4.7「負ける気がしないパート」を書ける場所は2つ

A&Cステップ

映画やアニメを観ていて、「負ける気がしないパート」というのに、覚えはないだろうか?

例えば『マトリックス』を見ているときに、「あ、この感じは絶対、銃弾なんて当たらないだろうな」とか、『天元突破グレンラガン』を観ていて、挿入歌が流れている中「この間は絶対負けないんだろうな」って。ジョジョ五部で例のBGMが流れたら、もう負けはないだろう。

とにかく、負けるとか、致命的なダメージを負う気がしない部分だ。何も考えずに、目の前のシーンを楽しめる、敵を倒していくところを楽しめる部分。これも、BS2に当てはめれば、場所は限られてくる。

第二幕前半、つまり『お楽しみ』のセクション。もしくは第三幕だ。

■『お楽しみ』か、『解決』か

『お楽しみ』では、そのシーンが単なるセット・ピースだったり、読者の期待に応えている最中だから、致命的なことは起こらない。『マトリックス』の訓練シーンはモーフィアスに何度も負けるが、かといってネオがコテンパンにされて立ち直れないような流れは、想像できないだろう。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のようなホラーでも、ペニーワイズに震え上がらされることはあっても、仲間が致命的なダメージを負うことはない。彼らからすれば数々の怪奇現象は恐怖でしかないが、ぼくたちにとってそれは、安心して見ていられる、「お約束」の恐怖だ。

では第三幕ではどうか。

第三幕は、決意を終えた、その結果を見せる世界だ。メタ視点だが、ここでいちいち致命的なダメージを受けていては、物語が終わらない。それに、覚悟を決めた主人公、分裂を乗り越えて団結した仲間というのは、敵が強大であっても、立ち向かっていける。

『マトリックス』でネオは、警備の人間から、一発の銃弾を受けることもなくビルの入り口を突破した。覚悟を決めたヒーローの力を見せる部分だから、弾丸なんて当たるはずがない。

では、そのあとは? エージェントのように動き、弾丸を躱したとき、ネオはすべてを避けきることができなかった。

確かにそうだ。けれど、ネオはそれで気を落としたわけではない。自分が救世主か救世主か、そうでないかなんて、もう関係ないのだ。そういう話は、第二幕の世界で終わったのである。

「どこにでもいる普通の男」が、「道を知ることと、実際に歩くことは違う」と、自分を信じることを決めたのだ。いまさら銃弾を避けられないからといって、何を気にするだろうか。覚悟はプロットポイントⅡで終えているのだ。

『タイタニック』のように、その覚悟の結果、誰かを失ってしまうこともある。が、少なくともローズが救命ボートを降りてタイタニック号に戻ったあの瞬間は、誰にも邪魔できないだろう。ついさっきまで脅威だった意地悪な婚約者は、もはや小さなお邪魔虫でしかない。銃も策略も、二人には通用しない。船が沈没し、その先でジャックを失ったのは、あくまで物語が解決に向かった結果だ。

勿論、第三幕内でも波はあるし、危機的な状況にも陥る。『マトリックス』でネオは一度命を落とすし、『タイタニック』だっていよいよ船が沈み、海に放り出される。けれどそれらは、第二幕前半の時と同じように、超えられるものなんだ。

なぜ超えられるのか?それは、プロットポイントⅡがあって、主人公が変化したからだ。変化をしたからこそ、第三幕の困難に立ち向かうことができるし、それを乗り越えることができる。

■負ける気がしないのには理由がある

第三幕の文脈は『解決』であり、それまで積み上げた物語の結果を、順に見せていく部分なのだ。第二幕後半で主人公はどん底まで落ちて、絶不調になった。しかし、立ち上がることを決めた。ならば、その先が楽しいシーンであってもいいんだ。

第二幕前半が、『お楽しみ』として「ただ楽しい」であったセクションだったのに対し、第三幕では「辛いシーンを乗り切ったから楽しい」という形で、思いっきり、主人公たちを暴れさせることができるというわけ。

また副次効果として、今まで以上に敵を強く、悪くすることも可能になる。

第三幕に入った主人公を止められるものは、何もない。敵がどれだけ強くても、覚悟はもう済ませてある。だからこそ、あなたはどこまででも敵を強くすることができる。

第二幕の後半、敵は強かった。それゆえに主人公は膝をつき、打ちひしがれてしまった。けれど第三幕ではもう、そんなことはない。強大な敵にぶつかる覚悟を主人公が決めたからこそ、敵がどれだけ強くても、物語が中断したり、止まったりすることはない。

だからこそあなたも、敵役のキャラクターの力を最大限強めて、戦わせることができる。負けない主人公になったからこそ、敵が強すぎても、物語がそれに耐えられるのだ。