3-1.パラダイムの使い方

三幕構成の視点から 『IT』の執筆をエタらせてみる BASICステップ

物語を形作る3つの幕と文脈。エンディング、オープニング、プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡ。プラス、インサイティング・インシデントとキイ・インシデント。これらの用語を学んできた。

ここからは、それらをどうやって使っていくかというステップだ。自身の物語にとってたったこれだけの要素をハッキリさせただけで、どれだけ変わるのか? こんなアバウトな図がそんなに役に立つのか? どうやって活用していくのか? そういった疑問に応えていくよ。

パラダイムのおさらい

エンディング、オープニング、プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡが、基本となる4つの要素。そこに、インサイティング・インシデント(と、プロットポイントⅠと独立しているようなら、キイ・インシデント)があれば、基本はOKだ。

学んだ要素を再確認しながら、もう一度、パラダイムを見てみよう。

■三幕構成のパラダイム

第一幕、オープニングで始まった物語は、インサイティング・インシデントを経由して、状況設定をしながら、プロットポイントⅠ(多くの場合はキイ・インシデント)にたどり着く。

プロットポイントⅠを経て物語は第二幕に入り、プロットポイントⅡに向かって、葛藤(≒物語の本筋)を見せながら進んでいく。

プロットポイントⅡを経て物語は第三幕に入り、エンディングに向かって、解決を見せる。そして、エンディングに到達する。

プロットポイントは幕と幕をつなぐ役目を果たし、無しでは物語が成立しない。

■白紙のパラダイム

それを自分の物語に当てはめるとどうなるのか、それを判断するために使うのが、最初に紹介した、この白紙のパラダイムというわけ。

ある地点から、別のある地点を目指す

基本的な考え方として、①~④の順番で埋めていく。出来上がったパラダイムを、今度は左から、つまり、OP、PⅠ、PⅡ、EDの順に見ていく。

「OPの地点の原稿用紙の状態から、どんな出来事が起こればPⅠにたどり着くだろう?」こういう風に、どんなシーンを書きたいか、自分の中の物語に質問する。この足がかりにしていく。


■白紙のパラダイム

ジョージィが行方不明になったオープニングから、ビルが「町を蝕む何か」に気づく、「行方不明の女の子の靴を、荒れ地の下水で見つける」というシーンまで物語を運ぶには、何が必要だろうか?

まず当然、荒れ地の下水へ行く必要がある。ビルはまだジョージィことを諦めていない。だから、夏休みが始まるというのに荒れ地へ行くのだ。当面は読者に、これに関連したシーンを見てもらう。

あとは状況設定だ。「今のうちに、登場人物の設定や、町の状態を、見せておかないといけない。ビルの行動に絡めながら状況設定という仕事を完遂するには、どんなシーンが必要だろうか?」。こういう風に考えて、リストアップした、もしくは、脳内の設定一覧を眺めてみる。

すると「荒れ地の下水をビルが探す理由は、町の排水溝が全部あそこに繋がっているから」とか、そもそも「両親はジョージィのことを諦めたけれど、ビルはまだだ」という設定を見つけた。

じゃあ、これをシーンにしよう。ガレージで父親に下水管の模型を見つけられて、もうジョージィを探すのはやめるように注意を受ける。ビルは自論を説明する。ビルの確固たる意志を見せながら、荒れ地へ行く理由を説明している。いい感じじゃないか。

こうやって、「ある地点から別の地点まで行くにはどんなシーンが必要か」にプラスして「それまでにやっておかなければいけない、幕の役目をどんなシーンで果たすか」を足掛かりにしていく。以下のようなイメージだ。

分類として、「自分が元々思いついていたシーン」と「必要に応じて補ったシーン」が存在することになる。

■もともと書きたかったシーンを別のシーンで補強することで繋ぐ

オープニングを終えてすぐ荒れ地に行くことも、できないことはない。が、それをやるということは。その過程のシーンで見せてきた設定や人物、舞台や状況の説明を、すべてカットするということだ。

