものと違ったものができたり、そのせいで、途中で書けなくなってしまうのだ。

例えば、精神的葛藤に極振りした構想をしていた場合。

この場合は、物語を画として見せる要素が消失してしまう可能性がある。

主人公が悩んでいるだけでは、シーンにならない。『タイタニック』だって、ローズとの関係は大切だが、それをシーンで見せている。

ローズは確かにジャックとの関係で悩むが、それは「私と彼では立場が違うし、私にだって事情があるし……」と、真っ暗な画面の中で悩んでいるわけではない。下階層のパーティへの参加、婚約者との朝食など、身体的な葛藤を伴って、心理的葛藤を、映像で見せている。そこからさらに、沈没という脅威、命の危機という身体的葛藤によって、二人の仲は、さらに深く描かれる。

精神的葛藤だけでパラダイムを書いてしまうのは、結構やりがちな失敗だ。プロットポイントが「ジャックへの気持ちに気づく」だけでは、シーンにはならない。その書き方では、その地点でローズがジャックの気持ちに気づくことはわかっても、どうやって、どんなシーンを書いてそれを読者に伝えればいいかはわからない。

シーンの映像も思い浮かばないまま、ただ「ここでジャックへの気持ちに気づくシーンを書いてください」だけでは、それまでに何を書けばいいかわからない。精神的葛藤は確かに重要だが、そこに映像としての動きがない限り、地の文で説明するだけになってしまう。ローズの心の動きを表すのは、救命ボートを降りる、あの行動だ。「ローズがジャックへの気持ちに気づく」だけでなく、「それを救命ボートから降りてタイタニック号に戻る」という動きで見せることを、知っておかないといけない。そのためには、身体的葛藤も必要になってくる。

これをやらないと、カードを書いているときに、次の地点を見失ってしまう。パラダイムを見ると「ローズがジャックの気持ちに気づく」とプロットポイントⅡに書いてあるけれど、じゃあそのためにどんなシーンが必要か、この段階になっていきなりわからなくなるんだ。婚約者にジャックが嵌められ、助からないことを宣告されるシーンも、ローズが救命ボートに乗るシーンを自身でわかっていて、初めて繋ぎとして書くことができるようになるんだ。

身体的葛藤も、それのみというレベルで極振りしてしまうと、物語が薄っぺらになってしまう。

ぼくの好きな映画は怪物に襲われて逃げるだけ話ばかりだが、その中にも、各人の思惑や、人間的な感情のぶつかり合いがある。『ディープ・ブルー』は人がサメに食われるだけの映画だけれど、サメという身体的な葛藤(脅威)以外にも、研究に対する思惑や、本当にこんな脱出計画で大丈夫なのかよ、という恐れ、精神的葛藤がある。

もちろん、一般に名作と言われる映画だってそうだ。

『マトリックス』は、「自分は救世主なのか?」という精神的葛藤と、モーフィアスとの訓練、エージェントの脅威などの、身体的葛藤がうまく組み合わさった好例だ。

『タイタニック』でも、沈む船や婚約者の策略という身体的葛藤と、ローズ自身の「ほんとうにジャックと一緒になれるの? なっていいの?」という精神的葛藤がある。

いちいち明確に「これは精神的葛藤、これは身体的葛藤」と分ける必要はないけれど、分類を知っておくのは大切なことだ。片方に極振りしてしまった場合、問題が起きる場合がある。覚えておくといざというとき、「もしかして、葛藤がどちらかに寄り過ぎているのかな?」と、見つめ直せるようになる。

反対に、身体的葛藤に極振りしてしまった場合は、物語が薄っぺらく思えてしまうようになるだろう。仏作って魂入れず、というやつだ。構成の分野で躓くのは、キャラクターが自分の中で構築できている人ばかりだと思うし、こっちはあまり心配していないけれどね。

要するに、身体的葛藤は映像が生まれるけれど、精神的葛藤に偏って物語を考えてしまう場合、「書くシーン(映像)がない」という現象に、出くわす可能性がある。これが怖いってこと。

こういうことが原因になることもあると、もしもの時のために、頭の隅に置いておいてほしい。

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