3.2第一幕の何ページ目に、何を書けばいいの?

CUNNINGステップ

正直、書き方のハウツーというのは、第二幕にフォーカスされることが、非常に多い。なぜかというと、第二幕が長くて、書くのが大変だからだ。

けれど、長編が書けない人が最初に躓くのは第一幕だ。第一幕では、やることが山ほどある。状況設定をシーンに変換して見せる、この膨大さと、膨大さからくる呆然で、何をしたらいいのか、わからなくなってしまうのだ。

やることはいっぱいある気がする、けれど、まず何をすればいいかわからない、とね。

持っておきたい本、いつかやりたいと思ったまま積んだゲーム、捨てるには勿体ない家電製品……、ああ、全部捨ててしまえたら、どれだけ楽だろうか。けれど、そんなわけにもいかない。あなたが扱いに困っているのは、大切な物語の設定とキャラクターたちなのだ。なんとか片付けなければ。

散らかった部屋を整理するとき、まずやるべきは、どこから手を付けるか決めることだろう。あなたはBASICで、読者に見せておきたいキャラクターと設定を『状況設定』に振り分けることを覚えた。家にある「整理したいもの」をとりあえず、一つの部屋にまとめた形だ。ここからは、部屋のどこにそれらを収納していくか、判断していくことになる。

そしてその方法は何も、BS2に限った話ではない。第一幕の大変さはシド・フィールドもわかってくれていたようで、そういったガイドも、示してくれている。カンニングというには、随分と王道寄りの話にはなるけど、大いに参考になる。

BS2とは比率が少し違うように思えるけれど、やっている内容は、大きく変わらない。目安の一つだと思って、読んでいってほしい。

ここでは、第一幕のカンニング・テクニックについての話をするよ。

第一幕の、最初の33.3%

読者の関心を引き、心をつかみ、続きを読ませる。冒頭は大事。BS2の項目でも言ったが、改めて言わせてもらおう。

ぼくは割と、世の創作に関する話題に懐疑的なことが多いのだけれど、こればっかりは同意だ。冒頭は大事だ。

そしてぼく自身、冒頭が大好きだ。冒頭を読むのは楽しい。「無根拠で創作のアドバイスをしていい」と言われたなら、最初にしたいのが、「冒頭は出オチでいいからインパクトを最大で!」だ。

理由? 冒頭が面白そうなら、少々なら頑張って読み進めてしまえるから。第一幕にちょっとくらい無理があっても、冒頭の面白さがどこかであるなら、信用して読めるから。

そりゃ、冒頭で本当の出オチをやっちゃて失速、煮ても焼いても食えないなんてこともあるけれど、冒頭がつまんないよりマシだ。それくらい、超々々々大切だと思っている。

そして、インパクト与えながら、他にやっておくべきことというのがある。それがそのまま、何を書けばいいかの指針となるんだ。

シド・フィールドは、最初の10ページ(つまり、第一幕が始まってから、33.3%の地点までの間。映画で言うと、最初の10分)で、3つの事を読者に示すようにと言っている。

  1. 誰についてのストーリーか?……主人公は誰か?
  2. ドラマ(物語)の前提は何か?……何についてのストーリーか?
  3. ドラマ(物語)の背景となる状況は?……ストーリーが始まる時に、主人公にどんな力 が働いているのか?

この3点だ。

■まず書くべき3つのこと

これについては、フィールドも著書の中で例に出した『チャイナタウン』が、引き合いに出す映画として適切だろう。古い映画だけれど、「主人公の日常を完璧なタイミングで描いている」という点で、興味のある人は多いはずだ。現代の日本人が見るには、ちょっと題材が縁遠いのがネックなんだけどね。けど、ジャック・ニコルソンが主演(若い!)の乾いた感じが中々良い映画だから、是非見てほしい。

『チャイナタウン』は、ロサンゼルスの水源にまつわる、陰謀の物語だ。

物語は、探偵が作業着の男に、浮気調査の結果を告げるシーンから始まる。細かい動作で探偵の性格を表しながら、作業着の男を送り出す。すると次の客がやってきた。主人公はこの探偵で、名前をジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)。客は女性で、名をモウレーと言った。「主人には、女がいるんです」またも浮気調査だ。

