ぼくが構成を学んで間もないころ、大学の頃の友達と、2人でお昼を食べに行った時の話だ。朝から遊んで、近所の中華料理屋で、担々麺と回鍋肉ご飯のセットが来るのを待っていた。彼が言った。
「前、テレビつけたら映画やっとって観たんやけど、なんやかんや最後まで観てまってさ。タイトル知らんのやけど」
「どんな話よ?」尋ねると、彼は映画の内容を話してくれた。「なんか、飛行機が川に不時着する話なんやけどさ」
ぼくはピンと来た。『ハドソン川の奇跡』という、実話をもとにした映画だ。本編を観たわけではないが、レンタルしたDVDに予告編が入っていたのだ。
そしてふと気になって、その場である実験をすることにした。予告編によればあの映画は、英断によって不時着を選んだ旅客機パイロットが、その決断に疑惑の目を向けられるという話だったはずだ。
「不時着したのって、始まってどの辺よ?」
「割と最初の方やったと思う」
「それから結構な尺で、不時着してから主人公がどんな目に遭うかをやってた?」
「そうやね。そこが焦点って感じやった」
「観てないんやけど、もしかしてこういう話だった?」
物語の真ん中ごろ、事態がさらに悪くなるか、事態が一番マシになって、それからある程度経ったら、物語が終わるきっかけになった出来事が起こらなかったか。そういったことを、彼に尋ねた。彼は「観たことあるん?」と言って、ぼくは「予告編だけ観た」と答えた。それから料理が来たので、二人でいただきますをした。
食べながら映画の感想を聞いて、その話題はひと段落した。あとは男同士の馬鹿話しかしなかったが、この時のやり取りは、非常に大きな発見をもたらしてくれた。
何の気なしに「どんな話なの?」と聞いただけだったが、この質問は、第二幕の内容を聞いたものだったのだ。
第二幕の内容がわかれば、パラダイムの一部を埋めことができる。第二幕の内容がわかれば、そこに入ったきっかけがわかるし、そうなれば、そこまでの下準備が第一幕だ。第二幕の内訳としては、前半で観客の期待に応え、後半で状況を悪くする。解決に入ってからが第三幕。
こんな風に、第二幕の内容がわかれば、あとは芋づる式に、内容を引き出していけるのだ。
シド・フィールドのテーマの定義、「誰が、何をする物語か」も、内容を端的に表すログラインの考え方も、スティーヴン・キングの「もし○○が○○だったら?」も、根っこでは繋がっている。
ご飯を食べたときぼくは、「どんな話なの?」と、何も考えずに聞いた。
別の友達(大学の後輩)に会ったときは、「誰が、何をする話なの?」と聞いた。効果は同じで、その時の話題は彼が書きたいと思っている物語についてだったから、こういう聞き方をした。誰かの物語を理解しようとするのなら、こう聞くのが一番早いと思う。『お楽しみ』の内容さえわかれば、パラダイムを書いてしまえる。
そりゃそうだ、この質問は物語の主題を聞いていて、かつ、遠回しにログラインを聞いている。ログラインはその物語について端的に表したものなのだ。ログラインがあれば、第二幕前半と第一幕に書くべきことがわかる。第二幕前半がわかれば、後半もわかる。あとは、それまで積み重ねてきた物語を解決すれば、第三幕の完成だ。はい、一丁上がり。
これが、「その物語のテーマを教えてくれよ」ではこうはいかない。物語のどういう要素を『テーマ』という言葉で表すか、人によって異なるからだ。かといって、「その物語のログラインを教えてくれ」と聞いても、普通の人はそんな言葉を知らない。嫌味な書き手だと思われるのがオチだ。
自身の物語について自分自身に聞く時は、「もし自分の物語を、『もし○○が○○だったら?』に当てはめて表すとどうなる?」が、一番良いね。会話の中で出すにはいささか不自然だけれど、自問自答する分には問題ない。ここが一番ピンポイントに、第二幕の、それも前半の場所を教えてくれるからね。
より深く自分の物語について知りたいのなら、「誰が、何をする物語か」と、ログライン、「もし○○が○○だったら?」をどれも埋めてみると良い。誰が何をするかという、物語の中で描くべきアクション(行動)と、どんなシーンを読者が期待するか、それをどう表せばいいかを、掴みやすくなる。