2-5.序盤を書けるようにしてくれる、親切な守護者

序盤が書けない人に知ってほしい概念 BASICステップ

「ハァイ、ジョージィ」

「もうだまされんぞ」

「えーっ、序盤から中盤のまでの繋ぎが、ちゃんと書けるようになるのに」

今回はこういう話。長編が書けない書き手にとって、序盤というのは最初の難所だ。

この記事は、リニューアル前に非常に好評だった記事のリメイクだ。『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の有名なあのシーン、「ハァイ、ジョージィ」のくだりは、実は物語の構成上、非常に大きな役割を持っている。あのシーンがなければ、物語は序盤でバラバラになってしまっただろう。

冒頭やプロローグはめちゃくちゃ気持ちよく書けたのに、そのあと急に書けなくなる。大体2万~3字あたりで、暗雲が立ち込めてきて、そのあと完全に執筆が止まる。中盤までたどり着けずに力尽きる、もしくは、中盤までに読者がいなくなる。

こういう現象に、心当たりはないだろうか?

この話を知らないと、序盤だけ書いて諦めた長編がまた増えることになる。それに、冒頭読んでくれた読者が途中で脱落する理由も、ここにあるかもしれない。そういう人には、とくに読んでみてほしい。

あのシーンの役割について理解することで、ぼくらにとっての最初の壁である序盤、オープニングからプロットポイントⅠまでの区間を攻略する大きな助けになる。ちょっとだけ、デリケートな話もするよ。

今回は今回は、序盤を書かせてくれる守護者の一人について学んでいこう。

ジョージィが下水に引き込まれると、序盤が書けるようになる

「ハァイ、ジョージィ」

「もうだまされんぞ」

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の、ペニーワイズがオススメするシリーズで有名なあのシーンだけれど、あのシーンは物語の構成上、必須となる機能を果たしている。

「まず最初に観客の関心を惹きつける」とか、「主人公の過去を見せる」とか、「魅力的な怪物(敵役)の顔見せ」とか、そういう役目も、確かにあるよ。けれどそれ以上に、構成上非常に大きな役割を持ったシーンでもある。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のオープニングでは、主人公ビルと弟のジョージィの関係が描かれる。風邪で外に出られないビルが、ジョージィに船を作ってやる。大雨の中、船を流して遊んでいたジョージィが怪異・ペニーワイズに命を奪われる。

しかしどうして、ジョージィが下水に引き込まれると、序盤が書けるようになるのか?

それは、主人公であるビル(ジョージィの兄)に行動が生まれるからだ。

オープニングからプロットポイントⅠまでの間、「ジョージィを探すため、荒れ地へ行く」というビルの行動、方向によって、物語がまとまりを持っていることに、あなたは気づいているだろうか?

第一幕の文脈は『状況設定』で、この区間では登場人物の設定や状況、舞台の説明を行う。これはここまでに勉強した通りだ。でも、ぶつ切りになったシーンを別々に見せているわけでも、設定資料集を見せているわけではなく、「まとまり」を感じさせる一連のシーンになっていることは、うっすら感じているんじゃないかな。

この第一幕のこの「まとまり」の正体こそ、「ジョージィを探すというビルの行動」なんだ。

ジョージィがペニーワイズに襲われてから、プロットポイントⅠである「行方不明とされていた女の子の靴が、下水で見つかる」までは、「ジョージィを探すために、荒れ地へ行く」という一連の行動をベースにして、各シーンが関連を持っている。

言い方を変えると、「無駄なシーンの無い、退屈にならないスリムな第一幕だなぁ」という印象を与えているのは、「ジョージィを探すというビルの行動」に関連付けて、人物や舞台の設定を見せているからなんだ。

ジョージィがペニーワイズに下水に引き込まれた。その出来事が物語に「ビルがジョージィを探す」という動きを与える。結果、ビルたちが下水で靴を見つけ「この町では何かが起こっている」と気づく地点、プロットポイントⅠまで、物語を動かしている。

プロットポイントⅠを目指して第一幕を書くわけだけれど、プロットポイントⅠへ行くための最初の動きを与えているのが、「ハァイ、ジョージィ」から始まる例のシーンなんだ。

序盤の守護神『インサイティング・インシデント』

この、「物語に最初の動きを与え、物語をプロットポイントⅠまで牽引する」機能を持つシーンのことを、『インサイティング・インシデント』(誘引する事件)という。これも脚本用語だ。ちゃんと覚えておこう。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』ではこのようにして、オープニングでインサイティング・インシデントを見せている。

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のインサイティング・インシデント

地下室から漂う不穏な空気、排水溝の中の道化師。そしてジョージィの死。興味を引かれる映像が続くため、「インサイティング・インシデントって、要は興味引きのインパクトのあるシーンのことでしょ?」と思いがちだが、インサイティング・インシデントは、構成においてそれ以上の意味を持つ。

このオープニングの出来事によって、ビルは弟を失った。死体は出ていないが、行方不明である。で、「あの時、自分がついていれば……」という気持ちを拭えないビルは、今でもジョージィを探し続けている。ここが重要だ。

オープニングが終わってすぐ、物語が動き始めているのがわかるだろうか?

