3.3「日常シーン」という分類は構成には存在しない

CUNNINGステップ

さて、ここまで読んできて、薄々感じている人もいるだろう。物語を構成の面から見た場合、「日常シーンはどこに入れればいいの?」という質問は、かなりズレた質問なんだ。

(念のため断っておくが、あなたが過去、ぼくにそういう質問をしていても、気に病む必要は全くない。ここまであなたが学んできた面倒で複雑で難しい概念を、常識として求めるような奴だなんて思わないでくれ)

「主人公に焦点を当てた部分」という分類で日常シーン取り扱うのであって、日常シーンをどこに入れるかという話をいきなりしても、仕方がないのだ。

日常シーンが必要かと言われれば、極論、そんなものは要らない。けれど、主人公に焦点を当てたシーンは必要だ。その手段として日常シーンが使われるのであって、日常シーンを書くことそのものは、目的ではない。

序盤に日常シーンを書きたいときの目安

第二幕の前半に日常を描けるスペースはあるが、これだって、「日常シーンを書くための場所」としてあるわけではない。第二幕の世界を説明するため、「第二幕の世界における日常」を見せるためであったり、「『サブプロット』や『お楽しみ』としての日常シーン」を見せているだけである。あくまで日常シーンというのは、他の目的を果たすための手段なのだ。

中盤に日常シーンを書きたいときの目安

読者に見せるべきものがあって、「日常を通して見せたい情報」があるのであって、日常を見せることそのものが目的なわけではない。

『君の名は』で、第二幕に入ってすぐ、『前前前世』と一緒に、入れ替わった二人の日常が流れ始める。が、これはBS2の観点から見ると「もし田舎の女子高生と都会の男子高生が入れ替わったらどうなるか」という読者の期待に応えるセクションであり、サブコンテクストの一環として日常を流しているのだ。「日常シーン」という分類で配置されているのではない。

これは、長期連載モノでも変わらない。『アイシールド21』でNASAエイリアンズが日本に来て、セナたちと栗田の寺で寿司を食べるシーンがあるが、あれだって、「もし外国人チームがデビルバッツと戦うことになったらどうなるか」という期待に応える部分であって、「次の試合までアメフトはしないから、繋ぎで日常シーンをやろう。そうだ、ついでに、エイリアンズと出会って寿司を食べて貰おう」ではないのだ。

このように、「日常シーンはどこに入れればいいんでしょうか?」という質問は、構成の観点では非常にズレた質問なわけ。

日常シーンをどこに入れるかではなく、どんな情報を日常シーンを通して伝えるか。読者がどんな事を期待していて、それをについて、どんな日常シーンを通して応えるか、こういう見方をしない限り、そのシーンをどこに入れればいいか、正確な判断はできない。

文脈やサブコンテクストを日常を通して伝えるのであって、日常を見せるために日常を見せるのではない。ここを勘違いすると、日常を見せた後、書くことが分からなくなってしまう。

その日常シーンを通して何を伝えたいのか。ここをわかっていれば、配置場所は明らかになる。反対に、その日常シーンが構成上どんな意味を持っているか自分自身で知らない限り、適切な場所を見つけることはできないんだ。