3.4やる気が出ないときに思い出す、偉大な作家の情けない言葉

WRITINGステップ

なんだかやる気が出ない、なんだか不安だ、自信が急になくなってきた。こういう感覚に襲われたことは、あなたにもあるだろう。ぼくにもある。そして、世の偉大な作家にも。

偉大な作家でも、不安になったり、やる気が出なかったり、打ちのめされてしまったり、嫌になってしまうときはある。本人たちがそう言っているのだ。

ぼくは、創作に向かう自分の気持ちが不安定になっていると感じたとき、彼ら、彼女らの言葉を思い出すことにしている。

他にも、「自分がやっていることが、本当に正しいのか?」と、疑問に思ったときとかもね。

偉大な書き手の言葉を聞くと「ああ、アカデミー賞をもらった脚本家でも、こんな気持ちになったんだな」とか、「彼もそうだと言って言うんだから、きっと正しいだろう、うん、大丈夫だ」と、考えることができる。

ハリウッドの最前線にいたクリエイターだって、文章を書くマシーンではなかった。彼らも、不安になり、気乗りしないと思いながら机に向かって書くことはあった。自分が書く文章が、全然良くないものだと、自覚しながら書いたこともね。

ぼくやあなたががそうであったからって、何を後ろめたく感じることがあるだろうか?

偉大な脚本家がそうであったのに、ぼくやあなたが、超人である必要はどこにもない。素晴らしい結果を残した彼らも、同じ人間なのだ。

ぼくが常々、忘れないようにしている言葉を紹介しよう。

以下は、『ダヴィンチ・コード』、『アイ・ロボット』を書いたアキヴァ・ゴールズマンの言葉だ。

あまりよくないものしか書けない日が、何日も続くこともありますよ。そんなときも、書くしかないんです。うまく書けないのなら、ひどい文章でも、書かないよりマシです。

(Karl 2012: p. 192)

そして次が、『インビジブル』や『エアフォース・ワン』を書いた、アンドリュー・W・マーロウの言葉。

真っ白なページは怖いものだが、酷い文章を書いてもいいんだと悟ってからは、恐怖が消えたね。何故なら酷い文章は良い文章への入り口だから。そう考えると、書けないときに“壁”なんてないんだよ。あるのは、“恥”くらいのものかな。書けないと言っても、何か書けるはずだから。キーを打って、ペンを握って言葉を書くことができなくなるわけじゃない。ただ、酷いとわかっているから書きたくないだけさ。

(Karl 2012: p. 192)

特に、アンドリュー・W・マーロウの言葉がお気に入りだね。

自分の状態について「書けない」なんて、大げさな言葉を使ってはいるけれど、本当のところ、「これから書こうとしている部分が、あんまりいい感じにできそうにないから、億劫だ」ってだけなんだ。

渋々書いた文章は、お世辞にも会心の出来とは言えないかもしれない。けど、やれば終わる。後から直せばいいのだ。原稿というのは、書かないと終わらない。そして、書いてない原稿を直すことはできない。

彼の言葉を思い出すと、「あんなすごい物語を書いたのに、あの人も人間なんだな」と、少し気が楽になる(『インビジブル』、素晴らしいよ!)。

売れっ子でも、気分が乗らない日はある。そう思えば、気分もいくらかマシになるってものだ。むしろ、シンパシーを感じられる。

偉大な作家も、情けない文句を吐きながら、渋々書く日はあるのだ。だから、あなたもそうしよう。ぼくもそうする。