3-4.「繋ぎのシーン」の考え方

「繋ぎのシーン」はどうやって考える? BASICステップ

前回は、「既に思いついているシーンをどこに配置するか」がメインの話だった。ある意味、プラスの状態にあるシーン、「どこに入れればいいか決まっていないシーンの場所を判別する」ものだったね。

今回はそもそもシーンが決まっていない状態、いわばマイナスの状態である「足りないシーンの補い方」についてやっていくよ。

シーンとシーンの「繋ぎのシーン」を考えるには?

シーンの配置場所を決めるのにも「空間」を活用したけれど、どちらかというと「特定のシーンの前後」という扱いだったから、メインとなるのはシーンそのものだった。今回はガッツリ、空間を扱っていく。空間とはここ、文脈だ。

■ 逆算には文脈を使う

あるシーンから別のあるシーンまでは、何についてのシーンの集まりか?

その空間にあてはまる言葉を探す。そして、それに対応したシーンを考えるのだ。

例えば、オープニングからプロットポイントⅠまでは、「ベルと王子」という文脈、この言葉に関連したシーンの集まりだ。王子の呪い、ベルの性格や人間関係など、どのシーンも「ベルと王子」に関連する。

プロットポイントⅠからプロットポイントⅡまでは「美女と野獣の関係」についてであり、プロットポイントⅡからエンディングまでは、「二人の恋の行方」についてのシーンの集まりだ。つまり、各空間には、文脈に関連したシーンが入り、不足している場合、「文脈に関連したシーンを新たに考える」という対応を取れば、シーンを埋めることができる。

  1. 「ここからここまでは、何についてのシーンの集まりか?」(空間の内容=文脈を知る)
  2. 「それに対応したシーンであり、かつ、物語上の次のポイントに向かうのに必要な(それまでに起こる)出来事は何か?」(プロットポイント・EDへ向かうために必要な物語上の動きを知る)

この2点を抑えるだけで、「どんなシーンを繋ぎに使えばいいのか?」は、かなり考えやすくなる。

これは、箱とラベルの関係に近い。空箱に「工具箱」とラベルを貼れば、その箱は工具箱になる。「薬箱」とラベルを貼れば、その箱は薬箱になる。たとえ風邪薬一つしか入っていなくとも、薬箱とラベルが貼ってあればそれは薬箱だ。

もし、「薬箱がスカスカで寂しい、何か入れないと」と思ったなら、薬を買いに出かければいい。反対に、もし薬箱の中にドライバーが入っていたら、それは取り除く。それは改めて、「工具箱」のラベルの箱に移すべきだ。シーンの順番を触るのはなにも、「この方がより面白くなるから」という理由ばかりじゃない。

シーンが不足していて補強する必要がある場合、このラベルに即したシーンを考えていく。これがシーンを補強する時の考え方だ。

今の段階ではまだ大雑把だけど、パラダイムを細分化していくことで、個々のシーン単位で何が必要か、「何についてのシーンを思いつけばいいのか」を割り出すことができるようになる。

箱にラベルを張り、まず何を買いに出かければいいかをハッキリさせる。これだけでも結構な割合、創作の迷路を回避できるんだ。

プロットポイントはアドリブを受け止めてくれる

文脈について一つたとえ話をするために、また少し、プロットポイントについて語ろう。

プロットポイントⅠ、Ⅱとはそれぞれ、物語を完結させる上で必ず知っておかなければならない要素だ。

プロットポイントⅠは「物語の本筋に入るために」必要であり、プロットポイントⅡは「物語を終わらせるために」必要だ。そして同時に、「目指すべき地点」でもある。

物語を物語として機能させるシーンが押さえてあるおかげで、「ここまでにこれをやっておけばいいんだな」と、安心して積み上げていくことができる。

例えば、『美女と野獣』の第二幕、唐突にニンジャが現れ、スリケンを投げつけ野獣に襲い掛かかったとする。イヤーッ!

