4-1-A.構成の視点で物語を見る/前編

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を分析する BASICステップ

構成に最低限な要素は4つ。エンディング、オープニング、プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡ。これらをパラダイムという名の見取り図に落とし込むと、物語の構造を視覚的に確認できる。ここまではOKかな?

ここからは、これまで何度も引き合いに出してきた物語のパラダイムを確認していこう。

構成の視点から、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を見る

さて、ここまで何度も引き合いに出してきた物語だから、そろそろ全体像を掴んでおこう。この物語をパラダイムに起こすと、こういう風になる。

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のパラダイム

作品内で目にする順に辿っていこう。ぼくが推しているVtuber、浅井ラムちゃんのレビュー動画もあるからリンクを貼っておくよ……と言いたいところなんだけど、現在動画が非公開になっているので、ワーナーの予告編を張っておくよ。

勿論、本編を見て、このパラダイムと見比べてみる工程を忘れないように。娯楽じゃなく、勉強のために観るんだ。きちんと実行しよう。

OP(オープニング)

オープニングでありインサイティング・インシデントでもある例のシーンをやったことによって、物語にはすでに動きが生まれている。

ルーザーズクラブの描写をいくつかした後、「下水に行こう」という話になる。父親との会話で、下水に行くことは、ジョージィの捜索に関係するとわかる。物語は既に、ジョージィを探すというビルの行動にいよって動き始めている。

オープニングからプロットポイントⅠまでは、弟探しを諦めないビルの行動によって、町の様子やキャラクターの性格、人間関係や設定を見せている。つまり第一幕では、「弟探しを諦めないビル」の行動によって、一つにまとまっている。『状況設定』であり、「弟探しを諦めないビル」に関連したまとまりだ。

無関係に見えるシーンも、すべてはプロットポイントⅠで合流し、第一幕の役目をきちんと果たしている。

PⅠ(プロットポイントⅠ)

プロットポイントⅠでビルは、荒れ地の下水で行方不明の女の子の靴を見つける。

これによってビルは、ジョージィの失踪が単なる行方不明ではなく、事件性を帯びたものだと確信する。少なくとも、行方不明者と下水には関係があるのだ。この段階ではまだ、背後に何がいるかビルは知らない。けれど「何かがある」という確信を得て、ビルはペニーワイズの方向を向いたことになる。

さぁ、ここから物語の本筋が始まるぞ、と言わんばかりに、哀れな不良がペニーワイズの犠牲になる。状況設定はついさっき終わって、既に『葛藤』、ビルたちの町を蝕むペニーワイズという怪異についての話が始まっているのだ。待ってましたと、ペニーワイズはその本性を見せ始める。

第二幕で新たな仲間を加えたビルたちは、町では定期的に大規模な失踪が起こっていることと、それらが下水で繋がっていて、ある廃屋にたどり着くことを知る。

勿論その間も、ペニーワイズは暴れまわる。メタ的な話をするなら、第二幕でいくら暴れまわっても、ビルたちが死ぬわけではない。趣向を凝らして、町に恐怖をばらまく様子を見せていく。

ベバリーとルーザーズクラブ男子勢の関係に結構な尺が割かれていることに驚くかもしれないが、おかしなことは何も起こっていない。

第二幕の内容は、「少年少女の町を蝕む怪異」であり、ペニーワイズの謎に迫るだけでなく、少年と少女の青春を含んでいるのだ。だから、ベバリーや転校生との友情も、少し横道に逸れるものの、全く無関係なシーンには見えない。

第二幕の早い段階で新たな登場人物、新しい世界でのルール・日常が描かれることがあるので、ここは結構、プロットポイントⅠの選択を惑わされやすい部分だ(第二幕に入った後でも横道に逸れて日常シーンを流すことを許される場所、その理由・根拠については、本稿よりも長い話をしないといけないためここでは割愛する)。

PⅡ(プロットポイントⅡ)

第二幕の終わりごろ、ペニーワイズに手酷くやられたビルたちは、仲間割れを起こし、散り散りになってしまう。しかし、ベバリーがさらわれたとなれば、じっとしているわけにはいかない。助けに行かなくては!

こうしてルーザーズクラブは再び結集し、ペニーワイズの本拠地である空き家へもう一度乗り込む。

ここでベバリーを助けに行くと決めることは、つまり、恐怖に立ち向かうと決めたということでもある。町を蝕む怪異との対立、葛藤は、もう終わりだ。立ち向かうと決めたのだから、ここからは、「ペニーワイズに立ち向かうと決めた少年たち」の物語に切り替わる。解決へと舵を切るというのは、こういうことだ。

反対に、ここでペニーワイズに立ち向かうと決断しなければ、彼らは全てを忘れて、この怪物を放っておくことになる。怪物を放っておいたのに、エンディングで「また集まろう」とはならないよね?

ここでも、エンディングをきちんと決めていることの重要性がわかる。エンディングが決まっていないと、「何に対して梶を切ったか」がわからないのだ。エンディングが決まっているからこそ、「再びペニーワイズに立ち向かうことを決めるところがプロットポイントⅡだ」ということができるようになる。「終わりに向かうきっかけ」が知りたいのに、終わりが何かわからないのは、困ってしまう。

第三幕、ペニーワイズは強いし怖い。ペニーワイズは揺さぶりをかけてくるし、それに応じようとするメンバーもいた。このまま逃げてしまうのか?

