3.2秘密兵器、『推敲レポート』

WRITINGステップ

薄々感づいた人もいるかもしれない。執筆作業を止めてしまわないための原則というのは、「執筆中のトラブルはその場で対応せず、推敲のときに対応する」だ。

けどそうにしたって、書いている最中に、直したいことは山ほど出てくると思う。

それは正常だし、気にすることはない。カードも書いた、パラダイムだってある。けれど、変えたいところだって出てくる。気になることだってある。削りたいところだってある。「後でやれ」と言われたって、直したい衝動は収まらない。

いまはちょっと厄介だけれど、そういう気持ちを忘れてはいけない。どこかを直したいと思ったとしてそれは、自分の書きたいものをあなたがより深く知ったという事だ。

変えたいと感じたこと自体が、「これは少なくとも、自分の思い描いた理想形ではない」と知ったということ。それは修正すべきところなのだ。

不安や「今すぐにでも直したい!」という気持ちには、きちんと行動で対処する。その行動は、「直したい場所や不安な場所を、今すぐ直す」というものではないけれど、とても効果のあるやり方だ。

その気持ちに対処するため、その気持ちをまとめた『推敲レポート』を作り、そこに感じたことを書きこんでおくのだ。これがぼくの、「秘密兵器のとあるファイル」である。

「このシーン、大丈夫かな?」とか、「あ、どこかでこの要素は補強しておかないといけないぞ」とか、「思い付いたシーンがあるけど、入れる場所がすぐに思い浮かばないぞ」となったら、それらをすべて、このレポートに、箇条書きで書いておくのだ。解決策が思いついたなら、それも一緒に案として書いておく。それからすぐに、執筆に戻る。

■「推敲レポートに書く」という行動で対処

ここまでにぼくが話したようなトラブルに遭遇して、「気になるな」とか、「後で直すことにしよう」と思ったところは、すべてこの推敲レポートに書き込むんだ。

これは、シド・フィールドが勧めている、不安への対処法を変形させたものだ。

彼の場合ファイルのタイトルは『批判のページ』で、執筆中に頭をよぎる、自分自身が発する批判的な気持ち、批判的な声をこの中に書いておくという。そして、作業に戻るのだ。

「でもそれが的外れかもしれないし、的を射た批判かもしれない。自分の内なる声が言う通り、作品の出来が悪かったら?」こういう疑念も、当然湧くだろう。それをフィールドは、こう言って一蹴してくれている。

「けれど、だから何だというのか。確かに批判の言う通りかもしれない、この時点では! だが、これは第一稿ではないか。書き直すチャンスは、これから何度でもある」

(Field 2006: p. 226)

このレポートの中に今の気持ちを書いてしまえば、その気持ちはひと段落だ。

例えば、「ああもう、どうして自分の地の文は、こんなにぎこちないのだろう」と、一度感じたとする。それを、レポートに書き込む。もう一度感じたときに、もう一度、それを書くのだ。

すると、あることに気づく。「さっきも同じことで凹んでたぞ」と。一度書いた文章をもう一度書くほど、馬鹿馬鹿しく感じることもない。

これは、漠然とした不安でなくても同様だ。

ある問題点や修正点、物語を面白くする、手間のかかる改善を思い付いたとする。それをいつまでも頭の隅に常駐させておくと、気が散って仕方がない。

第三幕を書いているのに、「第一幕でモーフィアスを出し忘れたけれど、どうやって解決しようか……」なんて考えていても、仕方ないのだ。漠然と抱えている問題というのは、それだけで不安の種になり、モチベーションを侵す。

物語を面白くする、劇的なシーンを思い付いたときも同じだ。「あのシーンは絶対入れなくちゃ! あのシーンがないなんて考えられない! でもどうやって入れればいいんだろう!?」という物語への強い気持ちが、執着心を生む。

こんなものが、書き進めれば進めるほど増えていくんだ。あなたの物語は、余計なことを考えながら片手間で書いていいような、そんなものではないはずだよね。

だから批判的な声も、直したい場所も、気がかりなことも、全部『推敲レポート』の中に書きこむ。「レポートへの書き込み」という行動で、自分の気持ちに対処するわけだね。書き込んだら、その項目について考えるのはそこでひと段落。作業に戻ろう。