これを小説でやってしまうと、後からことあるごとに地の文で説明を挟んだり、地の文に設定を書き連ねることになってしまう(「説明するな、描写せよ」という格言の逆、描写せずに説明してしまっているわけだ)。また、「設定をシーンに変換して見せる」という大仕事を丸っとすっ飛ばすため、そもそも第一幕に書くことが無くなり、スカスカになる。

これを避けるためには、「ある地点から別の地点まで行くにはどんなシーンが必要か」にプラスして「それまでにやっておかなければいけない、幕の役目をどんなシーンで果たすか」というアプローチから、設定をシーンに変換して、読者に見せていく必要があるんだ。

そのある地点というのがプロットポイントであり、こうやってプロットポイントを、「どこに、何を書くか」を知る、足掛かりにしていく。

書きたいシーンがあって、けど足りないシーンがある。そんな時は、今の地点から次の構成上のチェックポイントまで、どんなシーンを書けばいいのかをパラダイムやインサイティング・インシデントから読みとるんだ。時系列順に並べていけば、足りないシーンがあることにも気づくことができる。

もしパラダイムを作らずに書き始めたらⅠ

自分の物語のターニングポイントを知らないまま書き始めるというのは、プロットポイントを把握せずに、パラダイムを埋めないまま書き始めるということだ。

序盤を頑張って書いても、いつまで経っても中盤には辿りつけない。何故なら第二幕への連結器となるプロットポイントⅠを、自分でわかっていないのだから。

第一幕は、プロットポイントⅠに向かって進むのだ。プロットポイントⅠがわかっていないと、インサイティング・インシデントが決められない。インサイティング・インシデントは、物語に動きを与え、プロットポイントⅠへ運ぶものだ。名前の通り、プロットポイントⅠをインサイティング(誘引)するから、インサイティング・インシデントなんだ。

インサイティング・インシデントがないと物語が動き始めないが、そもそもインサイティング・インシデントはプロットポイントⅠ(≒キイ・インシデント)に向う動きを作る出来事のことを指す。よって先にプロットポイントⅠがどこかわかっていないと、確定させることができない。

だから、プロットポイントⅠが決まっていないと、インサイティング・インシデントも決まらない。A地点からB地点に行くことになったきっかけが知りたいのに、B地点がどこかわからないのだ。そしてB地点で何をするか(したいか)もわかっていない。

パラダイムを埋めずにいきなり書き始め、「オープニングは出来た!」となっても、インサイティング・インシデントがわかっていないと、物語が進まないし、物語を動かしていくこともできない。目指す場所もわからないから、書くことができない。プロットポイントⅠが決まっていないだけで、序盤はズタズタになる。

怖いのは、ここを言語化していないと、「なんか違う」「なぜか面白くない」「書きたいことがあるはずなのに、そこに至るまでの道がすごくつらい」と、自覚症状だけははっきり出ることだ。「最初の読者が自分」とはまさにその通りで、序盤がボロボロなのを自覚したままモチベーションを保つのは難しい。

意識がはっきりしたまま苦しむというのは恐怖の定番だが、真新しさがないだけで、恐ろしさは健在だ。机に向かったら向かっただけ、はっきりとした違和感を感じながら原稿に取り組む。そのくせ原因も対処も不明となれば、いずれ疲れ切ってしまう。そして、書くことから離れていってしまうんだ。

If IT

また、スティーヴン・キングになりきってみよう。 『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を書くことをイメージしてみて。

パラレルワールドのスティーヴン・あなた・キングは、今度は、ジョージィ生還ルートではなく、ジョージィ死亡ルートを選択することにした。ジョージィが死ぬから、インサイティング・インシデントもばっちりだ。ビルは、行方不明になったジョージィを探す。こうやって物語に動きが生まれる。一見、大丈夫そうに見える。やっぱり、プロットポイントⅠなんていらないんじゃないか?

