5.2修整箇所 ≠ 頭痛の種

WRITINGステップ

原稿を書いていて、直したい箇所が出てくる。それはとても不安を駆り立てるものだ。推敲レポートに書かれた、作品への自己批判や問題点の指摘が増えれば増えるほど、気になってくる。これは、仕方のない話だ。

けれどここもまた、状況を誤認してはいけない。

推敲レポートに書かれた、沢山の要修正点。確かに直すべきところは沢山ある。キャラクターの台詞がぎこちなかったり、地の文で微妙なところがあったり、はたまた、物語上の矛盾まである。けれど実は、本当にまずい、物語の完結を左右するような事故というのは、殆どないのだ。

■推敲レポートを、怖がることはない

先も述べたように、直したい、変更を加えたいと思った箇所は、単に、自身の好みによって決まる場合が多い。もしくは、補強のために何かを追加したり、削ったりだ。

「気の利いたシーンを思い付いたけれど、どこに入れようか、ううむ」と一週間悩んで執筆が頓挫する。これははっきり言って人災だ。本来悩まなくてよいところで悩み、その答えが出ないからといって、何故か身動きまで取れなくなる。

本当にまずいのは、書くこともできなくなった状態だ。ぼくがやらかした、「プロットポイントⅡの後、第三幕について実は何も考えていなかった」という現象が、それに当たる。これはやばさで言うと、「マジファック!」級だ。解決しないと続きを書くことができない。書かないと始まらないから、これは確かにまずい。

けど、「登場人物の顔見せをするシーンを入れ忘れた」などの、物語を矛盾なく進行させる、因果関係を成立させるのに必要な事項が抜けているとかの場合は、実は全然まずくない。

これは「そこそこファック!」級で、確かに、いずれ解決しないといけない問題ではある。でも、書けなくなったわけじゃない。なら、大した問題じゃないんだ。直せばいいんだから。

あなたが原稿を書き進める中で、推敲レポートはどんどん膨らんでいく。ただし、その中身が一律で、頭痛の種になるわけではない。直したいところはいっぱいあっても、そのどれもが悲惨な事故と無理難題の種になっているとは限らない。

今まで何度も言ってきたが、問題をひとくくりにしてしまうと、それは本当に対処不能の怪物になってしまう。

直したいところは沢山ある。OK、ならその内訳を冷静に見つめてみよう。もし問題に直面した気がしたら、その問題の、根っこにあるものを確認してみるのだ。

自分の好みの「ちょっと変えたいな」なのか、「物語の矛盾の解消や、因果関係を維持するのに必要な変更」なのか、「実は書く内容を考えていなかったせいで、書く手が止まってしまった」のか。

三つ目は本当に怖いが、それでも、原因がわかっていれば対処はシンプルだ。書く内容を考えればいい。書けなくなった場所から最寄りのカードまで、どんなシーンやシークエンスを書くか考えよう。新しくカードを追加して、それから原稿に戻ればいい。

二つ目はちょっと手がかかるが、ちょっと手がかかるだけのものだ。これも、原因はわかっている。なら、クレバーな対処が可能だ。矛盾はどこにあって、それをどうやったら解消できるのか、考えるだけだ。

ここは機械的に考えてしまっていい。創作は、理屈で説明できないこともたくさんある。けれど全てがそうなわけではない。モーフィアスを登場させ忘れたなら、「モーフィアスを登場させる方法は何か? どんな出来事で? どの場所で?」と考える。

自分の芸術的な一面には少し黙っていてもらって、事実や因果関係に注目して、理屈立てて考えればいいんだ。

一つ目に至っては作者自身の好みの話だから、最後にまとめて直せばいいのだ。これが最終工程だし、終わりを決めるのはあなただ。時間の許す限り悩めばいい。

まずは完成させて、それから問題点をチェックして直す。最後に、好みの問題な部分を、好きなだけ時間を使って直す。

こうまとめてみると不思議なことに、今回のテキストの内容は一般論にかなり近い所に着地するね。「まずは完成させる。それから、推敲する」だ。

直すべき場所は、問題とイコールではない。そして問題だったとしても、対処なんてどうとでもできる。

だから執筆中に焦ることも、不安になることもないのだ。

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