3.5気分が乗らないときに思い出す、偉大な作家の言葉

WRITINGステップ

ぶっちゃけ、このテキストを書いているときでも、理由なく、書くのが億劫なことは何度かあった。書くことは決まっている。けれど、机に向かうのがただ面倒なのだ。YouTubeを見て、ゲームをして、それで一日が終わったこともあった。

トム・シェルマンという脚本家が、毎日の執筆についてこう言っている。

「ああ、今日はやりたくないなぁ」と一言ぼやいてから、私は仕事に入る。先生がこういったのを覚えているよ。「八百屋と同じだ。店を開けて“営業中”の札を下げて、さあ、仕事だ!」

(Karl 2012: p. 143)

ぼくはこの言葉を思い出しても、「うちの八百屋は、今日はお休みなんだ。昨日もね」と、昼までベッドから出なかった。色々言ったが、ぼくもなみの罪人に過ぎない。

この状況をどうやって打破したか? 残念ながら、またしても画期的なブレイクスルーというのはなかった。

情けない話、罪悪感に駆られて、渋々書き始めたのである。

たしかに気分は乗らない。ただ幸いにも、書く内容は決まっている。ならば別に、書けないわけではないのだ。

どれだけやる気がなくても、「机に1時間向かえば、1500字は堅い」と思えば、まだマシだ。コーヒーをがぶ飲みしながら2時間も机に向かえば、自動的に3000字は進んでいる。一度書き始めれば勢いもついてきて、概ね4000字にはなるから、まあ、嫌々やったにしては上出来だ。

これを朝、昼、晩と、1回づつやる。そうすると、休日に12000字進むことになる。

7時に起きて、午前中で2時間。お昼を食べて2時間、夕飯を食べてから2時間。書いていないときは、YouTubeを見たり、ゲームをしていたりする。12000字も嫌々書くんだから、それくらいは別にいいのだ。どれだけ気乗りしなくて怠惰な一日を送ったとしても、12000字も原稿が進んでいれば、気分も随分違う。派手に下振れして半分の6000字しか書けなくても、書かないよりずっとマシな気分で一日を終えられる。

嫌々書いた12000字かもしれないが、推敲の段階で、その内容はどうにでも直せるのだ。「嫌々書いて、良いものが作れるわけがない」という声も、世の中にはあるだろう。だがぼくらには、推敲レポートがある。嫌々書いたときの出来は、関係ないのだ。

書いて、その文章が気に入らなかったのなら、その旨を推敲レポートに書いておく。あとからいくらでも、その文章を好きになる方法を考えることができる。

どうにもやる気の起きない日もある。人間だからね。そういう時は、「嫌々書くこと」を自分に許してあげる。

蛇口の例えで言うなら、心機一転、準備万端で蛇口を回す必要はないのだ。ため息をつきながら、眠い目を擦って、半回転ずつでもいいから蛇口を回す。

すると少しは書けるようになって、気分も戻ってくる。そこからちょっとづつ、立て直していけばいいのだ。