4.1「書きながら投稿」は、してはいけない

WRITINGステップ

シーンの不足に気づいたとき、シーンを追加したくなった時、カードから離れそうになった時、やる気が起きないとき。色々なことを話してきたが、その根底には常に、「執筆中のトラブルはその場で対応せず、推敲のときに対応する」という原則があった。

推敲のときに対応するからこそどんどん先に進めるのだし、書き終わり具体化した全体を見ながら、作品をより良くしていけるのだ。

もし推敲をしないならば、あなたの書いた推敲レポートは、ただの気休めだったということになってしまう。それでは本当に、何の解決にもならない先送りだ。推敲は、絶対にしないといけない。

一つ、はっきりさせておかないといけないことがある。

あなたは、公募派だろうか? それとも、WEB連載派だろうか? そして、WEB連載派だとしたら、「書きながら投稿する派」か、「最後まで書き終わってから投稿する派」だろうか?

もしあなたが、「書きながら投稿する派」だったなら、一つ、厳しいことを言わないといけない。

必ず、作品を最後まで書き終わって、推敲を終えてから、WEBサイトに掲載してほしい。公募派で「推敲をしない」という人も、推敲をしてから郵便局へ行くこと。

要は、「書きながら投稿する派」から「最後まで書き終わってから投稿する派」への、改宗を勧めたい。

推敲レポートが意味をなさなくなるとか、物語を最後まで書ききるためとか、そういう理由もあるんだけど、何より、あなたの物語のためだ。

「作品は自分の子供のようなもの」という例えがあるよね(ぼくには子供はいないし、子供好きでもないけれど、自分の作品、それに登場するキャラクターは、とても大切に思っている)。

あなたは、真冬の雪の夜に、自分の子供を素っ裸で放り出すような真似が、できるだろうか? そんなことをしたら、凍えてしまうのは誰の目にも明らかだ。

子供はいずれ家を出るかもしれない。それを引き留めることはできない。

けど、あなたはその日に備えて、準備をしてあげると思う。寒くないように服をたくさん着せて、食べ物もたくさん持たせて、お小遣いだってあげるだろう。そして「困ったら連絡するんだよ」と、何度も念押しして、いつまでも手を振っているはずだ。少しでも不自由しないように、危ない目に遭わないように、無事でいられるように手を尽くす。

だったら、自分の作品に対してもそうしてあげるべきなのだ。

読者は即物的だ。少なくとも日本では、現実に子供が凍えそうになっていたら、誰かが助けるなり、警察を呼ぶなりするだろう。けれど、裸で放り出された作品への読者の反応というのは、単なる無反応である。心無い人なら、「邪魔だ!」と蹴飛ばすかもしれない。きちんとした準備をして送り出してあげれば、こんなことにはならなかったのに。

ぼくがあなたに、「最後まで書き終わってから投稿する派」になってほしいのは、書き手の派閥や宗教的理由からではない。あなたに無自覚のうちに、大切な作品を読者の前に投げ捨てるような、そんなことをしてほしくないからだ。

せっかくここまで大事に作り上げてきた物語なんだ。送り出すときは、無事でいられるよう手を尽くしてあげるべきだ。

推敲は、必ずすること。直すべきこと、気になったことは、推敲レポートを見ればわかるはずだ。