同じ内容が頭をよぎったら、もう一回そこについて、思ったことを書き込めばいい。何度も書くうちに「またおんなじことを書くのか?ずっと同じことで、気を揉んでないか?」と、気づくことができる。

「書いている最中は書くことに集中した方が生産的だ」と、どこかで悟るよ。どうせ、推敲はやらなきゃいけないんだもの。こうやって原稿と推敲レポートを行ったり来たりしながら、執筆作業を進めていくんだ。

■不安をコントロールし、サクサク書くためのサイクル

推敲レポートは第一稿を完成させた後、推敲をするときに使うことになる。

書くうちにどんどん、推敲レポートは膨らんでいく。それは一見恐ろしいことのように思うけれどそんなことはない。むしろ、レポートが膨らめば膨らむほど、推敲作業が楽になるからね。

執筆中に直したい所は、すべてこのレポートに書き残しておく。そして、それを後から直すのだ。

以前も言ったように、すべきことがたくさんあるのは、何をするべきか明確にわかっているという事でもある。気になった所を直すのが推敲で、気になったことは全部ここに書いてあるのだ。

推敲レポートを書くことの利点は、いくつもある。

まず、執筆速度がアップする。パソコンに向かっているのに手が動いていない時間というのは、実は結構長い。その時間を執筆に回せるのなら、執筆速度は簡単に上がる。気になったところは、後から直せばいいんだもの。執筆のときは、目の前のカードを文章にしていくことに集中すればいい。

いちいちブレーキがかからないから、文章を書く楽しさを満喫することができる。気になる修正点は、すべてメモしてあるのだから、後から直せばいい。解説策がその場で思いついているなら、それもレポートに書き込もう。

問題を先送りしているように思えるが、そんなことはない。今直せるのなら、後でも直せる。そして先にも言ったように、執筆中に見直しを始めると、いつまで経っても足踏みを続ける羽目になる。

締め切りは無限で、あなたのモチベーションは有限だ。推敲レポートを書いて、修正についての思考を後に回すことによって、消耗を防ぐことができる。

それに、「執筆中に直したところを推敲のときにさらに直す羽目になる」というケースも防げる。

第一幕のあるシーンを1週間かかって直したのに、第二幕を書いているときに、さらに修正が要ることに気が付いた。その果てにカットすることになったなんて思うと、嫌になっちゃうよね。こんなことが何度も続いたら、疲れてしまうよ。

推敲はどうせやらなきゃいけない。だったら、書きたいものを一気に吐き出して、気持ちよく執筆した後、冷静な気持ちで心に余裕を持って行えばいい。

「推敲レポートにまとめたものを、本当に自分の力で直せるのだろうか?」と、最初のうちは不安になるかもしれない。

けれどあなたはもう、今までのあなたではないんだ。パラダイムもあるし、BS2もある。わからない部分は、自分で知ることができる。最悪の場合でも、パラダイムを書いて執筆を始めた以上、物語が物語の形を成すのに必要な要素は、もうそろっているんだ。

後からの方が合理的だから、後からやるのだ。そして書いている最中の「直したい!」という気持ちを尊重するために、レポートを書く。

実際、今このテキストを書いているときにも、レポート用のファイルを開いたまま、作業をしているよ。

「ネオの台詞が正しいか、映画を観直して検証すること」とか、「もう一枚、説明用の画像が欲しい」とか、「流石にこのレベルの皮肉はただの嫌味。直す」とか書いている。

そういう事は後でやるから、書いている今は快適そのものだ。思い付いた文章を絶え間なくタイピングしている。たくさん書けるから、達成感もある。

執筆中に気になったことや不安な気持ちは、推敲レポートにメモしてすぐに執筆に戻る。推敲レポートこそが、今回学ぶ内容においてもっとも重要で、核となる部分だ。

これをやるだけで、不安をコントロールできるようになる。作品の質をアップさせることにも役立つよ。不安や、原稿を直したい欲求というのは強敵だ。だからこそ必ず、推敲レポートを開いた状態で執筆を行おう。

そうすれば落ち着いた気持ちで、目の前のカードを文章にすることに集中できる。それが、完成に繋がるのだ。推敲レポートは、直したい気持ちや不安を手なずける最高の道具だ。

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