詳しい事情を聴くうち、彼女の夫が、水力事業局の施設部長、ホリス・モウレーだと判明する。ギテスは依頼を受けた。これが彼の仕事なのだ。

そしてすぐ、市長が演説しているシーンに移る。ロサンゼルスが今、深刻な水不足にあると言っている。飲み水の話をしなければならないくらいには、水がない。しかし市長のプレゼンによれば、街の近くにダムを作くれば水不足は解決するらしい。ギテスはそれを退屈そうに見ている。

市長が話し終えると、「では、関連当局の意見を聞こう」と紹介され、ホリス・モウレーが話を始める。

「お忘れらしいが」モウレー氏は語る。その表情は険しい。かつてあるダムの決壊によって、多くの人が亡くなった。その原因は地盤の脆弱さにあった。同様にロサンゼルスの地盤は脆く、市長の言うような計画では、必ずまた、決壊が起こる。建設は不可能だ、自殺行為だ、と。

聴衆からはブーイングが起こる。聴衆たちからすれば、モウレーは水不足を解決してくれるダム計画を妨害しているようにしか見えないのだ。

そして突然、羊の群れが乱入してくる。農民たちが、家畜を連れて押し寄せてきたのだ。

議長が羊を追い出すように叫ぶが、農民は言う。

「どこへ追う! どこで羊を飼うんだ!」そしてモウレー氏に詰め寄って続ける。「水を奪い、草を枯らし、家畜を殺す! それで平気なのか、答えろモウレー!」

こうしてシーンは、ロサンゼルスの河にいるモウレー氏を監視する、ギテスの姿へ移行する。

これが最初の10分だ。シド・フィールドは完璧だと言っていて(脚本の段階ではギテスの性格を表すしぐさであったり、物語の教訓を示すようなセリフも入っている)、ぼくもそう思う。

まず、浮気調査のシーンで、ギテスについて、主人公が誰かについて明示している。彼の仕事は探偵だ。浮気調査なんてことをする、人の暗い部分に踏み込む、そういう商売に耐えられる人間であること、そして、作業着の男と対比するかのように、白のスーツをカッチリ着こなすような性格であるとが示されている。男を落ち着かせるために酒を出したが、その態度、話し方はどこか事務的だ(小説でもそうなのだが、こういう部分で、読者は人物の性格を感じ取るのだ。このシーン単体ですら、人物描写の出し方の参考になる。人物をどういう文章で書くかと同じくらい、人物のどういう動きをピックアップして書くかが重要なのだ)。

モウレー夫人がギテスに、ホリス・モウレーの浮気調査を依頼するというのが、ドラマの前提である。これはインサイティング・インシンデントで、「第二幕が始まるまで、この内容について話をしていきますよ。第二幕、物語の本筋の、前提になるものがこの出来事ですよ」ということを、示している。こういう出来事から、第二幕に入っていきますよ、という、前置きだ。ドラマの前提という言葉は、「前置き」と捉えてもらうと、わかりやすいかもしれない。

そして場所が変わって、市長の演説をギテスが見ている。乱入してきた農民が、この物語がどういう物語か、端的に示している。「水を奪い、草を枯らし、家畜を殺す! それで平気なのか、答えろモウレー!」。この物語がロサンゼルスの水源をめぐる物語であると、的確に見せている。そして現在、どういう力がギテス、ひいてはロサンゼルス、つまりこの物語に対して働いているのかを、明確に見せている。

物語が本格的に始まる前『チャイナタウン』という物語の背景は、どんな状況か? 水不足に陥ったロサンゼルスで、探偵のギテスが、浮気調査を依頼される。こういう事情で、物語が進むのだ。それをたった10分で、シーンに起こして見せている。

  1. 誰についてのストーリーか?……主人公は誰か? 
  2. ドラマ(物語)の前提は何か?……何についてのストーリーか? 
  3. ドラマ(物語)の背景となる状況は?……ストーリーが始まる時に、主人公にどんな力 が働いているのか?