けれど、そんなことはあり得ない。ペニーワイズに立ち向かうか、それとも逃げるかは、第二幕の終わりに決めたのだ。第三幕は、彼らの決断を見せるところであり、もう迷いはない。肚はとっくに決まっている。今更逃げ出すくらいなら、そもそも彼らは第三幕にいない。

ED(エンディング)

全ての道は「やつが復活したら、また集まろう」に繋がっている。しっぽを撒いて逃げ出した奴と「もう一度集まろう」なんて誓いを立てるやつはいないし、2時間使ってペニーワイズに勝てなかったのに、もう一度集まるなんて、どこの物好きだ? 怪物と主人公たち、怪物の調査と敗北、そして対決と決着。オープニングから始まった物語は、エンディングに向かって進んでいるのだ。

文章で書くと長いが、パラダイムだと一目で確認することができる。文章は抽象表現として強力だが、具体性で言えば、視覚情報が勝る。百聞は一見に如かず、というやつ。物語を書く上では、「どこに、何を書くか」が具体的なほど良いのは、ここまで話した通りだ。

基本要素を使った、「どこに、何を書くのか」の一番大きな枠組みは、こんな具合になる。もう一度パラダイムを見てみよう。


■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』における「どこに、何が書いてあるか」の大きな枠組み

プロットポイントを経由しながら、赤文字の内容について書いていく。これが一番大きな枠組みで、物語の基礎となる部分だ(応用編に入ると、パラダイムをさらに細分化してシーン単位で書くべきことや場所を判別したり、「手っ取り早く何を書けばいいか教えてくれよ」なんて質問に答えることも、可能になってくる。つまり、「どこに何を書くべきか」をさらに具体的に、知って行けるようになる)。

物語を構成の視点から見るというのは、「あそこの伏線が読者を感動させて……」とか「ここでカタルシスが……」とか、そういう分析から確認するものではない。それは、面白さを内容とは違った面から見ているだけだ。

然るべき知識を知って然るべき手法を使えば、こういう形で物語の構成がどうなっているか、目で見て確認できるんだ。

「どこに、何を書くのか」問題

随分と大雑把な「どこに、何を書くのか」だな、と、こう思う人もいるかもしれない。確かに、序盤、中盤、終盤でやることの指針と、「プロットポイントを目指せ」だけでは心もとないだろう。

だが、最初に言ったことを思い出してほしい。今やっているのは基礎だ。この分野は基礎ほど抽象的で、応用ほど具体的だ。応用でやる内容ほど、ぼくらが実際に目にする個々のシーンに近くなり、イメージしやすいものになっていく。今の段階ではまだ抽象的なのだ。

基本的な要素を抑え、それを「材料にして」発展させていく。その先で「一つ一つのシーンはどういう根拠で配置されているのか」や、「思い付いたあのシーンは物語のどこに入れればいいのか」を知ることができる。


■ 今は水面下の土台について学んでいる段階

一足飛びで応用をやろうと失敗する。応用で肝になるのは、基礎でやった内容を「材料にする」ということ。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を、三幕構成をさらに応用して、基礎の上の段階、発展に持っていくことはできる。この段階までこれば、「自分の物語は、どこに、何を書くと完成まで進めるのか」は、ほとんど答えのページを見ているようなレベルまで、具体化することができる。

■基礎の上に発展がある

が、基礎のパラダイムが間違っていると、発展で割り出す内容がなにもかもズレてくるのだ。

ここでいう基礎は「三幕構成という分野の基礎知識」というより、「どこに何を書けばいいのかを割り出すための、元となるデータ作り」という捉え方をしてもらった方が、その重要度がわかると思う。

応用を学んでどこにどんなシーンを入れるか割り出すにも、元のデータがなかったり、間違っていては手も足も出ない。次の段階に移れないのだから、どこにどんなシーンを書けばいいのか、どんなシーンを読者に見せていくのかがわからない。

■沈んだ

ぼくとメールでやり取りしていた人なら心当たりがあるかもしれないが、ぼくは「長編が書けない」という相談を受けた時、あれこれ尋ねながら、まずはこの基本のパラダイムが埋まっているかどうかを確認している。

適切なデータがあれば、適切な答えを出すことができる。そういうものだからこそ、もとのデータが大事なのだ。創作には神秘な部分とそうでない部分があるが、構成は間違いなく、神秘でない方の分野だ。

本当の神秘は、作者の中で生まれるアイデア、キャラクター、物語そのものであり、それを掘り出す方法まで神秘にしてしまうから、話がややこしくなる(まあこれは、世の中において『構成の分析』よりも『面白さの分析』が圧倒的多数派なことが、関連してくるのだけれど)。

神秘でないものには、きちんとした理屈がある。理屈があるからこそ、神秘でなくなっている。そして理屈に沿って答えを割り出すには、適切なデータが必要になる。だからここで扱う基本要素の重要性は、見た目よりもずっと高いんだ。