1.4創作の神秘VSテンプレ

A&Cステップ

構成の存在に気づいていないとき、物語は魔法のように素晴らしいものに見える。けど、もし構成の存在に気づいたとしても、今度は別の魔法が見えるだけだ。物語の素晴らしさが損なわれることはない。

その魔法とはキャラクターでありアイデアであり、彼らが見せた姿のことだ。構成は手法だが、何かを生み出すのは神秘だ。

ぼくが今まで見た映画の中で最も面白いと思っているのはバットマンの、『ダークナイト』だ。構成はちゃんとしているし、素晴らしいと思う。

けれど、この映画を素晴らしいものにしているのは、あのキャラクターたちだ。

ブルース、ハービー、ゴードン、そしてジョーカー。分析しなくてもいいから、一度観てみてほしい。ぼくはDVDを持っていて、脚本を学ぶ前にも、学んだあとにも、何回も観ている。いつも同じことを思うよ。「あんな凄いキャラクターたちがいれば、誰が物語を構成しても大ヒットするわ」って。

■本当に神秘なのは、思いつくことそのもの

『ダークナイト』のような順番でシーンを構成して、同じような物語を書くことはできるだろう。けれど、ジョーカーやハービー、ブルースを生み出すのは、本当の魔法だ。『アルジャーノンに花束を』のチャーリーもそうだし、『ジョジョの奇妙な冒険』の花京院、ブチャラティやエルメェスだってそうだ。

「こういう物語を書きたいんですが、どんなシーンを書けばいいんでしょうか?」。こう聞かれても、ぼくは困らない。ここまでの話と、この先に話すことを喋るだけだ。

けれど、「ジョーカーみたいな魅力的なキャラをどうやって作ればいいのか、理屈立てて教えてください」と言われても、手も足も出ない。

ぼく自身は、構成の分野の能力を座学で補ったクチで、キャラクター作りは超がつくほどの得意分野だ。

だけれど、ジョーカーを理論立てて作れと言われても、理論立てて作られる過程が想像できない。脚本家が「よし、『ダークナイト』を書くぞ」と考えているうちに、勝手にああいうキャラがぽんと生まれた。大真面目に、そんな気しかしない。もしくは、ジョーカーを思いついてから書き始めたかだ。

自身で書いていて「キャラが立ったな」とか「あ、こういうキャラか!」と掴んだり、書き始める前に、明確につかめていることもある。天啓としか言い表せないひらめきで、キャラができることもある。けれど、それを「誰にでもできるように理屈を説明して」と言われても、どうにもできない。

遅い自己紹介となってしまったが、ぼくは属性として、キャラクターやアイデアに全振りしたタイプの書き手だ。

ハリウッドにおけるキャラ造りの方法論の引き出しはあるけれど「では彼らの魅力を、それで全て説明しきれるか」といわれると、残念ながらNOだと思う。

ぼくは構成の能力と引き換えに、キャラ関連に強みを貰えた。鼻につくのを承知でこう言い方をさせてもらうと、ぼくはキャラを作ったり、アイデアを閃いたりすること、自分の中に世界を構築することについて、元々かなり高い適性があった。キャラが得意分野の書き手として、「キャラクターは神秘だと思う」と思うのだ。

ぼく自身が書くキャラが全て神秘だとは言わないし、キャラが生まれた過程を説明することもできる。けれど、「こういう要素が人気が出ると思って」とか「こうすれば魅力的なキャラになると思って」という理屈立ては、まったく説明できない。

自分の書いたキャラクターを「どうやって作ったの?」と聞かれても、「こういうキャラが格好いい(可愛い)と思って」としか言えないし、「『ダークナイト』のジョーカーって、どうやって作られたと思います?」と聞かれても、「単に、作者が思い付いただけだと思います」と、真顔で言うと思う。実際そんな気がするし、ぼく自身、そうやってキャラを作っている。

小説、『アルジャーノンに花束を』の授賞式で、アイザック・アシモフ(ロボット三原則の人だ)と作者のダニエル・キイスとの間に、こんなエピソードがある。

私(アシモフ)は「いったいどうやって、彼(キイス)はこんなことをやり遂げたのですか?」とミューズ(知の女神)に問うた。…キイスは丸っこい、穏やかな表情で、こんな不滅の名言を返してきたのである。「ねえ、わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。もう一度やってみたいから」

(Keyes 1999: p. 6)

読んでない人は是非読んでみてほしいし、読んだ人は思い返してみてほしい。あの物語を構成するのは、特別難しいことではない。「もし知的障害のある青年のIQが、脳手術を受けて飛躍的に上昇したとしたら?」という具合だ。大体の流れはアテがつくだろう。

キイスにあの作品の構成を伝えることは、ぼくにだってできるだろう。けれど、チャーリー・ゴードンやアリス・キニアンの、あのキャラクター、感情、気持ちをどうやって書いたかを説明することができるとは、口が裂けても言えない。ぼくは嘘つきになりたくない。

とまあ、少し話がそれちゃったね。ぼくが言いたいのは、本当に物語を素敵なものにしているのは構成の力ではなくて、キャラクターと、その動きだということ。つまり根っこに必要なのは、あなたのキャラクターへの愛と情熱だ。構成というのは、ガワに過ぎない。

構成は、キャラクターが十分に動き回るためのスペースを確保し、原稿に出力するときに、「書いていく都合でどうしてもこのシーンが入れられなくて」という減点を防ぐためのものだ。構成だけ完璧でも、人物が魅力的でないとどうにもならない。仏作って魂入れずとはこのことだ。こんな空しい話はないよね。

これはぼくの持っている考えでしかないし、あなたに同調を強いる気はまったくない。ただわかってほしいのは、「構成を知ったところで、魔法に見えていた部分がそうでなくなるだけで、本当の魔法は依然として魔法のままだから、不安になる必要はないよ」ってこと。源泉は不可侵だ。

■本当の神秘は根っこの方にある

この考え方は、創作ハウツーを見かけてメンタルを揺さぶられそうなときにも使える。

ぼくは元々、創作に手法を持ち込むのを好まなかった。無限に見えた創作が、解体されてしまうような気がしたからだ。

けれど構成の考え方を持ち込んで書くようになった今、そんな不安は全くない。本当の神秘は不可侵なのを知っているから、かえって安心して、手法に触れられるんだ。手を出して、その手法を使ってみればいい。「できることが増えるだけだ、やったね!」って思うだけだ。

ぼくはこういう意味で、根っこのところでは創作の神秘の信者でもあるわけ。変化のプロセスだよね。テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ。創作の手法を受け入れないヤツが、それを受け入れて、両方の一部づつを、都合よく受け入れるようになった。

神秘を盲信するんじゃなく、テクノロジーと神秘が共存することに気づいたんだ。いっしょくたにせず、分けて受け入れて、自分の物語を磨く道具として使うのが、大切なんだってね。