専門外ではあるけれど、映画という、非常に大きな興行の世界で使われる宣伝の手法について、ぼくらにも学べることはある。それについて、一つ紹介しよう。
宣伝についてぼくらがすべきことは、作品の内容をちゃんと伝えることだ。例えるなら、時間というリソースを課金させ、ガチャを回してもらう。そのための興味引きをするんだ。
「欲しいものが出るかはわからないけれど、欲しいものが出たらうれしい」、こういう状態を作ること。やりたいことはこれだ。ここまで話せば、どこを宣伝するかは、想像ついちゃってるよね。
宣伝では、「もし、○○が○○だったら?」を活用する。つまり、第二幕前半だ。
物語のおいしい部分、あなたが見せたい物語の売りが、第二幕の前半にある。それならば、その売りをプッシュして、そこを読みに来させるのだ。
実際、映画の予告編でも多くは第二幕の前半のシーンが使われている。ならば、それに倣うのがクレバーな選択だろう。
これについては、物語全体から見た第二幕前半でなくてもいい。一話単位でセッティングすることも可能だ。
その場合、「大きな序盤・中盤・終盤の中に、小さな序盤・中盤・終盤がある」という考え方を応用すればいい。物語全体に序盤・中盤・終盤があり、その中にさらに序盤・中盤・終盤がある。そしてその中にも、さらに小さな序盤・中盤・終盤があるのだ。
転生したら何だったのかを第一話で扱った先に、物語全体からみたプロットポイントⅠが待っている。
「もし、転生したら○○だったとしたら?」をやってから、「で、転生したら○○だった先で、何をするか」という話に繋がるわけ。
異世界に連れていかれエルフやドワーフが居て、その先に国を手に入れ戦争を始めているのが『ドリフターズ』だ。
「もし島津豊久が異世界転移したら?」、「もし同じ状況の先人が居たら?」、「それが織田信長だったら?」、「それが那須与一だったら?」、「そんな三人がいる中、恩を受けたエルフの村が襲われたら?」。こうやって進んだ先に、今度は「国盗りをはじめたら?」、「『世界滅ぼし軍』と戦うことになったら?」と物語が続いていく。
「今まではこういう状態だったけれど、それがもしこうなったら?」これを起こすのが物語の新しい展開であり、前進だ。無関係なシーンの連続でない以上、それは存在する。
「もし、○○が○○だったら?」、この言葉は本当に強力で、自分の物語についての『お楽しみ』を知ることにも、読者に興味を持ってもらうポイントを判断するのにも使える。疑問の答えはみんな知りたいのだ。
この強力さは長文タイトルが証明している通りだし、映画の予告編だって、「もし、○○が○○だったら?」を期待させる形で作られている。すると映画はどうするか? それに応えるだけだ。
誰が言ったのか忘れたが、宣伝とは、興味のない人に興味を持ってもらうことではなく、興味がある人を取りこぼさずに伝えることだという。
「田舎町で繰り広げられるハートフルストーリー」として『ミスミソウ』を紹介したら、嘘つきの誹りを受けるだろう。相手は憤慨するかもしれない。「気分悪いもの薦めやがって!」
けど、「凄惨ないじめを受け、家族を燃やされた主人公が復讐する話」と紹介して興味を持ったなら、相手は『ミスミソウ』の内容にとても満足してくれるだろう。そういうのを読みたいと思って、ちゃんとそういう物語が出てきたのだから。
例えば、さっきの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』についての説明で観たいと興味を持ったのなら、きっと満足できると思うよ。あなたがもし心をえぐられたいと思っているなら、十二分に、それに応えてくれる。救いのない話そのものだ。
大切なのは、「こういう物語を読みたい」と思っている人に、「この物語はこういう物語ですよ。こういうシーンが、いかにも期待できそうですよね?」と、伝えることだ。伝われば「そうそう、こういう話が読みたかったんだよ!」と、喜んでくれる。
端的に言ってしまえば、「読ませたいところを期待させましょう」ってこと。
これを普通の人に言うと「それをどうやってやればいいのか分かれば、苦労しないんだよ!」となってしまう。けれどあなたの場合、パラダイムの第二幕前半の内容を確認するだけだ。それでことは済んでしまう。
宣伝では、第二幕前半を推す。第二幕前半を推すことは、自然と、「もし○○が○○だったら?」を推すことになる。これが映画という巨大な興行から、ぼくらが得られるメカニズム的な学びだ。