2-3.理論上絶対に必要な2つの要素

BASICステップ

三幕構成は、序盤、・中盤・終盤の連なりであるって話は、前回したね。けど、どこまでが序盤で、どこからどこまでが中盤で、どこからが終盤なんだろう?

今回は、「長編を完成させるために絶対に必要な要素」であり「構成の生命線」とも呼べる、超ウルトラハイパー大事な要素について紹介するよ。構成を学ぶ上での、最初の山場がここだ。

ここからは映画も使っていくから、お菓子とジュースを用意して、DVDを借りに行こう。使うのは、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』と『マトリックス』だ。

3つの幕のつなぎ目はどこ?

前回は、物語が三つの幕によって形作られていることを紹介した。第一幕、第二幕、第三幕。序盤、中盤、終盤。状況設定、葛藤、解決。使ったのがこの図、パラダイムだったね。

■1つの物語、3つの幕

3つの幕が連なっている。うん、それはわかる。3つの幕が繋がっている。確かにそうだ。

では、そのつなぎ目はどこにあるのだろうか? 第一幕と第二幕のつなぎ目はどこか? 第二幕と第三幕のつなぎ目は?

それが『プロットポイント』という概念だ。ぼくが前回パラダイムから取っ払った不穏な用語であり、構成の生命線になる。

■つなぎ目は『プロットポイント』

プロットポイントによって、幕と幕は連結し、物語の形にまとまっている。第一幕の最後にあるのが『プロットポイントⅠ』、第二幕の最後にあるのが『プロットポイントⅡ』だ。

シド・フィールドはプロットポイントを「ストーリーのアクションを加速させ、別の方向へと行き先を変えさせるような事件、エピソード」(Field 2005: p.167 )と定義している。

でも、定義だけ述べても、意味が分からないよね。ぼくだって、最初この概念を聞いたとき、全然わからなかった。

ここからは、具体例を挙げながら見てみよう。まずは、プロットポイントⅠからだ。

序盤の要『プロットポイントⅠ』

プロットポイントⅠは、第一幕と第二幕を連結させる役目を持った部分だ。第一幕の最後にあって、状況設定を終えた物語が、葛藤という文脈に突入する。

『マトリックス』を見てみよう。ネオは普通の男だ。これはネオが本当の自分に目覚める物語であり、ヒーローの物語である。

ネオが本当のヒーローとしての道を歩き始めたのは、何がきっかけだろうか?

ネオはモーフィアスと出会い、選択を迫られる。赤い薬を飲んで真実を知るか、青い薬を飲んですべてを忘れて生きるか。

この選択によってネオは、今まで生きてきた世界がマトリックスという名の仮想現実であり、コンピューターの中で生きていたことを知る。そして世界の真実を知ったネオは、救世主としての道を歩き始める。

■『マトリックス』のプロットポイントⅠ

ここでネオが青い薬を飲んでいたら、どうなっただろうか?

ネオはすべてを忘れ、本当の自分に目覚める物語に入っていくことがなくなる。劇中後半でネオがトリニティに言った通りの、「普通の男」として、マトリックスの中で過ごすことになっただろう。

プロットポイントⅠを経て、主人公は物語の本題に入っていくんだ。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』でもそうだ。

ビルが行方不明の女の子の靴を下水で見つけてようやく、「街で何かが起こっている」と気づき、「それが何かを探っていく」という本題に、入っていくことができる。

■『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のプロットポイントⅠ

もし靴を見つけていなかったら、物語はどうなっていただろうか?

ペニーワイズなんてのは子供の妄想で、ジョージィは行方不明になっただけかもしれない。不思議なことなんて、何も起きていない。下水には何もいないし、行方不明者も下水にはいない。だって行方不明になった女の子は、家出しただけかもしれないじゃないか。あれだけ人心が荒んだ街だ、珍しいことじゃないだろ!?

プロットポイントⅠをきっかけとして、ビルがジョージィを探すという行動は、「行方不明になった弟を探す」だけのものではなくなる。

町を覆う怪異と少年少女たちの物語が、こここら始まるんだ。だって弟はがいなくなったのは単なる失踪ではないことに、ここで気づいたんだから。

町では何かが起こっている。プロットポイントⅠで、ビルがそれを知ったんだ。

中盤の要、プロットポイントⅡ

プロットポイントⅠは、第二幕と第三幕を連結させる役目を持った部分だ。

第二幕の最後にあって、葛藤から、解決という文脈に突入する。機能上はプロットポイントⅠと同じで、第二幕と第三幕をつなぐという点だけ異なる。

重ねて言うが、『マトリックス』は気乗りしないヒーローの物語だ。第一幕でネオは、本当の自分を知るきっかけを得る。

第二幕では、モーフィアスやクルーたちに言われて、自分が人類を救う救世主であると、言われるがままに流されてしまう。真実を知りたいとは言ったが、自分が人類を救う救世主だって? しかし実際、戦闘訓練でモーフィアスを倒すほど、仮想空間に高い適正を発揮した。

