小難しい話はすっ飛ばして、楽しい話からしていこう。長い付き合いになる、構成のメインエンジンの話だ。カードがシーンを書く道具なら、これから紹介するのはカードの指針を作る道具だ。さあ、やって行こう!
三幕構成のパラダイム
早速紹介しよう。これから一生使える、三幕構成のメインエンジンだ。これを使えるようになるかどうかに、構成の全てががかかっている。
名前を、『脚本のパラダイム』という。パラダイムとは、見取り図のこと。物語全体を、視覚で見るための道具だ。これが構成の土台、氷山の一番下にある、基礎となる部分になる。
シド・フィールドという映画脚本界の大御所(20世紀フォックス、ディズニー・スタジオ、ユニヴァーサル・ピクチャーズなどの脚本コンサルを歴任、全米脚本家協会で殿堂入り)が理論化した、三幕構成を使った書き方のメインエンジンだ。映画脚本は一般的に、このモデルが使われている。
といってもあなたが書くのは映画脚本ではないので、今後は『三幕構成のパラダイム』ないし、単に『パラダイム』とだけ呼んでいく。コイツを発展させていくとどんどん細分化されていって、「どこに」「何を」書けばいいかが、目で見てわかるようになる。
ポイントは、「細分化」ってこと。つまり、大本になるこの図を正しく書けない場合、今後の結果が全てズレる。つまり待っているのは……、「プロットすら書けなくなったぞ!何かがおかしいんだ!」。これはいただけないよね。
全体がズレていると、部分もズレる。だからこそ、ここを正確に理解する必要があるんだ。
言葉を強くしてもいいなら……、そう、「頑張って理解できないのなら、悪いのはぼくだ。だが、軽んじて学ぶ気がないなら、これ以上話すことはない」だ。
順番に、パラダイムの内訳を説明していこう。
三幕構成の「三幕」って?
一旦上の図を忘れて、これを見てくれ。
先ほどの図から、『プロットポイント』とかいう、不穏な用語を取っ払ったものだ。
オープニングで始まった物語が、エンディングに向かって進んでいく。この直線の上に、個々のシーンが配置されていくイメージだ。
そもそも、三幕構成の三幕とは何か。それは、「物語を3つの部分(=幕)に分けて考える」ということ。
オープニングがあって、エンディングがあって、序盤・中盤・終盤がある。この序盤・中盤・終盤をそれぞれ、『第一幕』、『第二幕』、『第三幕』と呼ぶ。
これはちゃんとした脚本用語なので、これを『第一章』とか『第一部』とか、勝手に曲解してしまわないように注意だ(英語ではACT1、ACT2、ACT3とされているが、ここでは一般的な邦訳に則る)。
三幕構成に、第四幕はない。なぜかというと、序盤、中盤ときて、終盤の先はないから。
第一幕、第二幕、第三幕はそれぞれ、序盤・中盤・終盤の言い換えのようなもので、対応する言い換え元がないからこそ、第四幕は存在しない。『第一章』や『第一部』では、『第四部』があるかもしれない。けれど、三幕構成に第四幕はないんだ。
『第一幕』、『第二幕』、『第三幕』。舶来物の概念であるからこそ、用語を統一しておかないと痛い目を見る。これらは用語として、正確に覚えておこう。
三幕の比率のイメージ
各幕の比率は、25%、50%、25%が目安となる。これは可変のものだが(例えば、『アナと雪の女王』などは第三幕が極端に短い)、まずは全体のイメージを掴むことを優先して、大まかな比率を目安として覚えておこう。
3つの幕、第一幕、第二幕、第三幕には、それぞれに役目がある。物語をオープニングからエンディングまで運ぶ上ための役目であり、幕が始まってから終わるまで、その役目に関係するシーンのみが、その幕の中に描かれる。
では、各幕に割り振られた役目とは何なのだろうか?「どこに、何を書くのか」の第一段階として、各幕の役目を見てみよう。
第一幕『状況設定』
物語全体の25%ほどを占めるのが第一幕だ。
第一幕は、『状況設定』という『文脈』で、ひとつのまとまりになっている。『』でくくったことからわかるかもしれないが、ここで言う『文脈』は、三幕構成の用語だと思ってほしい。
