この項目では、推敲によって執筆を加速させる考え方について話すよ。
推敲というプロセスについて知ることは、執筆速度を上げることに繋がる。伸び伸びと書き、スラスラと書き、たくさん書けるようになる。これらが推敲のやり方を知る利点だ。
まず前提として、ここで言う「推敲」というのは、第一稿を書き上げてから、オープニングからエンディングまで書き終わった後に行うものを指す。
章の途中、シーンの途中、その日の最初にファイルを開いたとき、そういう時に原稿を修正しない。平行してやっては、ことを仕損じる。
推敲は大切だ。けれどタイミングを間違えると、作品の完成を遠のかせる厄介な要因になりかねない。
さっきも軽く触れたが、推敲は「絶対に」第一稿を書き終えてから行う。第一稿を書き終わるまで、原稿の直しをやってはいけない。
それはなぜか? 推敲は、いくらでもできるからだ。
ジャン・ルノワールという、シド・フィールドが師と仰ぐ脚本家がこう言った。「完璧であることは理想だ。けれど完璧さというのは心の中にのみ存在するものだ。現実には存在しない」。
以前話した、テスト終了5分前に、二択問題を悩む様に似ている。原稿というものは、直そうと思えばいくらでも直せるのだ。そして、タイムリミットが背中を押してくれることもない。あなたが終わりと言わない限り、推敲は永遠に終わらないのだ。
そして多くの場合、自分自身が「推敲、終わり」と言える段階をわかっていない。ちょっとの文章、シーンの前後のことなんて、書く前はそんな細かいこと、考えちゃいなかった。なら、どっちでもいいんじゃないか?
ぼくの経験則で申し訳ないが、ぼくは推敲を、「よし、これで完璧だ」と思って終わらせたことはない。矛盾や不足している情報などを直して、残るは自分の好みや匙加減の問題、というラインまではやる。それから、「あー、もう、疲れた、これ以上考えてもわからん」となって、ようやく推敲をやめる。
触りたい場所がある気はするが、「でもどうしようなー」という状態が続くなら、それは、どっちにするか、自分でも決めていないのだ。なら、そこに正解はない。そこにあるのは単に、好みの問題である。
iphoneを買うのか、androidを買うのかではなく、iphoneのホワイトとゴールド、どっちを買うかという話である。どちらを買うべきか、自分で決めたほうが正解になるのだ。
だからまず、好みの問題の段階まで直しをする。後は疲れて嫌になったら、推敲をやめる。正直、止め時は今でもわからない。けど、どこかで終わらせないといけないのだ。そのきっかけが時間切れであったり、スタミナ切れだってわけ。
と、話が逸れたが、ぼくが言いたいことは2つだ。推敲は最後にやるもので、最後にやる推敲でも、止め時なんてわからないってこと。推敲は、スーパー時間食い虫なのだ。
足踏みしている感覚がすごく強くなるから、初稿を書き上げる前に手を付けると、モチベーションに悪影響が出る。初稿の執筆中に推敲を始めるくらいなら、その時間でスマートフォンのゲームの周回をした方がまだマシだ。
初稿も上がっていないのに、終わりのない作業を始めてはいけない。それではいつまで経っても初稿が完成しない。だからこそ、推敲は後からやるのだ。
執筆中に始めた推敲で嫌になってしまうと、執筆そのものが嫌になってしまう。執筆が終わってから推敲するなら、嫌になったらやめればいいのだ。その場合は、ただ原稿が完成するだけである。
それはあなたにとって100%ではないかもしれないが、読む人にとってはそうでないかもしれない。良い意味でも、悪い意味でもね。あなたが放置した項目を、読者がどれだけ気にするかは、また別の話だ。
あなたは、この時間食い虫をうまく飼いならし、コントロールする必要がある。それは、「直したいところが気になって気になって仕方がない!」という気持ちや、執筆途中で推敲に入ってしまったりして、本来すべきことを見失わないための防衛手段だ。
推敲は、初稿を書き上げてから取り掛かる。これは、絶対に守ってほしい。後で直せるからこそ、振り返らずに、パーフェクトでない文章を許せるようになるのだ。それが執筆速度の向上につながる。書ければ書けた分だけ楽しくなるから、さらに作業はブーストされていく。
推敲するという前提さえれあれば、わき目を振らずに全力疾走することができる。だから、執筆速度が上がる。このように、推敲と執筆速度には関係があるのだ。