3.2カード方式で物語を構成する利点

CARDステップ

にしてもなぜ、カードを使うのだろうか?

A4の用紙にタイプするのでも、プロット管理用のソフトを使うのでもなく、なぜカードなのだろうか?そして、どうしてわざわざ、紙なのだろうか?

カードである理由はシンプルだ。まず、入れ替えの自由が効きやすい。

「あのシーンをこっちにしようかな」とか、「このシーンと入れ替えてみたらどうだろう?」という実験が、簡単にできる。それも、直感的にね。月並みだけれど、大事なことだ。

それと、シーンやシークエンスの数を管理しやすい。

後述するが、カードには枚数制限がある。映画は尺の管理がシビアという事情があるので、その枚数は、きちんと指定されているのだ。映画の場合、何をやるにも映像が必要になるから、小説のように情報を圧縮するのは苦手なんだよね。

小説は映画ほど尺事情がシビアじゃないから、ここはある程度緩くできるんだけれど、それでも、必要枚数が決まっているのは助かる。「第一幕に必要なカードは、あと2枚」ってわかるだけで、気分がどれだけ楽になることか!

また、カード方式なら進行の管理もしやすい。

「プロットを書く」だけでは、どれだけの作業が必要になるかわからないけれど、「今日は休みだから28枚書こう」とか、今日は疲れてるから、「4枚だけにしよう」とか、枚数で進行を管理できるようになる。「明日友達と遊びたいから、今日の内に14枚書けば、明日の分まで済ませたことになるな」ってね。こんな風に予定を立てて、その通りに進むなんて、昔のことを思えば夢のようだ。

作品1つに必要なカードが何枚で、今何枚目まで終わったか、それがわかるだけでも、気分はめちゃくちゃ楽だ。前に進んでいるという実感があるだけ、やる気が湧いてくる。書いても書いても終わる気がしないプロットを書いて、その上で執筆までやる元気を残しておくのは大変だからね。

ではなぜ、パソコン上でカードを管理するのではだめなのか?

それはパソコンの画面の大きさが、一覧性の限界になるからだ。紙のカードなら、机が狭くなっても、床に置けばいい。パソコンでは、文字がつぶれてしまう。

パラダイムで全体を見通した時のように、一覧性というのは物を考える上で大切だ。ぼくらのような書き手は、頭の中ですべてを完結させることができないからこそ、手法を活用している。形に残ったカードを目で見て一覧できるというのは大切だ。

書いている最中、積み上げてきたシーンの流れや今までの出来事を、何度も確認することになる。これは手法がどうこうという話ではなくて、自ずとそうなるのだ。

「うーん、この先のシーンはどうしよう」と考えるとき、今まで書いてきたシーンや、この先に配置したいと思っていたシーンを、確認することになる。並べ替えたり、カードとにらめっこしたりする。そういう時、パソコンの画面では狭すぎる。

もしこれでも納得してもらえないのなら、ぼくには最終手段がある。フィールドもスナイダーも、パソコン上ではなく紙を勧めている。これが、紙を勧める不動の根拠だ。

ぼくの主観をプラスしていいのなら、「書いてるっぽさ」が味わえるというのも、紙を勧める理由になる。

カード書きのプロセスを、一種のごっこ遊びだと思ってみるのだ。文豪ごっこだね。

今まで、「物語を構成する」ってことが出来なかったせいで、それができる人への憧れというか、嫉妬というか、そういうのがあった。シーンを紙に書いて、それを並べて、順番を入れ替えたりしてみるなんて、ファンタジーの話だった。

休日の朝、トーストとコーヒーを脇に置いて、「プロットカード」ってやつを書く。それがよどみなく進んで、お昼には終わってる。書き損じたカードを、丸めてごみ箱に投げたっていい。いかにも、物語を構成しているって感じだ。こんな気分を味わえば、やる気も出るし、もっと書ける気がしてくる。書ければ楽しいものだ。

パラダイムを書きBS2を埋めたあなたにとって、「プロットを書く」って行為は、実を結ぶかわからないフワフワとした下準備ではない。延々に終わらない、シーンの連続を書かされる苦行でもない。楽しくなるなら、ローテクだって悪くないよ。

入れ替えが容易で、広々とした場所で、直感的に色々なパターン、アイデアを試すことができる。パソコン上でカードを入れ替えるのもマウスをちょちょいと動かせば可能だが、机の上なら、紙を動かすだけ。もっと早く、直感的だ。

カードを使うことは利点がいっぱいで、特に紙を使うのが良い。おすすめだ。

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