文脈は一般的な言葉で、特別な名前がついているわけでもない。けど、三幕構成において非常に重要な考え方だ(今はそんなにって感じだけど、後々重要になってくる。またその時に話すよ)。フィールドは文脈について、このように述べている。
文脈とは、物事が進行するための一つの枠組みである。たとえばグラスの中の空間が、文脈である。それは中身を一つに保っている。中身が変わろうとも、グラスの中の空間は変化しない
(Field 2005: p. 18)
文脈とは、一つのハードウェアのようなものだと思ってほしい。
物語はラベルの張られた3つの大きなグラスが並んでいて、そこにどんな飲み物(ソフトウェア)を入れるかで、内容は変化する。
グラスの中身は『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』にも『マトリックス』にも『いちご100%』にも『NARUTO』にも『アルジャーノンに花束を』にもなる。けれど、序盤・中盤・終盤という3種類のグラスが連なって物語の形になっていることは変わらない。
第一幕の場合、そのグラス中の空間、文脈は、『状況設定』だ。
状況設定は、キャラクターの顔見せをして、人間関係も見せて、どんな状況の物語か説明して、どういう状態から物語が始まっていくかを見せていく。物語の準備をする空間だ。
起承転結でいうところの『起』に当たる部分で、物語をスタートさせて、人物や状況の説明を終えるまでが、第一幕になる。
第一幕というグラスの空間に、仮想現実の世界が描かれていても(『マトリックス』)、法の制約を受けないダークヒーローが描かれていても(『ダークナイト』)、船で東京へ家出してきた少年が描かれていても(『天気の子』)、それらはすべて『状況設定』という空間の中に入っている。入っているのが水でもウォッカでもオレンジジュースでも、グラスの空間をベースに、何かしらの中身が入っている。
言い換えてしまえば、第一幕のシーンはすべて、多かれ少なかれ『状況設定』に関連したシーンである、ということだ。
それがモノローグによる解説であれ、派手なアクションシーンであれ、読者に向かって、キャラの情報や、現在の状況を説明している。物語の状況を、シーンで設定している区間というわけだ。
「脈絡がない」の「脈」は、文脈の脈だと思えばいい。状況設定に関連したシーンは脈絡のあるシーンだし、状況設定に関連しないシーンは、脈絡のないシーンだ。
『ダークナイト』の最初、銀行強盗のシーンだって、ゴッサムの治安や、ジョーカーという敵役の説明をしている。
『マトリックス』のスローモーションのシーンだって、「ここは通常の世界でないですよ、壁を走れるし、ビルとビルの間を飛び越えることもできるんですよ」と、その理由は明かさなくとも、観客に世界のことを伝えている(もっと言うとあれは単なる魅せシーンではなく、あのシーンによってネオが追われる原因を生み、物語の最初の動きを作っている)。
『天気の子』も、なんとなく家出少年の記録映像を流しているわけではなく、登場人物を見せながら、物語で使う予定のギミックの紹介をしているんだ。
第一幕に、他のことをやる余裕はない。はっきり言うが、やることが多すぎてパンパンだ。
主要キャラの人物像、状況、人間関係、世界、これらを、すべて映像で見せていると、やることが多すぎて頭が爆発しそうになる。それくらい、第一幕にやることは多い。
第一幕は、『状況設定』という役目、文脈を持った部分。とりあえず今のところはこう覚えておこう。
第二幕『葛藤』
さあ、こいつが厄介だ。極上の厄介さんだ。
だってそうだろ?起承転結でいうところの『承』がここから始まるんだ。つまり、「承ってなんだよ!」ってヤツ。
定義を述べておくと、第二幕の文脈は『葛藤』だ。けどこれも『承』と同じくらい、捉えどころのない言葉だと思わないだろうか?
