4.3群像劇の取り扱い方

ADVANCEステップ

今回は、構成の視点から群像劇の取り扱いについてみていくよ。

この辺の話についても、できるようになったからね。群像劇の是非について見かけるたび、ほんとうにもどかしい気持ちを感じるんだけれど、文脈やサブコンテクストの概念をきちんと理解していない限り、ちゃんと説明するのは難しいんだ。あなたにはできるから、ほんとうに助かるよ。

群像劇の鍵はサブコンテクスト

「初心者は群像劇をやってはいけない」。こういう警句というか、アドバイスが広まったのも、サブコンテクストの考え方が薄いまま群像劇を書こうとした人が多かったのが、原因の一つにあるように思う。

サブコンテクストは「ここは、○○について扱うセクションですよ」というまとまりを、各シーンに持たせている。いわば、関連する出来事を並べているわけだ。これは、群像劇を書く上で生命線となる。

視点が変わろうが、サブコンテクストでまとまりを持っていれば、まとまりを感じられるものになる。そもそも、群像劇という書き方そのものが、特定の出来事を複数の視点でみせるという、ある種のサブコンテクストによって成立しているのだ。

ただし、視点や時間軸が一定の物語に比べると、作中のサブコンテクストが広いものを指した抽象的なものになりやすい。

群像劇で厄介なのはこの、肝心のサブコンテクストが、読者に明確に伝わりづらいという部分だ。

サブコンテクストは具体的なほど、物語を追いかけやすくなる。反対に、サブコンテクストが抽象的なほど多くの要素を含んでしまうため、扱う内容が広くなり、散漫な印象を与えてしまう。

第二幕全体のサブコンテクストが、『金田一少年が事件を推理する』と、『一つの殺人事件に対する、金田一少年を含んだ関係者の視点』では、カバーする範囲が全然違うだろう?

具体性が下がった分、後者の方がとっ散らかっている印象を受けるんだ。だから、サブコンテクストを明確にしてあげた方が、読者にはわかりやすい。

例えば「ほんとうに嫌な事件だった。あの頃は……」と、人物Aのモノローグが終わったとしよう。

視点が変化して、人物Bに視点が移り、過去の回想を始める。

「あの事件があったのは、○○年前だった」と、こんな風に入ってたとして、読者はさほど混乱しない。何故なら、「とある事件について」というサブコンテクストによって、まとまりを持っているからだ。読者も、「あ、ここからはその事件についての話をやるんだな」とわかる。勿論、人物Bが誰かという情報はきちんと必要になるけどね。

また別パターンで、人物Aのモノローグを終えて、人物Bの過去を、いきなり、回想ではなく、過去の事実をそのまま描写し始めたとしよう。

こうすると繋がりは少々薄くなるけれど、サブコンテクストでまとまっている以上、読者はその関連に、すぐに気づく。パラダイムによってふるいにかけられた、そういうシーンが集められているからだ。

映像をイメージしてもらえるともっとわかりやすいかな。「ほんとうに、嫌な事件だった。あの頃は……」なんて回想を始めたら、どんな頓珍漢なシーンが始まっても、その事件と、その事件があったころの話を始めたんだと、何となく察するよね? それで全く関係のない話をされたらそりゃびっくりするし、怒る。「一体俺は、何の話を見せられているんだ?」って。

反対に、「ほんとうに、嫌な事件だった。あの頃は……」というモノローグから、いきなりバナナを食べているシーンが始まったとしよう。バナナを食べている直後に事件が起こったのなら、バナナを食べているシーンは、「とある事件について」というサブコンテクストに関連しているので、まとまりを持つ。「あの凶報を耳にする直前、俺は家でバナナを食べていたんだ……」これなら関連している。事件の話もしないのに、ただバナナを食べているのを見せられても、読者は反応に困ってしまう。

視点が固定されていて、時系列が直線的な物語は、視点や時系列というまとまりを持っている。だから、サブコンテクストが曖昧でも、無理やり成立させてしまえる。サブコンテクストほどではなくとも、視点や時系列がシーンを関連付け、まとめているからだ。

しかし、サブコンテクスト無しで群像劇を書こうとすると、視点や時系列の代わりにまとまりを持たせていたものが無くなってしまう。

構成を全く知らず、普通の物語でサブコンテクストが明確でなくとも、視点や時系列によって「まだわかる」ものにはなる。けれど構成を知らない状態で、サブコンテクストまで知らないまま群像劇をやると、シーンたちは完全にまとまりを失ってしまう。まとまりのない無関連な出来事を、ただ見せられているように思えてしまうんだ。それは読者にとって、非常に強いストレスになる。

方角がわかっていれば移動だが、わかっていなければ迷子だ。サブコンテクストによるまとまりを失ったシーンを見せられると読者は、「一体何の話を見せられているんだ?」となる。楽しいはずの読書が徒労になってしまう。

なんの話をしていくのか、サブコンテクストをわかりやすくすれば、群像劇だって、読者を混乱させるようなものにはならない。「初心者は群像劇をやってはいけない」という創作ハウツーにも構成の視点ではこういう背景があるし、「じゃあどうすればいいか」もこんな風に説明できる。

場所も視点も違うシーンに切り替わったとしても、サブコンテクストという土台が、物語を地続きにしているんだ。

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