最初にこれらを見せないと、読者は興味を失ってしまう。

なぜか? それは、これらの要素がないと、「主人公が誰で、何についての話で、どういう事情で何が始まるのか」が、わからないからだ。

そんな状態で読み進められる人はいない。世界に物語が一つしか存在しないなら大丈夫かもしれないが、周りには、それをわかりやすく教えてくれている作品が山ほどあるのだ。読者はそちらに流れていってしまう。何について書いてあるのかもわからないのに読み進めるほど、読者は我慢強くない。

最初の33.3%はかくあるべき、という話は、裏を返せば「最初は何を書けばいいの? 何か、ガイドはないの?」という質問に対する、これ以上ない回答になる。

読者は、上の①②③を知りたいのだ。もし何を書けばいいのかわからなかったら、①②③についてのシーンを書けばいい。あなたが書くのは小説だし、この比率に縛られる必要はないけれど、「ここを押さえておこう」という指針がこういう形で存在するのは確かだ。

まずは読者が知りたい、物語についての情報を示す。そこに作品の空気を表す何かが入っていれば、なおよくなる。

3つの条件を満たしながら、読者の注意を惹きつける

ナレーションによって始まる『バイオハザード』も、例として挙げておこう。

映画が始まってすぐ、ナレーションによって、アンブレラ社の説明が入る。世界有数の製薬会社であることと、裏ではその利益の大半を、遺伝子実験やウイルス兵器の開発によって得ているという事実についてだ。

これを小説でやることが許されるかどうかは、賛否が分かれそうなところだ。けれど、すぐに済ませるのなら、ぼくはアリだと思っている。地の文で説明するような形になってしまい、映像的ではないが、製薬会社や細菌兵器という部分から漂う災害の匂いは、然るべきターゲットにとっては非常に魅力的だ。

で、案の定、何者かがウイルスを研究所内にばらまく。これはアンブレラ社の陰謀についての物語であり、物語が始まる前にどんな力が働いているのか、これからのシーンを観ていく人に知っておいてほしい、前提となる情報をここで示している。

それに、作品の空気もばっちり伝わってくる。巨大製薬会社、ウイルス兵器、そして、エレベーターのシーン(無耐性の人には割とショッキングなので詳細は伏せる)やガスによる、この映画における人命の軽さ。興味を引き付けられる冒頭としては、かなり秀逸だと思う

夜、チャンネルを変えていて、あのエレベーターのシーンを見かけたら、もうチャンネルは変えられない。釘付けだ。

わりかしお金のかかったホラー映画は、こういう傾向がとても強い。おそらく、観る層がジャンクに刺激的なシーンを求めているからだろうね。それに、どんな怪物が出るかというのが作品を差別化するポイントになるから、そういうところを前面に押し出していることが多い。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』や『死霊のはらわた(リメイク版)』なんて完璧だ。「どんな怪物が出るんだ?」ぼくだったらまず、ここを知りたい。それにいきなり応えてくれるんだ。第二幕が始まるまで怪物が影も形もないなんて、そんなの御免だね。

怪物の怖さを端的に表してくれていると、更に良いよ。どんなシーンを楽しみにしていればいいのか、ワクワクしながら観られるからね。こうやって興味を引いてくれると、第二幕に入る前、物語が本題に入る前でも、すごく楽しいんだ。

ホラーやグロに耐性のある人は『死霊のはらわた(リメイク版)』を是非とも観てほしい。オープニングで怪物を見せてくれたおかげで、第一幕全体に、良い緊張感が生まれている。

「エリック、やめろ、待て、その呪文はやばい! やばいって! あいつが来るって!」こんな風に思いながら、第一幕を楽しめる。

※それなりにショッキングなので、『死霊のはらわた』の予告編は埋め込まない。このリンクから、耐性のある人だけ見てほしい。

「もしオープニングで怪物を見せていなかったら、第一幕の緊迫感、楽しみは、どれだけ失われていただろうか?」。こう考えてみるのは面白いよ。オープニングのインパクト、興味引きにおいて、すごく参考になる。ただし、耐性のない人にはグロ表現がかなりキツイから、そこだけは本当に気を付けて。『バイオハザード』を観ながら、おいしく食事が取れるくらいの耐性が目安だ。

耐性のない人は、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』や『マトリックス』でチェックしよう。あのオープニングがなかったら、どこまで緊張感、面白さが失われてしまうかを考えてみる。興味引き、インパクトは大切だ。

さて、これでやることが増えたね。

  1. 誰についてのストーリーか?……主人公は誰か? 
  2. ドラマ(物語)の前提は何か?……何についてのストーリーか? 
  3. ドラマ(物語)の背景となる状況は?……ストーリーが始まる時に、主人公にどんな力 が働いているのか?

この3点をこなしながら、読者の興味を引ける、インパクトのある冒頭を作らないといけない。使える尺は、第一幕の33.3%まで。

両手に料理をもって、お客さんの注文まで聞いて、レジ打ちまでしなきゃいけないんだ。え、店の外に列ができてる? あと30分で今日のシフトは終わりだっていうのに! 

