「『お楽しみ』が物語の核になることはわかったけれど、じゃあ、どんな方法で自分の物語の『お楽しみ』を知ればいいの?」
これに答えてくれるヒントが、『ログライン』という考え方だ。
『ログライン』というのは、「どんな物語なの?」という問いかけに、端的に答えた文章のことを言う。どんな物語か手短に答え、その上で、興味を持たせるのが役目だ。
スナイダーは、脚本を売り込みたいという人の物語を聞く前に、まずログラインを尋ねるのだという。もしどんな物語なのか一言で説明できないのなら、もう話を聞きたくなくなると。
「あらゆる場所に自分で出向いて脚本を売るなんて、現実的には不可能な話だ。だったら自分がいない場所でも、赤の他人をワクワクさせて、脚本を読んでもらうにはどうしたらいいか? それが脚本家が最初にすべき仕事なのだ。脚本の内容を簡潔に説明できないなら、ごめん、そういつまでも話は聞いていられない(私の関心はもう次の脚本に移ってしまっているだろう)。一行で読者の心を掴めない脚本家のストーリーなんて、聞くまでもないからだ」
(snyder 2005: p. 26)
と、こんな風に言っている。
聞くまでもないからだ、なんて、相変わらずスナイダーは極端だけれど、現象そのものは結構、思い当たる人がいるんじゃないだろうか。
公募に出すにしろ、WEBサイトへ投稿するにしろ、あなたが読者の前に直接出向いて、売り込むわけではない。公募はちゃんと読んでもらえるけれど(それでも面白そうと感じたものを読みたいというのが人情だろう)、このあたり、WEB小説の場合は顕著だよね。
どういう物語なのか、何を楽しみに読めばいいのか。それをきちんと伝えないと、Twitterで熱心に宣伝したところで、小説のページに飛んでもらうことはできない。スナイダーが言う内容と、起こっている現象は同じだ。読者はあなたの物語を読むのをやめて、もしくは、読まないまま、次の小説を探し始めるだろう。
ソーシャルゲームのガチャを思い浮かべてほしい。ガチャを回したところで、欲しいキャラが出るかはわからない。けれどそもそも、欲しいキャラもいないのにガチャは回さないのだ。どんなキャラが出るかをちゃんと伝えて、「このキャラ欲しい!」と思わせないと。
物語も同じように、内容をはっきり伝えないといけないのだ。
また、ログラインを長々と語ってはいけない。ログラインは別名『ワンライン(一行)』とも呼ばれている。ワンラインなのに、二行も三行も語ってはいけない。
いくつか例を挙げてみよう。
- 「非番の警察官が妻に会いに行くが、妻の勤め先のビルがテロリストに占拠される」……『ダイ・ハード』
- 「ある異性と入れ替わっている夢をいつも見たが、実は本当に二人は入れ替わっていた」……『君の名は』
- 「実は今まで生活していた世界が、コンピューターの中に構築された仮想現実の世界だった」……『マトリックス』
こんな具合だ。どんな物語か、端的に表しているよね。これをもう一歩進めてみると、『お楽しみ』を考えるための、強力な手掛かりにすることができる。
「もし○○が○○だったとしたら?」という質問に答えるログラインを書くのだ。
ハリウッド脚本術から外れた出典との合わせ技になるが、スティーヴン・キングは「私の場合、もっとも興味を惹かれる状況は、たいてい、“もし~としたら?”の仮定法で言い表すことができる」(king 2000: p. 225)と言っている。
そしてこの「もし○○が○○だったとしたら?」の後ろには、「どんなことが起こる?」という期待が隠れているんだ。
- 「もし、非番の警官が妻に会いに行った先で、完全武装したテロリストと戦うことになったら?」……『ダイ・ハード』
- 「もし、夢の中で、都会の男子高生と田舎の女子高生が、入れ替わっていたとしたら?」……『君の名は』
- 「もし、今までいた世界が、コンピューターによって作られた仮想現実の世界だったとしたら?」……『マトリックス』
「もし~としたら」は、強力な興味引きであり、あなたの創造性を奮わせる起爆剤でもある。もし○○が○○だったら、どんなシーンが生まれるだろう。キャラクターがはっきり構築できている人の中にはこう考えるだけで、ハチの巣をつついたようにシーンが溢れてくるだろう。
これは映画に限った話ではない。
1話完結モノの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を思い浮かべてほしい。1話の中に「もし、両津が最近流行の○○を商売にしたら?」というログラインがある。両津は商才も行動力もあるから、商売は大当たりする。けれど、両津だから、汚いことをやって失敗する。どっちもみんなわかっているけれど、やっぱり読んでしまう。
『金田一少年の事件簿』は、毎回やっていることは同じでも、「もし○○が○○だったら?」が、舞台設定ごとに異なる。殺人事件が起こるのは一緒だが、舞台と怪人の種類が違うんだ。
オペラ座の怪人であったり、白髪鬼だったり、ケルベロスだったりする中で、それを活かした事件展開をしている。『ジョジョの奇妙な冒険』なんて、スタンドごとにこれが設定されているよ。
『ドラえもん』に関しては、作品を通してログラインを示しているよね。「もしだめだめな少年の元に、未来からロボットがやってきたら?」に答えている。どんなことが起こるか? 不思議なポッケから、秘密道具を出してくれるんだ。押し入れで寝て、同居してさ。各話ごとで見た場合「もし、どこでも行けるドアがあったら?」とか「もし独裁者になれるスイッチがあったら?」という具合。
ストーリー物でもそうだ。「もし、落ちこぼれの忍者が忍者のトップを目指したら?」が『NARUTO』だし、「もし、他所の里から来た下忍と、様々な形式で戦うことになったら?」が中忍試験編、「もし、サスケが大蛇丸の手の者に、拉致されたら?」がサスケ奪還編だ。
序盤・中盤・終盤の中にまた小さな序盤・中盤・終盤があることは、以前話した通りだ。「もし、ネジが回天と相性が最悪の敵と戦ったら?」、「もし、チョウジが負けられない戦いを任されることになったら?」こうなったら、何が起こるだろう? 読者はその結果を見たくてページをめくるし、次の週もジャンプを読む。
WEB小説で流行の長文タイトルというのは、このログラインに、タイトルの段階で明確に答えている。『転生したらスライムだった件』は、「もし、転生したらスライムだったら、何が起こるか?」でしょ?