ビルはジョージィを探す。未来の世界で映画化されたシーンを、忠実に書いていく。しかし、途中で違和感を感じ始める。

「……ビルはいつになったら、ジョージィの失踪が単なる行方不明でないことに気づくんだ?」

いつか何とかなるんだろうか? そんなことを思いながら、どんどん書いていくも、違和感は拭えない。苦しいけれど埋め合わせになりそうなシーンを繕うか、それとも、気に入らずに書くのをやめてしまうか、苦しいまま書き続けて、力尽きてしまうか……。

こうして、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』という物語が存在しないパラレルワールドが、また一つできたわけだ。完成さえすれば、映画になったのに。

起こった現象を説明してみよう。この場合、状況設定という文脈に沿って、インサイティング・インシデントで物語を動かしていた。しかしその動きの向かう先、第二幕への入口であるシーンが何か、わかっていなかったのだ。

自分の物語のプロットポイントⅠ(≒キイ・インシデント)を明確にしないまま、オープニングとインサイティング・インシデントだけで物語を書き始めるとこうなる。

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のプロットポイントⅠが空白の場合

フリーハンドの矢印のように、物語が迷子になっている。「ビルがジョージィを探す」という言葉だけを決めていて、どこをどう探して、何を見つけるかが決まっていないせいだ。

ここが無自覚だと、「自分の物語は、オープニングを終えてからはどんなふうに展開されていくんだろう?」という過程を知る手がかりがない。「何を書けばいいか」がわからないから、迷子になったまま歩き続ける。そして、執筆は頓挫する。

主人公が何をすればいいのかわからない状態に放り込まれた時の不安といったら、本当にやばい。

行方不明になったジョージィを探しに行ったとして、「探しに行ってどうなるんだ?」の部分を決めていないと、こういうことになるのだ。そのためには、自分の物語のプロットポイントⅠがどんなシーンなのか、明確に知っておく必要がある。迷子にならないために必要だし、読者をあなたの迷子に付き合わせないためにも必要だ。

「どこかへ行きたいんだ!」だけでは、どこにも行けない。インサイティング・インシデントだけで玄関を出ても、失速して途方に暮れるだけだ。

その気持ちに「行くってどこへ?」という質問を返してくれるのがプロットポイントⅠであり、「どうやって?」と返してくれるのがインサイティング・インシデントってわけ。

もしパラダイムを作らずに書き始めたらⅡ

プロットポイントⅡを決めず物語を書き始めた場合、プロットポイントⅠを書き終えて第二幕に入った瞬間に、途方に暮れる可能性がある。そしてそんな時に書いてしまいがちなのが、ぼくが「目玉焼きの話」と呼んでいるシーンだ。

第二幕は長い。他の幕の倍、もしくはそれ以上ある。第一幕ではプロットポイントⅠが無いだけであんな大惨事が起こったのに、その倍の長さの第二幕で、安心できるわけがない。

それに気づかず書き進めたとき、どんなことが起こるか。一例を見てみよう。

推理モノで殺人事件が起こって、事件の推理、捜査を始めるとしよう。これがプロットポイントⅠだ。

そして、登場人物がいきなりお茶を始める。話題はそう、「目玉焼きにかけるのはソースかしょうゆ、どっちが正しいんだろう?」だ。

「ちょっと待てよ! 人が死んでるんだぞ! しかも殺人だ! お茶するならせめて、事件の話をしろよ!」ヒステリックでない、穏やかな登場人物でもこう言うだろう。全くもってその通りだ。

プロットポイントⅠに至ったのに、目玉焼きの話をしている場合ではない。早くプロットポイントⅡに向かって、行動を開始してくれないと。

闇雲にページ数を重ねても、物語は第三幕へ移行しない。プロットポイントⅡに向かった行動を見せることこそが、物語を第三幕へ運んでくれるのだ。目玉焼きの話を200ページしたって、犯人を確信するような手がかりは得られない(それに読者は、目玉焼きの話を聞きに来ているわけではない。あなたは目玉焼きの話によって、読者を失ってはいないだろうか?)。