グァーッ! 野獣は咆哮を上げて応戦! おお、これが高等な教育の賜物、ビースト・カラテか!

でも最終的に、何かしらの理由で野獣が自分からベルを開放しさえすれば、物語はエンディングに向かうことができる。

観客があとから「あのニンジャは何だったんだ……?」と思うのはともかくとして、こんな無茶をやっても物語を完結させることができるようになる。ニンジャが乱入しても大丈夫だったら、少々のアドリブなんてどうってことないと思わないかい?

プロットポイントにはそのくらいの耐久力があり、「アドリブをどう効かせようが、プロットポイントに着地すればOK」というくらい、物語をしっかり支え、シーンを受け止めてくれる。事前に決めておくからこそ、安心してアドリブを楽しみ、自由に書くことができるんだ。

ではなぜ、ニンジャが『美女と野獣』に出てこれないのか?

ここからが文脈に関わる部分だ。主に、「不要なシーンである理由」を見つける機能についてだ。

どうして、ニンジャがこの映画に出てこれないのだろうか?

この答えは、まあまず、「ニンジャがこの世界に合わない」であるのは当然だ。でも、構成上の理由もあって、それが「文脈に関連しないから」だ。

第一幕の状況設定にもニンジャが出てこず、第二幕のベルと野獣の関係を邪魔する敵対者でもない。かといって、物語の解決に関わる存在でもない。

「この人物が登場する意味は?」というやつだ。大きな文脈は小さな文脈に分けていくことができるのだけれど、その文脈のどこにも、ニンジャが絡んでいない。この物語全体にとって、ニンジャは「無関係」なんだ。

反対に、第一幕でニンジャが魔女の密使として描かれていたり、呪いによって森の狼が邪悪なニンジャ・スポーンズに変えられていた場合、その乱入は至極自然に思えるはずだ(そういう世界だ、という事前説明が済んでいるわけだからね)。

また、この「文脈との関連」は読者の興味を持続させるのにも重要な役割がある。

ニンジャが乱入してくる分には事象そのものが面白いから笑ってられるが、いきなり「ガストンの幼少期の回想」とかやられたら、話は一気に退屈になるよ。だってぼくらが見たいのは扇動者じゃなく、ベルや野獣の話なんだ。

そして、ガストンの過去が物語をどう前進させる? 無関係な話は、誰にとっても退屈でストレスだよね。

ちょっと嫌な言い方になってしまうけれど、言い方を変えれば、「無関係な話題を見せられるくらいなら、ニンジャが乱入してきた方がマシ」なんだ。

最初の読者は自分であり、「次にどんなシーンを書けばいいのかわからない」とき、無理やり関連の薄いシーンを書き続けると、「コレジャナイ」感で辛くなると思う。自分自身、無関係なシーンであることは辛いんだ。

そしてそれは、あなたの作品を「読者の興味を引き続けることができない物語」にする死神だ。ニンジャが乱入してくる隙を与えないように、備えよう。

ディズニー映画のマジックのトリック

第一回で言ったように、ディズニー映画は子供向けだ。そして「どのように興味を引き続けているのか?」というクエスチョンを投げかけた。その答えの一つが、「常にプロットポイントに向かって物語が動き続ける」ということだ。

良いことが起こっても、悪いことが起こっても、そのどちらもが適切な場所に配置されているおかげで、物語を常に前に進めている。それが子供を退屈させないことに繋がっているんだ。つまり、「構成の力」と言えるね(当然、構成がすべてではないことには注意されたし。構成とは、煮ても焼いても食えないものを面白くする後付けの魔法ではなく、内なるアイデアとキャラクターを正しく伝えるための手法に過ぎないのだ)。

また、ディズニーについては、「今、何についてのシーンを見せられているか」が非常にわかりやすいのも特徴だ。そして、そこに関連しないシーンは徹底的にカットされている(この点においてディズニー作品は洗練されすぎていて、ある意味サンプルに適さないとも言える)。