葛藤の説明でよく使われるのが、「主人公は障害を乗り越えていく」とか、「敵との対立」とかだ。けれど、概念を実用するために理解しようとするなら第二幕の文脈は「本当の物語」であり、「物語の本筋」とするほうがイメージしやすい。
第二幕から、本当の物語が始まる。状況の説明を終えて、ようやく、好き勝手、物語を転がしていくことが可能になる。
推理モノなら事件の推理を始める。モンスター物ならモンスターから逃げ回る。ヒーロー物なら、スーパーパワーを手に入れて○○マンになったらどうなるかを見ていく。第二幕は『葛藤』を言葉の意味の上だけで考えると難しくなるから、こういう形で理解を補助していく必要がある。
たまに葛藤を勘違いして、主人公を延々と悩ませる人がいるが、それは大きな誤解だ。
ここでいう葛藤は、内面的葛藤、悩みだけのことを指すのではない。困難や障害を乗り越えていく様も葛藤であるし、小さな障害を楽々乗り越えサクセスしていくのも葛藤だ。
障害を乗りこえていくにせよ、敵との対立にせよ、『葛藤』という脚本用語をしっかり理解すれば、確かにこれらは『葛藤』としか呼称できない。だけれど、それではとっつきづら過ぎる。だからサブの理解として、『物語の本筋』という概念で補強するんだ。
「誰が、何をするか」を意識しながら、これまで触れた物語を思い出してみてほしい。「誰が」を第一幕で説明していて、「何をするか」を、第二幕で見せているはずだ。
「コナン君が」「推理する」物語が、『名探偵コナン』だろ? だから、第二幕は事件を推理するんだ。コナン君は日本語的な『葛藤』で何か悩んでいるわけではないが、正体を知られまいという犯人と対立している。ここが物語の本筋だ。
推理してる間、コナン君は犯人が残した謎、つまり障害と戦っていることになるわけ。第二幕の文脈は『葛藤』であり、それは悩めという意味ではないんだ。
ちなみに、一般的な創作ハウツーと、WEB小説の創作ハウツーの相反する部分として「主人公は悩まない」があげられることがあるけれど、ちゃんと『葛藤』は存在する。このズレは、『葛藤』の解釈のズレに由来していると、ぼくは踏んでいる。
最強だろうが無双しようが、「圧倒的なレベル差で障害をクリアしている」だけで、それは葛藤だ。『スパイダーマン』でスパイダーマンが一般人を相手にスーパーパワーを使ってサクセスしていくけれど、やっていることは変わらない。「障害を次々と乗り越えていく」でしょ? 程度の差があるだけで、やっていることは同じだ。
葛藤を単に「悩み」と捉えるとズレがあるように見えるけど、用語としての『葛藤』でと捉えてみると、おかしなことは何もない。むしろストレートな『葛藤』なんだ。
Tips:『葛藤』の解釈
『葛藤』という言葉の意味に関して、少し補足をしよう。
あなたには、こういう経験はないだろうか?