ばかばかしいように思えるが、プロットポイントⅡを決めずに書き始めて、途中で何を書けばいいのかわからなくなっているというのは、こういう状態なのだ。

症状はここから、おなじみの2パターンに分かれる。目玉焼きの話をしてしまうのが嫌で書くのが嫌になる。もしくは、目玉焼きの話を無理やり書き続けて、酷い「コレジャナイ」感に晒され続けた結果、疲れ果ててしまう。

これは、読者の反応どうこう以前の話だ。物語を完結させるには、完結できるように物語が動いていないと、途中で書けなくなってしまうものなんだ。

スリップダメージに耐え続けたあなたを待つもの

とりあえず完成は出来た、作品への違和感に耐え続けて、初稿を書き上げることができた。

「結局あんたは、俺たちが書くことのストレスに耐えられないと言ってるんだろ?」と、思う人もいるかもしれない。

でも、この先にだって関門がある。というかあるのは関門だけで、救いはなかった。実体験で申し訳ないけれど、ぼくも10年くらいはそっちを歩いたんだ。

はっきり言ってやってられない。ある時、連休+有給+仮病という大技を使って、コーヒーをガブ飲みして無理やり完成させても、事態は何も解決していなかった。

とりあえず完成した作品をどう触るかという、推敲の問題にぶち当たるんだ。

ツギハギでも、青息吐息でも、一つの形になった。けれど、書きたかったはずのシーンはところどころ抜けているし、目玉焼きの話をしている回数も多い。

完成させるのが目的ではなく、納得いく形で完成させなければならないという事実を思い出してほしい。ここからどこをどう触れば、納得いく形になるんだ? 読者の反応の話をする以前の段階、自分自身で「おかしい、なんか違う」という気持ちが拭えない。でもどう触ればいいか、全くわからない。

コレラの例え話と同じだ。コレラにかかった時は、水分補給をする。これが対処法だ。

でも、プロットポイントを決めずに書き始め、なんとなく完成させたあなたにわかっているのは、「何かの病気で下痢と嘔吐がひどくて、命がやばそう」という症状だけ。体の中で脱水症状が起こっていることを知らなければ、水分補給するというシンプルな対処法すらとれない。だって原因がわからないのだ。

これははるか昔、病気が悪霊の仕業だと思われていた現象にも似ている。悪霊という超常現象が、「創作の神秘的な苦しみ」に置き換わっただけだ。

もしあなたが脱水症状で苦しんでいる場合、それは悪霊の仕業ではない。同じように、創作の神秘に直面した苦しみでもない(創作の神秘による苦しみは、ちゃんと別のところにある)。この状態は、物語が長編という形を取るのに必要な要素を把握していなかっただけの、単純な機能不全だ。まずは落ち着いて、水を飲んでほしい。

復活のスティーヴン・キング

またまた、パラレルワールドのスティーヴン・キングになりきってみよう。

オープニングもプロットポイントⅠもインサイティング・インシデントも、無自覚のまま決めていたあなたは、順調に第二幕に突入した!

……が、早速途方に暮れた。ジョージィの失踪がただの行方不明でないとして、それがどうしたんだ? 事件性があるとして、ビルはこれから、何をしていくんだ?