だが後半、予言者とのやり取りの中でネオは自分が救世主ではないと信じてしまっている。良い意味でも悪い意味でも、ネオの「自分を信じられない姿」を描いている。

第二幕のネオは、ヒーローをやれと言われてヒーローだったり、そうでなかったりしている。そんな「気乗りしないヒーロー」だ。

だが、モーフィアスと人類の命を天秤にかけた時、彼は選択する。無謀であっても、モーフィアスを助け出すことができると。そう感じて、仮想世界へ再び侵入することを決める。「なぜ?」仲間の制止に対して、ネオは答える。「信じてるからだ」。誰を? 自分自身をだ。

誰かに言われてヒーローになるのではないし、誰かに言われたから、ヒーローでなくなるのではない。自分で信じることを選んで、行動するからヒーローなのだと、ネオは選択しているんだ。

ここが、プロットポイントⅡになる。なぜか? それはこの物語が、ネオが本当の自分に目覚める物語だからだ。

もっと言うと、ここでネオが自分を信じなければ、スーパーマンのように自信満々に空を飛ぶエンディングのシーンは、描けなかっただろう。あれは、救世主として目覚めているネオ=本当の自分に目覚めたネオ=自分を信じることを自分で決めた、ヒーローの姿だからね。

プロットポイントⅡは「自分を信じることがヒーローである条件だが、お前はどうする?」と突きつけられたネオが「わかった。できるかどうかはわからない。けれど俺は、自分にはできると信じている」と答えるシーンなのだ。この選択がなければ、エンディングの形は別のものになっていただろう。

プロットポイントⅠでネオは赤い薬を選び、真実を知り、眠りの世界から脱する選択をした。この選択は結果的に、ネオが本当の自分を知る旅の始まりでもあった。

ネオは本当の自分に目覚めることができるのか? これが第二幕の内容であり構成の用語でいうところの『葛藤』だ(本当の自分に目覚めるというのは、ネオ自身もこれまでマトリックスに囚われていた現状を受け止めるという過程も含まれている)。

その着地点として、ネオは自分を信じることを決めた。こで話題が転換し、「他人の言葉で自分をヒーローだと信じるヒーロー」の話から、「自分を自分で信じることを決めたヒーロー」についての話に切り替わっている。

■プロットポイントを起点に、幕で描かれる内容が変化する

自分を信じられないヒーローのまま物語を終わらせたいならともかく、自分を信じるヒーローを書いて物語を終えたいなら、どこかで「自分で自分を信じることを決める」必要がある。だって、第三幕ではそれを書きたいんだから。

そうやってエンディングに向かって必須となる物語の転換点が、このプロットポイントⅡなんだ。

『名探偵コナン』の場合も見てみよう。三幕構成は、長い物語にも短い物語にも使える手法だ。特定のエピソードをピックアップするわけじゃないから少し大雑把だけれど、プロットポイントと幕の関係は、こういう風になっている。

■事件が始まるまで→犯人の推理→解決編

死体が見つかることによって推理という葛藤が始まって、犯人を確信する証拠を見つけたら、解決編が始まる(実作の場合、どんな証拠を見つけることでここに至るのか考えておかないと、中抜けになってしまうので注意だ)。誰が犯人かもわからないのに、関係者を集めるわけにはいかないよね。

  • オープニングからプロットポイントⅠまで
  • プロットポイントⅠからプロットポイントⅡまで
  • プロットポイントⅡからエンディングまで

この3つはそれぞれプロットポイントを起点にして、「事件の舞台やキャラの説明(事件の推理を始めるまで)」、「殺人事件の推理(犯人を確信するまで)」、「事件の解決編(犯人を確信した後)」という文脈に分けられている。

そしてプロットポイントⅠに達した物語は、プロットポイントⅡに向かうために動き始める(他の中継地点もあるけれど、その中継地点もあくまで、プロットポイントⅡに向かうためのマイルストーンだ)。