「物語には葛藤が必要って言うけど、ぼくの主人公は悩むタイプじゃないんだよ!キャラクターをネジ曲げろっていうのかこの野郎!」とか、「うじうじ悩んでるキャラが主人公の、あいつの小説はあんなにつまんないぞこんちくしょう!」とか。
ああそうとも、キャラクターを物語のために捻じ曲げるなら、書かないほうがマシだ! ぼくもこのクチだったし、今でもこのクチだ。
この問題は、三幕構成における『葛藤』という用語がそもそも翻訳であるという前提の抜けと、「日本語的意味の葛藤」と混同が関与していると、ぼくは睨んでいる。この2つの関係を知れば、キャラを捻じ曲げる必要なんてどこにもないとわかるよ。
「脚本用語における葛藤」は英語の『conflict(コンフリクト)』を翻訳したものだ。ググったところによると、以下の意味がある。
conflict:
(武力による、比較的長期にわたる)戦い、争い、闘争、戦闘、(主義・主張上の)争い、争議、論争、口論、(思想・利害などの)衝突
Weblio 辞書
少なくとも、「日本語的な葛藤」とは違う印象じゃないだろうか? 「内面的な悩み」をイメージさせる日本語的な葛藤よりもずっと、対立の色が強い。
思想の衝突だけでなく、物理的な衝突もカバーしているのが『conflict』のポイントだ。日本語における葛藤、内面的葛藤以上の範囲を、翻訳前の『conflict』ではカバーしている。
そもそも『葛藤』という訳が誤訳だったという声もあるみたいだけれど、その是非についてはどうでもいい。大切なのは何が正しいかではなく、何をどう使うかだ。何が正しいか決着をつけるのは、もっと頭のいいひとに任せよう。
翻訳前の『conflict』という言葉には上のような意味が含まれていて、『葛藤』の意味する範囲は見た目以上に広い。これを頭の隅においておけばOKだ。
あなたが創作ハウツーに触れるとき、文中に『葛藤』という言葉が出てきたときは要注意。その『葛藤』が、この脚本用語の邦訳に基づくものなのか、『日本語的葛藤』に基づくのかは、きちんと区別しないと痛い目を見る。
「『葛藤』が必要って、キャラクターを無理やり悩ませろっていうのか、ふざけんな!こんな創作ハウツーは信用ならん!」となってしまったり、「そんなことしたくないなぁ、嫌だなぁ」と身構えてしまうことで、せっかくの創作ハウツーの吸収を阻害してしまうことになる。これは勿体ない。
最初は中々想像しづらいかもしれないが、第二幕に入ると、何かしらの葛藤が起こり、それが物語の本筋となっている。『葛藤』という言葉をできる限り広く捉えてみると、第二幕を柔軟に読み取れるようになるよ。
第三幕『解決』
第三幕の文脈は『解決』だ。物語が解決に向かう様を描く。起承転結では「結」に当たる部分だね。
トリックを暴いて、果たして犯人を追い詰めることができるのか。逃げ回った果てに、怪物を倒すことはできるのか。引き裂かれた二人の恋は果たしてどうなるのか。こういうことについて描いていく。
『解決』は、物語の終着点そのものとなる特定のシーンを指すのではなく、「物語がエンディングに向かってからエンディングまで」の空間を指す。第三幕は『解決』に関わるシーンの集合体であり、物語をエンディングまで運ぶ。
ちなみに、『解決』と『エンディング』は別のものとして明確に区別するので注意してほしい。
『エンディング』は、物語の最後のシーンのことを指す。『解決』は、物語の方向性がエンディングに向かってからのシーンの集合体をまとめている、第三幕の文脈だ。
3つの幕、3つの文脈
このように、3つの幕には一つづつ役目があり、その文脈に沿ったシーンが配置される。
序盤、中盤、終盤と三幕構成の3つの幕、その役目である文脈の関係は、こういう風になっている。文脈に関連したシーンの大きな集まりが3つ存在し、3つの幕の集まりが物語となる。
各々のシーンが物語を前に進めながら、文脈に関連し、役目を果たすことによって物語の形を作っているんだ。
三幕を改めて
状況設定、葛藤、解決。この3つは3幕構成の中で、主題の次に大きな文脈だ。そして、配置されているシーンに、文脈という根拠を与えている。そしてこれは見方を変えれば、第二幕で状況設定をしていては遅い、ということだ。
第二幕でせっかく物語が本筋に入ったのに、これ以上、何の説明をする気なんだ? ミステリの登場人物なら言うだろうね。「どうして冷静でいられるんだ!人が死んでるんだぞ!」。登場人物の人間関係のチェックなんてしてないで、早く現場検証させてあげよう。警察は来てくれない。そういう状況は、第一幕で作り終わっているはずだ。