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のプロットポイントⅡが空白の場合①

物語は、主人公を原稿上≒画面上に映して進行する。主人公であるビルの行動がわからないというのは、物語の向かう方向がわからなくなったのと同義だ。つまり、何を書けばいいのかわからず、途方に暮れることになる。

ありがちな話として、別バージョンも紹介しておこう。

あなたは第二幕の、ほとんど終わりごろまで書き進めた(この事実は本当に素晴らしいことだ!)。ビルたちがペニーワイズに手酷い敗北を喫するところまで書き終わって……。これからの展開をどうするつもりだったか、自分の記憶を呼び戻す。

「ビルたちは、ペニーワイズともう一度戦うんだ。それを決意するのが、プロットポイントⅡさ」。一見、問題がないように思える。

ちなみに、「プロットポイントⅠは何とかなったし、あとはエンディングが決まってれば大丈夫だろ。エンディングでは、ペニーワイズが復活したらまた集まろうと誓うんだ。わかってるさ」と、パラダイムを軽んじた不届き者も、この先、同じ結果を辿る。

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のプロットポイントⅡが空白の場合②

こうなるのだ。わざわざペニーワイズと戦う理由、きっかけがない。

第三幕の内容も、エンディングも決まっている。けれどそれは、「この先何をやるのか」であり、「どうやってこの先へ行くのか」ではない。物語の行き先は見えているが、目の前には深い谷がある。この谷の存在を知らずに、第二幕の終わり近くまで書いてきてしまったのだ。

ペニーワイズに手酷くやられたビルたちは、仲間割れまで起こした。逃げ道だってある。何もかも忘れて、大人になってしまえばいいのだ。こんな状態で、何が楽しくて、もう一度、あの怪物と戦わなきゃいけないんだ? この谷を越えて向こう側へ行くには、橋が必要だ(勿論、目玉焼きの話をしても橋はかからない)。

ここへの回答が、プロットポイントⅡになる。

ベバリーがさらわれたなら、うだうだ言ってる暇はない。もう誰かを失うのは御免だ。ベバリーがさらわれたからこそ、意気消沈していたビルたちは、「このままではだめだ!」と、再び結集して、ペニーワイズにもう一度立ち向かう。

殺意満々でペニーワイズを倒しに行くのではなく、ベバリーを救う過程で、それが達成されるのだ。そしてペニーワイズを倒したからこそ、「やつが復活した時、また集まろう」と誓う、エンディングに到達できる。

起承転結と三幕構成

谷と橋の関係は、起承転結とターニングポイントの関係に近い。

起承転結は、起・承・転・結の4つの部分で、「何について書けばいいのか」という大まかな指針を示してくれる。三幕構成における文脈に当たるものだ。

『起』では「起」について書く。つまり「物語の始まりに当たる部分を書きなさい」ということで、三幕構成で言うなら「第一幕でオープニングと状況設定をやりなさい」ということだ。

起承転結を三幕構成の形で言うなら「状況設定葛藤解決」となる。が、これだけでは足りない。文脈と文脈の間には、先述の通り橋が必要になるんだ。

「起承転結」という文脈についての指針があっても、それだけでは向こう岸にわたることができない。文脈をつなぐプロットポイントの概念、橋のアプローチがないからだ。

次の幕へシフトできなければ、物語が完成しないのも仕方ない。起承転結が駄目だと言っているわけではなくて、それだけではカバーしきれていない考え方があることを、知ってほしいんだ。

■起承転結は、文脈について説明している

三幕構成について知って、「そういう要素からのアプローチもあるのか」とわかれば、起承転結で試してみて失敗したとき、その原因をこうやって考えることができる。

「深い谷を越える方法は何か?」という質問に「橋を見つけましょう」と答えるようなものだ。現象や原因、それに対する解決策というのは、言語化さえできていればればこのくらいシンプルなんだ。

プロットポイントが決まっていないとどれだけ悲惨な目に遭うかは、パラレルワールドのスティーヴン・キングが見せてくれた通り。似たような症状があったのなら、試す価値はある。

ぼくが以前イメージしていた起承転結

ぼくが三幕構成の概念を知る前、かつてイメージしていた起承転結はこういう具合だった。

「起で物語が始まり、承で物語が続き(展開され)、転で状況が変わり、結で終わる」

一般的に言われる内容と、大きな差はないと思う。

けれど、パラダイムを学んだ今、改めてよーく考えてみてほしい。このイメージだと、起は点、承は空間、転は点、結も点だ。つまり、起・転・結は特定のシーンを指し、承だけ、文脈を指していることになる。