だから「このシーン要る?」というシーンがなく、子供の関心を途切れさせることがない。人物についての情報を明らかにするシーン&物語を前に進めるシーンを残し、それに寄与しないシーンをカットする。それを繊細な仕事で遂行することによって、キャラクターやアイデア以外の面からも、あの移り気で小さな顧客の関心を得続けることができているんだ。

「物語を常に前に進めましょう」なんて言うのは、聞き飽きた創作ハウツーだと思う。それに、「関係ないシーンをカットしましょう」も。けれどいつだって、「当たり前のことを当たり前に、高い精度でやること」は腕の良い職人の条件だ。

(「小説は芸術では?」という議題もあるかもしれないけれど、ぼく個人としては「どっちでも関係ないから、どっちでもいい。しいて言うなら両方の面があると思う」が回答だ。小説が芸術であっても、職人の仕事であっても、実作には関係ない。

仮に結論が出たとして、明日から書く文章が変るわけでもない。想像を膨らませるのは芸術家としてのあなたが、それをイメージ通りの形に作り上げるのは職人としてのあなたが担当すればいい。都合のいいときに出てきてもらって、都合の悪いときには「後から来て!」と引っ込んでもらう。それによって完成させられて、おまけに良い物ができる。実作にここまで影響してくれるなら、それで十分じゃない?)

ディズニーが創作の魔法を持っているかはわからない。けれど持っていたとして、ディズニーの業すべてが魔法なわけではないということは、わかってもらえたんじゃないかな。

前回と今回のまとめ

オープニングが終わったら、プロットポイントⅠを目指す。プロットポイントⅠまで来たら、プロットポイントⅡを目指す。プロットポイントⅡまで来たら、エンディングを目指す。

物語を終わらせるためには、本題へ突入するプロットポイントⅠと、エンディングへ向かうためのプロットポイントⅡが必要なんだ。ここを把握しておけば、例えニンジャに乱入されたとしても、物語を本筋に引き込み、終わらせることができる。これは、映画や単行本1冊分の小説であっても、連載漫画でも連載小説でも変わらない。

始まった物語はどこかで本筋に突入し、何かによって方向を変えることで終わりに向かう。この2点を知らないと、物語はどうやっても序盤から出ることができず、中盤に入った物語が終盤に入ることができない。

序盤で躓く、もしくは軌道に乗せた物語を完結させられない。こういう時、まず確認するのが、プロットポイントⅠとプロットポイントⅡだ。自分の物語において、何をすれば序盤が完了し、何をすれば中盤が完了するのか。それを知らないと、物語は前に進めなくなってしまう。ここが抜けていれば機能不全を起こすのは当然だ。

才能とかセンスはとかは関係ない(特に学ばなくてもできる人はいるけど、学べばぼくらのようなタイプにだってできる類のものだ)。そんな曖昧なものを気にするよりも先に、このシステマティックな要素をチェックしよう。

分析を終えて

『美女と野獣』はディズニー産なだけあって、非常にわかりやすい物語になっている。プロットポイントⅠは新世界の入り口として物語を「美女と野獣の関係」にシフトさせているし、プロットポイントⅡの判断は、練習にもってこいのサンプルだ。

オープニングから始まった物語は、エンディングへ向かう。そして、そのためにはプロットポイントⅠ、プロットポイントⅡを経由する。点と空間、割り振りと逆算。プラス、「次の点に向かうには物語上、どんな出来事が起こっている必要があるか?」を探ること。これが自分の物語について知っていくということだ。

エンディング、オープニング、プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡ。たったこれだけの要素を知るだけで、自身の物語について非常に多くのことがわかるようになる。

まだ『美女と野獣』の本編を見ていない人は是非視聴して、確認してみてほしい。もちろん、前回のプログラムに参加した人は、ここからさらにパラダイムを発展させたり、更なる分析をしてみてね。良質なトレーニングになること間違いなしだ。

それでは、また次回!

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