こんな形で物語の「方向」を変えるのがプロットポイントであり、プロットポイントによって、異なる文脈の幕が違和感なく繋がっているんだ。

幕と幕は、違う文脈を持っている。かたや状況設定をしているし、かたや、葛藤を取り扱っている。「状況設定・葛藤・解決という文脈」に沿って、物語を形作っている。

序盤は状況設定について書き、中盤は葛藤について書き、終盤は解決について書く。「○○ついて書く」これが文脈だ。

■3つの文脈を経て、物語はエンディングへ到達する

その連結器、橋渡しとなっているのがプロットポイントであり、プロットポイント無しで幕を跨ぐことはできない。というか、プロットポイントを経ないと、幕を跨いだことにならない。何故なら、この大きな文脈の変化が幕の変化だから。

■文脈の変化が、幕の変化

そして文脈の変化というのが、所謂「物語の方向が変わった」というものだ。

物語を前に進めるポイント、物語の流れを変えるポイントというのは、文脈が変化するきっかけになる部分を指す。

■ある幕から別の幕へ

こんな風に文脈を変化させるから、プロットポイントは幕と幕をつなぐんだ。

なぜ2つのプロットポイントが「長編を完成させるために、理論上絶対に必要」なのか?

プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡは、長編を完成させるために絶対に必要になる要素だ。なんでかっていうと、それぞれが「物語の本筋への入り口」と、「物語の終わりへの入り口」だから。

自分の物語にとってどのシーンがプロットポイントⅠを知らないと、いつまでたっても物語は物語の本筋に入れない。事件の推理は始まらず、怪異と戦うこともなく、仮想現実の世界で柔術のトレーニングもできない。だって、ずっと登場人物の説明と、世界設定を見せているだけなんだから。

どのシーンを書けば物語が本筋に入るか、どのシーンに向かって書いていけばいいのか、ノーヒントのままさ迷い歩くことになる。その過程で地雷を踏んだらサヨウナラ、長編は書けなくなる。

プロットポイントⅡがはっきりしていない場合、事件の推理で証拠集めをしても、事態は全く進展しない。なんでかっていうと、最終的にどの証拠を見つけて「わかった、犯人はあの人だ!」と確信するかわからないから、そこまでに必要な証拠品が何か、そもそもわからない。また、それを考える指標もない。

あなたがもし「序盤でいつも、長編が書けなくなるんです」とか、「中盤で話がめちゃくちゃになって、完成させられなくなるんです」という悩みを持っているなら、この質問をしてみてほしい。

「序盤が書けないって、自分で症状を説明しているけれど、じゃあ、どのシーンまで書けばこの物語の序盤は終わりなのか、そもそもわかっているだろうか?」

「中盤で書けなくなるというけれど、では、どのシーンまで書けば中盤は終わりなのか、自分でわかっているだろうか?」

どこまでやればいいかわからない仕事を上司に振られたら、ストレスで寿命がマッハだ。そんな仕事、終わるわけがない。だってどこまでやれば終わりなのか、あなたを含んで誰も知らないんだから。

物語には、始まりと終わりがある。物語の本筋を見せ始める地点があって、物語が終わりに向かい始める地点がある。この2点があってこそ、「物語」という形になる。それがプロットポイントⅠ、Ⅱだ。

極端な話、「物語を本筋に乗せる要素と、終わらせるために必要な要素」が抜けているのに、長編が完成するわけないんだ。中盤を書き始めるのに必要なシーンと、終盤を書き始めるのに必要なシーンを、自分でわかっていない。

思いつけばいいけれど、思いつかなかった時点で執筆はストップ。1日、3日、一週間……。一カ月も経つ頃には、「書けない作品より書ける新作だ」と取り組む方が生産的に思えてくる。

「理論上絶対に必要になる」なんて強い言葉を使ったのは、こういうこと。

もしあなたが自身の物語についてこれらの要素を「わかっていない」だったのなら、これから一緒に探していこう。ちょっと怖がらせてしまったかもしれないけど、プロットポイントそのものは結構、大きな事件だったり決断だったりすることが多いから、既に該当するシーンが自分の中にある場合も多い。

どちらかというと、自分の物語に「ねえ、このシーンってプロットポイントⅠかな?」とか、「この物語のプロットポイントⅡって何だと思う?」って尋ねる感じになるから、安心してね。

次は、エンディングとオープニングの話をしていく。「そんなの、物語の始まりと終わりのことじゃないの?」と思うかもしれないけれど、コトはそう単純じゃない。というか実は、プロットポイントよりもオープニングとエンディングの方が、構成における重要度が高い。

ただ、プロットポイントの重要性をわかってもらってからじゃないと、オープニングとエンディングの重要性を、中々実感しづらいんだ。だから、こっちをさきに紹介させてもらったってわけ。

次回は、どうしてオープニングやエンディングを決めておくことが重要なのかについて話すよ。それじゃ!

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