指している部分、範囲がバラバラだから、「承ってなんだ?」となってしまうんだ。昔のぼくはここに引っかかって、起承転結をうまく使うことができなかった。

起承転結をこういった理解で「どこに、何を書くべきか」の指針にしてしまうと、きちんと機能させられない。そもそも起承転結は漢詩の構成を指したもので、小説や映画とは違う。

それだけだったら応用の範囲内だから良かったんだけど、本来ならどれも空間(文脈)について言及されていたはずのものが、いつの間にか、点についての話がメインになってしまっている。元の意味と変わってしまっているんだ。

この認識をパラダイムに当てはめると、こんな感じになる。

■間違った理解の起承転結をパラダイムに当てはめてみる

もうめちゃくちゃだ。全てが壊れしまった。

もしあなたがぼくのように、もしくはそれに近い誤った認識で起承転結をとらえていた場合、これで長編小説を書けというのは、あまりにも酷な話だと思う。

プロットポイントⅠは空白だし、そのせいで、第一幕と第二幕の境目が消滅してしまった。これでは各点の空間に何を書けばいいのか、全くわからない。点と点の間に作品ごとの文脈を設定できないから、自分の物語について知る足がかりにもできない(別パターンで、転と結がありえないほど近くにあるというのもある)。

起承転結を正しく理解していたとしても、プロットポイントに当たる考え方を補ってさらに具体化していく必要があるし、ねじ曲がった起承転結を目にしてしまっているのなら、早急に認識を改める必要がある。

どちらにせよ、あなたにとって三幕構成の手法を用いて構成を学ぶことが、今までとは違ったアプローチになることは確かだ。その効果は、ハリウッドが保証してくれているよ。

なぜあなたの執筆は、遅々として進まないのか?

どうして、あなたの執筆は遅々として進まないのだろう? その原因の多くは、先に挙げたもののどれかに分類される。

結局のところ、「次に何を書けばいいかわからないから、考えるのに時間がかかっている」という状態、自身の物語について「どこに、何を書くか」を、書けるほど具体的には知らないのだ。

シーンたちが頭の中にあっても、それらは水のように境界無くひとまとめになっていて、それぞれのシーンが断片的であることに気づけていない。だから「いざ次のシーンを書く段階で止まって、考えるために立ち止まって、思いつかなかったらお蔵入り」というムーブを取らざるをえない。

今は何を書けばよくて、それはどこに繋がって、次は何を書けばいいのか。これがはっきりわかっていれば、手が止まる回数は格段に減る。

「描写を考えているんだ」という反論もあるかもしれないけれど、描写は伝達する手段であって、伝達したい内容そのものではない。まず伝えたい内容があって、その先に手段があるんだ。書く内容を思いついていないのに、何を描写するというのだろうか?

エッチなおっぱいの描写を模索する前に、そのキャラのおっぱいの大きさを、あなた自身が知っておくのが先だ。大きいか小さいか、それとも普通なのか、まずそこをあなた自身が知っておかないと、そのおっぱいの魅力を伝える言葉だって、探しようがない。

シーンを一つ書くたびに、「よぅし、次は何を書こうか」とやっていては、時間がいくらあっても足りない。

2時間机に向かって1000字しか進まない理由なんて、「書く内容を考えていて、机に向かってはいるけど手が動いていなかった」くらいしかないんだ。そうでなければなぜ、あなたの純粋なタイピング速度と、実際の執筆速度が大きくズレるのだと思う?