長文タイトルの流行には、WEB小説の形式による部分も大きいと思う。
「もし○○が○○だったら?」という、ログラインを示したうえで、何を期待して読めばいいかわかるタイトルというのは、それだけで、予告編を見せているようなものなんだ。
情報量が多いし、「どんな面白そうな小説がアップされているかな」とWEBサイトを覗く中で、「こんな内容の面白そうな物語がありますよ」、爛々と光っているのは、引力が違う。だからこそ強力で、人目を惹き、人を集める力に優れている。
流行を「テンプレ」という言葉で片づけるのは簡単だけれど、そこには人を引き寄せる機能的な根拠があるんだ。ログラインという言葉こそ使われていないけれど、長文タイトルの流行こそ、ログラインの効果の程を証明してくれている。
ログラインとお楽しみの関係
で、ログラインと『お楽しみ』がどう関係するかについて話さなきゃね。
結論を先に言ってしまうと、ログラインでプッシュされるのは、第二幕前半だ。先ほどのログラインを、もう一度見直してみよう。
- 「もし、非番の警官が妻に会いに行った先で、完全武装したテロリストと戦うことになったら?」……『ダイ・ハード』
- 「もし、夢の中で、都会の男子高生と田舎の女子高生が、入れ替わっていたとしたら?」……『君の名は』
- 「もし、今までいた世界が、コンピューターによって作られた仮想現実の世界だったとしたら?」……『マトリックス』
気づいただろうか? これらはどれも、「もし○○が」の部分を第一幕でやって、「○○だったら何が起こるか?」を、第二幕でやっているんだ。
もし、非番の日に別居中の妻に会いに行って、テロリストに遭遇したら、何が起こるだろう?
まず、ロクに武器なんてあるわけない。うまい具合にテロリストに一杯食わせて、銃を奪わないといけないし、こっちは一人しかいないんだから、工夫して戦わないといけない。エレベーターの上で息をひそめたり、通気ダクトにニンジャみたいに這いつくばる絵も生まれるだろう。裸の大将みたいな恰好で、煤塗れになりながらさ。他にも、孤立無援の中、唯一無線でやり取りができた警察官と友情が生まれたりね。
もし、都会の男子高生と都会の女子高生が入れ替わっていたら、何が起こるだろう?
男女の違いは大きいから、そこを起点に、入れ替わりのお約束と呼べるシーンがあるよね。体の違い、仕草の違い、得意分野の違い。記録をきちんと残して、意思疎通が図れたりさ。田舎の女子高生がいきなり都会の男子高生になれば、都会の生活に目を輝かせることになるだろう。バイト先で裁縫スキルを発揮して、図らずとも年上の先輩に良い所を見せてしまうかも。
『マトリックス』は本当に素晴らしい。もし、今までいた世界が、コンピューターによって作られた仮想現実の世界だったとしたら?
使っていない筋肉は委縮しているし、光がすごくまぶしい。なぜなら、自分自身の目で物を見たことが一度もないから。
その理由は……、仮想現実の世界だったのは人間が機械に支配されているからだった!ババーァン!
正直、モーフィアスが過剰演出でネオをビビらせた気はするけれど、「もし」に、思いっきり応えている。その上、仮想世界では『ドラゴンボール』みたいに戦うこともできるし、ビルとビルの間を飛び越えることもできるっていうじゃないか!