弟はいなくなってしまった。けれど、死んだわけではない。死体が見つかったわけではないのだ。行方不明になったビルを見つけるため、ビルは周りの制止を聞かず、捜索を続けている。

本編を見ていくとわかるのだが、第一幕はビルがジョージィを探す過程を追いながら、この物語の登場人物や舞台、設定を観客にシーンで見せている。

■ジョージィを失ったことが、序盤の一貫性を作っている

この最初の動きを作るのが、インサイティング・インシデントだ。ジョージィがペニーワイズに殺されることによって、ビルに「弟を探す」という行動を起こさせている。このビルの行動が物語を次の地点、プロットポイントまで運んでいるんだ。

ビルが弟を探すという行動に関連付けて、人物や街の様子を見せる。そしてその結果、プロットポイントⅠに到達する。

第一幕に、ジョージィを失ったことに関連しないシーンはない。「ジョージィを探す」という行動の原因、舞台、今後の人物など、どれもが多かれ少なかれインサイティング・インシデントに関連し、プロットポイントⅠに至るまでの「物語の仮の目的」として機能している。

これは「画面に興味を引かれ続ける」状態を作るのにも一役買っていて、これらのシーンが「ジョージィの捜索」というまとまりをもっていることを、観客は感じ取っている。関連付けられた「脈絡のあるシーン」の集まりだからこそ、興味を失わずに見ていられるんだ。

あなたがもし映画やアニメを観て「キャラクターの設定を自然に見せているなぁ」と感じたなら、それはこれをやっているからだ。物語が前に動きながら、状況設定を行う。ここは作品が完成した際、「人物や設定を、物語の中で自然に伝えているなぁ」という印象を与えるベースになる。

インサイティング・インシデントもなしにキャラクターの日常を流すのは、できる限り(つまりあなたが断固拒否しない限り)やめた方がいい。それは本当に、何の方向性もない日常だ。

インサイティン・グインシンデントがあれば、読者にとってその作品を読み続けることは移動になる。いずれはプロットポイントⅠに至り、物語がさらに面白くなる。それは意味のあることだ。

しかし、物語の動きも向かう先もないまま文章を読まされるというのは、ただ歩かされるだけの徒労となってしまう。第一幕は面白い必要がある。けれど、あくまで第一幕なのだ。この後に控える本筋、あなたが本当に見せたい部分である第二幕へバトンタッチする役目がある。

もしあなたが物語に触れて、第一幕の間に「読むのが辛いな」と感じたら、インサイティング・インシデントきちんと設定されていて、かつ魅力的なものかを考えてみるのがオススメだ。

「ジョージィ生存ルート」は、序盤を完全に破壊する

インサイティング・インシデントはパラダイム上には記さないが、重要な要素だ。ここを考えていないと、必ず痛い目を見る。インサイティング・インシデントは「読者を離さない」なんて理由とはまた別、作者が物語を完成させるためにも必要なことなんだ。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の原作者、スティーヴン・キングになりきってみよう。映画版の脚本をキングが書いたわけではないけれど、細かいことは気にしない。

今あなたは、「町を覆うピエロの怪異と、それに立ち向かう少年少女の青春の物語」を書こうとしている。カタカタカタカタ……、タイピングの音が続く。流れていく船、排水溝のピエロ。いい雰囲気じゃないか。

しかし創作の神様のいたずらで、あなたの書いたジョージィは生き残った。家に帰ってきたジョージィは、ビルにお礼を言う。ビルは風邪を直して学校へ……。

ここまで書いて、あなたは気づく。「あれ……? これから何を書けばいいんだ?」。冒頭、いい感じのシーンが書けたのにいきなり途方に暮れるのがこのパターンだ。

オープニングがビシッと決まって、さぁこれからと思ったのに、これから何をすればいいのかわからない。

ジョージィは生きており、ビルが動き回る理由はどこにもない。「せっかくの夏休みなんだ。下水なんて行かずに、遊びに行くのが自然じゃないか? ううむ、どうしよう……」。

インサイティング・インシデントがなくなったことで、序盤が一瞬で壊れてしまった。

ジョージィが生き残ったことにより、ビルの行動が無くなった。プロットポイントⅠはあっても、プロットポイントⅠまで何をするか、何も決まっていない。次に何を描けばいいのだろうか? ビルの日常でも流せばいいの?

この状態が1週間も続けば、他の作品に取り掛かったほうが方が生産的に思えてくることだろう。もしくは、平和な夏休みを延々と流してしまって(後述するが、これはぼくが「目玉焼きの話」と呼んでいるものだ)、読者の関心を失ってしまうかだ。

こういう時、物語のためにジョージィを殺せと言っているわけじゃないよ(ぼくはスタンスとして、構成のためにもともと思い描いていた物語やキャラクターを犠牲にするのは大嫌いだ)。

「ジョージィが生存するなら生存するで、インサイティング・インシデントをちゃんと見つけて、それに沿って状況設定を行いましょう、その上でプロットポイントⅠを目指しましょう」と言いたいんだ。

序盤のゴールはプロットポイントⅠ。では序盤のスタートは?