もちろん、純粋なタイピング速度と執筆速度が、イコールになることはないと思う。けれど、その差を埋めることが生産性の向上であり、そのためにできることをしておくに越したことはない。

「次のシーンを考えながら書くのも、書くべきシーンをあらかじめ考えておくのも、順番を入れ替えているだけでトータルの時間は一緒なんじゃないか?」と思うかもしれない。けれど、予め何を書けばいいのか知ってから執筆するほうが、遥かに簡単で早いよ。

そもそもぼくらのような書き手にとって、「次のシーンを考えながら書く」というのは、かなり高度なマルチタスクだ。

人間はマルチタスクが苦手というのは一般的に言われるところで、「このシーンはお気に入りだから最高の文章を……、ああっ、でも、後の展開を考えるとここは……、あと前に書いたシーンとも矛盾しないように……」なんて考えていては、あっという間に身動きが取れなくなる。

テトリスをプレイしてからぷよぷよをプレイすることは、誰にでもできるだろう。しかし、その二つを同時にプレイできるだろうか? そして、プレイ精度を保てるだろうか?

考えるときは考えること集中し、その内容を形にするときは、形にすることに集中すべきなんだ。同時にやるからパフォーマンスは落ちるし、「矛盾したらどうしよう」とか、「あ、これだとおかしいな」なんてことがどんどん積もっていく。

これじゃ苦しいだろうし、想定外の障害物に躓いたら、ペースダウンどころじゃない。解決方法が思いつかなかった時点でお蔵入り、「未完フォルダ」にまた一つだ。これは避けるべき事態だよね。

それに、シーンを考えながら60分で1000字書くのと、予め30分使って考えたシーンを30分で1000字に起こすのと、どっちが「書けてる感」があると思う?

片方は60分で1000字の執筆、もう片方は30分で1000字の執筆。数字のマジックみたいだけど、それでも後者の方が、やる気も湧いてくるってものだ。

ここでは単純化したけど、実際にはマルチタスクをしない分、考える時間はもっと少なくて済むだろうね。そうなると、ずっと効率よく、楽しく執筆を進めていくことができるよ。

60分で1000字だと乗り気になれなくても、60分で2000字進む保証があるなら、まあ、やる気も出てくるんじゃないかな?

もしあなたが執筆速度についての悩みを持っているのなら、そこに構成の面からアプローチできることを覚えておいてほしい。

マルチタスクはしない。「考えながら書く」のではなく、「考える作業のあと、書く作業をする」。そしてこの、「何をどうやって考えればいいか」を理論立ててやっていくのが構成なんだ。

理論とはこういうこと

ここまでいろんな症状を、用語を使って説明してきた。そしてそれができたのは、こういう形で、あなたに三幕構成の基礎について、長いページを読み進めて貰ったおかげだ。

用語無しで原因と対処法の説明をしたら、すごくややこしい話になってしまうし、下手をすると、有用性どころか、必要性すらわかってもらえないかもしれなかった。

パラレルワールドのスティーヴン・キングには中々痛い目に遭ってもらったけれど、こんな風に説明できるのだって、あなたがきちんと、基礎を飛ばさずに記事を読んでくれたおかげだ。

3つの幕、文脈、パラダイム、こういったもの無しにプロットポイントの重要性を説いても、中々伝わらない。起承転結で書くときに頓挫しやすい理由も、理屈立てて説明していくと、三幕構成の基礎知識を知ってもらった上でないとできなかったんだ。

もしここまでの説明で重要性が伝わらなかったのなら、幾らでも頭を下げる。だけど、これだけは覚えておいてほしい。

必ずパラダイムを埋めてから、原稿に取り掛かってほしいということ。もし用意せず書けなくなった時は、まず、パラダイムをきちんと自分で埋められるかを確認する。それがそのまま、自身の物語について最低限知れているかを確認するチェックシートになる。

物語を書き始めるとき、「パラダイムを書ける程度には自分の物語について理解しているのか」が、最初にチェックすべきポイントなんだ。

次回は、パラダイムの実用例として、実写版『美女と野獣』を取り扱うよ。それじゃ、また次回!

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