エージェント・トレーニングプログラムも完璧だね。機械に支配された仮想現実の世界に出てくる敵は、コンピューターに繋がれた人すべてにアクセスできる。監視の目を持ちながら、その誰からでも変身して、現れることができるんだ。これこそ仮想世界ってシーンが、山のように出てくる。これこそ「設定を活かす」ってやつだ。
第一幕で「もし、○○が○○だったら」を設定し、第二幕で「何が起こるか」を見せているよね。もっと言うなら、「何が起こるか」の楽しい部分を見せるのが第二幕前半で、辛い部分、苦しい部分を見せるのが第二幕後半だ。それぞれ、『お楽しみ』系と『迫りくる悪い奴ら』系のセクションだね。
ログラインと幕の関係は別に、ぼくが独自の説を提唱しているわけじゃなくて、三幕構成の特性を考えれば自然な話だ。
状況設定が第一幕だから、「もし、○○が○○だったら」という人物の部分と、舞台設定などの事前情報を扱う。「もし、○○が○○だったら」という言葉そのものが、誰が、どういう状況かを、説明しているよね。
第二幕が葛藤だけれど、これはいつもの言い換えで、物語の本筋とさせてもらう。第二幕は状況の説明を終えた後、物語の本筋を見せる部分だから、自然と「これまで話した前提の先に、何が起こるか?」を見せることになる。
「こういう人がこういう状況で、こういうことが起こるんですよ」という、この説明は半分に割ることができる。半分が前提となる情報であり、もう半分が、そこから何が起こるかという本題だ。
この質問さえはっきり答えられれば、第一幕でどんな状況設定をすればよくて、どこからが第二幕なのか、一発でわかる。
自分の物語の「もし、○○が○○だったら?」を、考えてみよう。それに応えるシーンが丸々第二幕前半となり、同時に、あなたの物語のウリでもあり、『お楽しみ』であり、読者の期待する「お約束」でもある。ここが薄いと、物語の楽しさは半減だ。
短絡的な抜け道が、読者の反応を良くする!?そんなばかな!!
短絡的だが、おかしなことを言っているわけではない。読者は『お楽しみ』を楽しみにして読みに来るんだから、『お楽しみ』を起点に、物語を考えるのだ。
BS2は元々、スナイダーが三幕構成の具体性を上げてテンプレート化したものだ。とはいえ、それでも、一般の人から見れば十分な抽象性を持っている。
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』と『マトリックス』と『タイタニック』が同じ方法論に基づいて書かれているなんて話を、あなたの職場の同僚は理解できないだろう。そしてそれが『いちご100%』や『ジョジョの奇妙な冒険』と同じというのも。
抽象性が高いほど、その正体は見えづらくなる。
起承転結は物語のオープニングからエンディングまでを、たった4文字で表している。けれど起承転結で書くために何をすればいいのか、どうすればいいのかという正体を、この4文字から読み取るのは難しい。
普通の人が小説を読んでも、漫画を読んでも、アニメを観ても、映画を観ても、「起承転結で書かれているね」とまでは言える。けど起承転結で実際に書けるかは別の話だし、それは「なんとなくわかっている気がする」だけだ。
BS2は三幕構成にわかりやすい味付けをして、強烈に具体化したものに過ぎない。けれど普通の人からすれば、その存在を感知できるほど具体的ではないんだよね。
BS2は「物語の形そのもの」についての考え方である三幕構成の親戚(というか子孫)であり、「面白い物語の形」の形式でもある。
だって、「設定と人物を見せて、先を期待させて、それに応える」なんて、当たり前の話だろう? この当たり前の話を、テンプレートとして落とし込んであるのがBS2というだけなんだ。
面白い物語はそのどれもが、「設定と人物を見せて、先を期待させて、それに応える」という形を取る。BS2で書くとその形になりやすいから、読者の反応も良くなる。自然な話なんだ。
小説を読んでいて、映画を観ていて、漫画を読んでいて、「分かっちゃいたけど、やっぱ、そうこなくっちゃね!」と思うことってあるでしょ?
もし物語に触れて、「お約束」として期待した展開が無かったら、どうだろうか?
起こってほしいことは起こらないし、なんかだらだらしている。いつまで経っても、物語が本筋に入らない。そのくせ、期待していたシーンをすっ飛ばして物語が終わってしまった。「ナンカチガウ」だ。これを良い反応に繋げるのは難しいだろう。
ありがちでも、お約束はお約束として、読者はその期待に応えてほしいと思っているんだ。
慣れた形というのはそれだけで、受け手の反応を良くする。そしてその形は、普通の人が思っているよりもずっと根深いところにあって、多くの人がそれに気づいていない。
BS2はテンプレートだが、その形をストレートに作ってくれる。その具体性と抽象性の割合、濃いか薄いか。そこに気づくか気づかないかの差があるだけだ。
気づかないうちにテンプレートを楽しんでいる人たちに、そのテンプレートを活用した物語を見せる。気づいている人にも、その形を活用した最高の形で、キャラとアイデアを楽しんでもらう。
こうしてあなたの作品も、面白かった物語の一つとして、覚えてもらえるわけだ。