疑問形で書いてみたけれど、「序盤のスタートはオープニングでは?」と思った人も多いと思う。これは結構合っているんだけど、そこそこ外れている。

確かに序盤のスタートはオープニングなんだけど、もうちょっと踏み込んで考えたほうがいい。オープニングで物語は始まるけれど、オープニングで物語が動き始めているかはまた別なんだ。つまり、オープニングがそのままインサイティング・インシデントになっているかは別ってこと。

あなたは、冒頭を書いた後、急に何を書けばいいかわからなくなったことはないだろうか? もしくは、冒頭の後の数シーンを書いて、何を書けばいいかわからなくなったことは? そしてその結果、執筆をやめた原稿はなかっただろうか?

オープニングがインサイティング・インシデントと必ずしもイコールではないのが、この現象を起こしている原因の一つとなっている。

印象的なオープニングや、人を惹きつけるマジ最高なシーンが書けたとして、そのオープニングは物語の最初の動きを作っている、インサイティング・インシデントだろうか? 

結構無自覚な場合多いんだけど、オープニングの段階で既に物語を動かしている物語と、そうでない物語がある。

例えば、『アナと雪の女王』ではオープニングで、氷を切り出す仕事をする男たちが、歌を歌っている。これはインサイティング・インシデントじゃない。何故なら、物語をプロットポイントⅠに向ける動きを作っていないから。

インサイティング・インシデントは、戴冠式のために城門を開くことだ。これが、エルサの魔力の暴走を引き起こし、結果的にアナの冒険が始まる。

オープニングをやり、エルサが魔法でアナを誤射してしまう一連のシーンをやり、さらに時間の経過を知らせるシーンを入れた後、ようやく戴冠式の話が出る。結構後の方だ。

あなたがオープニングを書いたとき、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のように、物語の動きが生まれていれば、ここは問題にならない。

けれど、『アナと雪の女王』のように、オープニングがインサイティング・インシデントになっていない場合、別途そのシーンを設定する必要がある。でないと物語は「プロットポイントⅠまでの間に、何に関連付けてキャラや舞台の設定を見せればいいのか」という指標を失ってしまう。オープニングを書いた後、急に何を書けばいいかわからなくなる現象は、多くの場合ここが原因となっている。

物語の最初の動き、それも、プロットポイントⅠに向けたものを見つけ、そのシーンを書く。でないと、物語を本当の意味で動かし、スタートさせることはできない。あなたの物語にとってのインサイティング・インシデントを見つけることは、序盤を書くための要だ。

コレラにかかったとき、あなたは生き残れるか?

構成を学ぶことの非常に有意義なことの一つに、トラブルを言語化できるようになるという利点がある。

ぼくとメールでやり取りした人の中には、心当たりのある人もいるかもしれない。さっきのジョージィ生存ルートのようなケースは、問題点を言語化できていない限り「冒頭を書いたら、いきなり書けなくなるんです」としか表現できないんだ。

言語化できないと、原因がわからない。原因がわからないと、治療もできない。反対に、原因を言語化できるならば、それは十分解決可能なものだ。

然るべき知識があればこのケースだって「あ、インサイティング・インシデントを決めていなかったせいで、次にどんな行動を見せていけばいいのか、わかっていなかったんだな」と、冷静に対処できる。

漫画、『JIN-仁-』を読んだとき、近しいものを感じたのを覚えている。主人公がタイムスリップした江戸では、コレラが大流行していた。コレラは対処法を知らないと、容易に人の命を奪う。コレラが人命を奪う直接の原因は、下痢と嘔吐による脱水症状。ただそれだけだ。が、放置は命取りとなる(重症のコレラを無対処のまま放置した場合、死亡率は80%だそうだ)。

恐ろしい感染症だけど対処法はシンプルで、水分をきちんと接種すること。誰にでもできることだ。

物語を書く上で躓く問題は、どれも「完結させることができない」という、作品にとって致命的な症状を引き起こす。けれどそれは、躓いている問題が明確になっていないからだ。そこが明らかになっていれば、恐れるものではない。

放置すると致命傷になるが、対処法は単純。執筆が止まる原因とそれに対する対処の関係は、こういう具合だ。だから、どこで躓いたのかきちんと言語化できるだけで、躓く可能性はぐっと減る。

物語の構造について知り、言語化できれば、「原因不明の執筆不能病」は「インサイティング・インシデントが決まってないだけ」となり、処方箋は「じゃあ、インサイティング・インシデントを決めよう」だ。

少し横道に逸れたけれど、構成について学ぶというのは、トラブルを解決する能力を飛躍的に高めてくれるんだ。

今回は、あなたの物語の序盤を繋ぎとめてくれる守護神について紹介した。次回は、ちょっと(つまりかなり)厄介な、もう一つのインシデントについて学んでいこう。