暇ならホールで呆然としているしかないが、忙しいなら話は別だ。時間はないが、やることは沢山ある。

第一幕の、次の33.3%

次にすべきことは、「主人公に焦点を当てる」だ。

『チャイナタウン』ではここから、ダム建設に反対する水道局の施設部長、ホリス・モウレーを監視するギテスの一日が描写される。

モウレーは河のあちこちを見て回る。半日待ったモウレーは、水不足だというのに、貯水池から川へ水が棄てられている事実を確認する(監視していたギテスも、同様にそれを知る)。夜も更けてきたので、ギテスはモウレーの車のタイヤの下に時計を置いて、その日の監視を切り上げた。このときの時計を自身の車から取り出すとき、ギテスは車に挟み込まれていたチラシを見つけ、くしゃくしゃにして捨てる。「ロサンゼルスに生命の水をダムに一票を」と書かれていた。

翌朝、壊れた時計を確認すると、時刻は二時前を指している。そんな深夜まで、モウレーは河にいたのだ。なんの調査をしているかは知らないが、ギテスには関係ない。自分の仕事は浮気調査なのだ。そして、いくつかのシーンを経て、モウレー氏が女と会っているところを写真に収める。

ここまで、ギテスの探偵としての日常を見せながら、物語を牽引したわけだ。彼の仕事、一日、生活がわかる。探偵という仕事の内容を、シーンに変換して観客に説明している。

これはインサイティング・インシデントを通して、主人公の日常を見せている好例だ。主人公の日常を描写するならば、第一幕の、33.3%~66.6%の間が望ましい。

第一幕の33.3~66.6%、この範囲では、「主人公に焦点を当てる」のだと、フィールドは言っている。

日常シーンがここに入るという捉え方ではなく、「主人公に焦点を当てた結果、主人公の日常を描くことになる」、という認識をしてほしい。

最初の33.3%は、すべきことがたくさんある。けれど主人公について、観客にはもっとたくさん知っておいてもらいたい。探偵としての姿は、この物語を追っていく上で必ず知っておいてほしい事前情報だ。そういう姿を、ここで描写する。

■次は、主人公に焦点を当てる

『マトリックス』でもそうだ。10分を過ぎたところで、ネオの日常について描かれる。会社に遅刻し、上司に怒られる。パーテーションで区切られた、デスクも描写される。

『ショーシャンクの空に』でも、刑務所に送られた主人公、アンディが、刑務所で生活していく姿について語られている。これはこの物語の前提となる、刑務所の仲の暮らしを説明したものであり、これからのアンディの生活について説明している部分だ。観客はアンディと一緒に刑務所に入り、アンディと同じ情報を得る。年単位で時間が経過するこの作品において、毎日がどんな様子で進行していくかを示しておくのは、大切なことである。

この部分で主人公に焦点を当てるというのは、考えてみれば当たり前の話だ。

主人公は誰で、どういう設定、前提、事情があって物語が始まるのかを示し、何についての物語かを最初の33.3%で見せた。そしたら、「じゃあ、主人公はどういう人なの? どういう一日を送るの? 人間関係は? どんな人なのか、もう少し教えてよ」と、読者は気になる。その疑問に、答えてあげないといけないのだ。

第一幕の、最後の33.3%

第一幕の最後の33.3%は、プロットポイントⅠについて書く。第一幕の最後がプロットポイントⅠな以上、これは当たり前だよね。

■最後は、プロットポイントⅠについて

『チャイナタウン』で、ギテスが翌朝新聞を見ると、ホリス・モウレー氏が浮気したというスキャンダルが、一面を飾っている。自分が撮った写真と一緒に。どういうことだ? 新聞社に、この写真を売った覚えなどないぞ。

そんな疑問があるまま、事務所にある女性がやってきた。知らない女だ。

「私はイヴリン・モウレーです。モウレー婦人よ」彼女は続ける。「初対面ですし、あなたに主人の監視など依頼していません」

彼女こそ、ホリス・モウレーの本当の妻である。では依頼主の女は? そう、ギテスは嵌められたのだ。

弁護士と一緒に彼女が立ち去るとき、ギテスは訴状を渡される。探偵のライセンスを剥奪され、仕事を失うかもしれないと告げられるのだ。

誰かが自分を嵌めた。水道局の施設部長のスキャンダルを狙う何者かに、いいように使われたのだ。誰が、なぜ? 