第一幕をちゃちゃっと済ませて物語を早く本筋に乗せたいのはわかるが、前の幕でサボったツケは、必ず別の幕で払う羽目になる。
第一幕での下準備は面倒に感じるかもしれないが、下準備を終えた先、物語がようやく本題に入ったって時に、だらだら説明をしている暇はないのだ。第二幕は物語の本筋を見せるのが楽しくって楽しくって忙しいから、状況設定を第一幕に押し付ける。第三幕は解決に忙しいから、他を第二幕に押し付ける。第一幕は、状況設定に忙しいから、物語の本題でやる内容を、取り扱う暇がない。
「あなたの物語の基本設定を、すべてシーンに変換して読者に見せてください。使えるのは、全体の25%までです」。頭が痛くならないかい? そういうことだ。
書かなければいけないことは沢山あり、第一幕も第二幕も第三幕も、自分の仕事で手一杯なんだ。
INTERVIEW 三者三様の主張
第一幕
「ぼくが一番忙しいですよ。だって、今の仕事をやるので手一杯なんです。オープニングを見せて、キャラクターの顔見せとか説明とか、人間関係とかを、物語が本筋に入るまでに全部やっておかないといけない。それなのに、尺は全体の25%しかくれないんです。多くてこれですよ! なのに、第二幕さんはすぐ『お前がきちんと設定を見せておかなかったせいでテンポが悪くなった』とか言ってくるんです。第三幕さんも、同じくらいひどいですよ。書き終わってから『あなたがきちんと設定を見せておかなかったおかげて、ラストシーンが薄っぺらくなった』なんて言いうんですから。良いですよね、そっちは長くなっても、読者がすぐ離れていくわけじゃないんですから!!」
第二幕
「俺は忙しいんだぜ、他の奴らと違ってよ。なんてったって、物語の本筋なんだ。葛藤であり、対立でもあり、読者は俺を読みに来ているわけだからな。読者の期待を一身に背負ってるんだ。なのに第一幕の野郎、準備が甘いことがあってよ。すぐに準備をサボりやがるんだ。おかげでいつもいいところで、字の文で設定を説明したりしなきゃならねぇ。読者が楽しいときに水を差すなんて、俺は御免だね。内部の事情なんか、読者は知ったこっちゃねぇ。それに俺は、全体のたった50%の尺しかないんだ。たったそれだけで読者の期待に応えなきゃならないんだから、他の奴らにはもっとしゃんとしてほしいね」
第三幕
「私だって忙しいんですよ。未解決の話題があるとすぐ、第二幕さんは私に投げて来るんです。『お前は「解決」が仕事だろ』って。そりゃ、私が最終防衛ラインかもしれませんよ。最後の幕なんですから。けれど、未解決の問題を全部丸投げされても、尺は全体の25%しかないんです。下手したら、もっと削られるんですよ。なのに、物語がどう解決していくか、最終決戦まで見せて、そのあとの人物の変化まで描いて……。もう、やることばっかりです。なのに第一幕さんまで『ゴメン、設定見せ忘れてたんだけど、こういうバックストーリーあるから、解決よろしく』って。彼らよりずっと忙しいですよ、私の方が」
実際のところ
三者三様の主張があったけれど、本当にこうなるよ。書くことは山のようにあり、シーンたちは常に、ぎりぎりのポジション争いをしている。幕はどこもぎゅうぎゅう詰めで、忙しくてたまらない。
けど、まだそうは見えないだろう。まだ、3つの幕と文脈の話をしただけだからね。でも、幕の役目を果たしながら、別のこともやらなければいけないとなると、どうだろうか?
「状況設定に関係するシーンを第一幕に配置しろ」と、「状況設定のシーンを第一幕に、物語を前に進めるように配置しろ」では、ミッションの難しさが段違いだ。
けれどこれを並行しない限り、第一幕を書くのが苦痛でたまらなくなるし、例え出来上がったとしても、まとまりのない第一幕となってしまうだろう。嫌になって他の作品を書き始めてしまうか、読者が離れていくか、書くのをやめるかに行き着いてしまう。第二幕、第三幕でも同様の現象を起こす。
書くことは山のようにあるはずだ。けれど、「山のようにあるはずだ」ということ以外は何も分かっておらず、何を、どれだけ書くかについてはわかっていない。「山のように」という言葉だけあり、実際の量は一切不明だ。これが漠然とした不安となり、あなたを押しつぶしにかかってくる。
そうならないためにも、次の記事では「物語を構成する上で理論上絶対に必要なある要素」について語っていくよ。