これがプロットポイントⅠであり、キイ・インシデントだ。物語はここまで、ホリス・モウレーの、浮気調査についてだった。しかし、ここからは違う。

ギテスはここをきっかけに、自分の立場、面子、資格を守るため、この物語の本筋、葛藤である「ロサンゼルスの水源をめぐる陰謀」について、探っていくことになる。

ギテスの職業、浮気調査を依頼してきた女性、ロサンゼルスの水源。ぱっと見無関係に見えた出来事が、一本の線で繋がった瞬間だ。日常の1シーンだった浮気調査が、自分の面子をかけた出来事に発展する。何が、誰が、自分を嵌めたのかはわからない。けれど、自分の理解が及ばないところで、何かが起こっている。

ここまでのシーンは、全てが関連を持っている。ギテスにはまだ、それが何かわからない。けれど、まとまりがあることは、観客には十分伝わっている。ロサンゼルスの水不足、ギテスの受けた依頼、誰が水を盗んだのかという疑問。無関係に見えるシーンは、こうしてまとまりを持っているのだ。

最初の33.3%で、誰の、何についての物語で、どんな力が働いているかを見せ、次の33.3%で、主人公に焦点を当てた事柄を見せる。そして次は、プロットポイントⅠについて見せるのだ。

このパーセンテージは目安で、厳密に守る必要はない。パラダイムと同じで、比率はどうとでもいじれる。けれど、この順番を守るのはとても有用で、各部分に何を書くべきかの指針として非常に役立つものだから、覚えておくといいよ。

■第一幕に書くことの目安
  • 1‐33.3%……誰の、何についての、どういう前提の話か
  • 33.3‐66.6%……主人公に焦点を当てる(主人公の一日、人間関係など)
  • 66.6-100%……プロットポイントⅠについて

こういう指針があるだけで、ずいぶん考えやすくなる。

日常シーンをどこに入れるかというのは結構、ここに絡んでくる話だ。いきなり日常を見せられても、そもそもどんな話なのかわからないから、見せられる方としては反応に困ってしまう。かといって、プロットポイントⅠが目前なのに、なんでもない穏やかな日常を見せている暇はない。

そうなると自然と、第一幕で日常を見せられるシーンは、33.3‐66.6%の場所に限られてくるんだ。

ぼくがホラー映画を借りてきた所を、思い浮かべてほしい。ありがちなパターンの映画、例えば、「大学生が山小屋で怪物に襲われる」的なやつを。

まず第一幕の早い段階で怪物が出てくるか、その存在を匂わせるシーンが入る。この物語がどういう物語か、まずは説明している。冒頭で食べられたり、襲われたり、憑りつかれたりしている哀れな犠牲者が映る。

それから、シーンが変わって、主人公たちのシーン始まる。学校から出てくる、スポーツマンと尻軽っぽい彼女、童貞っぽい主人公とヒロイン。彼らはこの夏休み、山小屋に行くらしい。今週の犠牲者候補たちだ。

けれど、怪物の話もせずに、いきなりこういうシーンから始まったらどうだろうか? この物語が何についての話なのか、分からないよね。

これじゃ、ただ大学生が旅行に行くだけの物語だ。ぼくは何を期待して、この物語を見ればいいんだっけ? 怪物だよ! サメやゾンビや悪霊を期待したいんだから、冒頭でちゃんと、その存在を匂わせてくれ! 

そうじゃないと、「ああ、この尻軽っぽいチアガールは、十中八九生き残れないだろうな」とか、「あ、彼女は今回のヒロイン枠か」とか、第一幕をそういう形で楽しめないだろ!? 彼らが山小屋に行く前から、怪物はその世界に存在しているんだから。

こんな風に早い段階で、何についての物語かを明確に示しておく必要があるんだ。怪物がいて、主人公たちがいる。これを示したらようやく、彼らの紹介や山小屋で楽しむシーンを入れることができる。

つまり、0-33.3.%までの場所は、先客で埋まっているんだ。そしてこの先の、66.6~100%のところも、怪物に追い掛け回される準備をするから、席は空いていない。

ここでしか、彼らが週末をエンジョイできる場所がないんだ。ピザを食べマシュマロを焼き、酒とドラッグとセックスを楽しんでおくといい。これが最後の晩餐だ。最後の晩餐だからこそ、日常を見せられる場所はここしかない。

第一幕ではやることは沢山ある。よーく見てみれば、その中で日常を描ける場所というのは、そんなに多くないんだ。