1-1.構成がやってくる! ヤァ! ヤァ! ヤァ!

「キャラもアイデアもあるのに、長編小説が書けなくなってしまう」 現象の正体 BASICステップ

ようこそ、構成の世界へ! あなたは長編小説を完成させようとしていて、ここにはその手段がある。話が早いね!

物語の構成を学ぶ利点はざっくり言うと、「長編を完成させられるようになる」、「読者の関心を維持しやすくなる」、「執筆速度がアップする」、「日々の生産量が安定する」、「楽しく自由に執筆できるようになる」、「きちんとした根拠を以て執筆・推敲できるようになる」こんな感じ。

このBASICステップでは、構成の基礎となるツールや、必須となる概念について紹介する。チャプター1ではまず、構成の必要性や、「構成」って言葉に対する誤解の話をしていくよ。

「早く構成のメインエンジンのツールについて知りたい!」って人は、こっちからスタートしよう。

「なんとなく書く」をやめて、準備を整えてからを書くスタイルを身に着ける

原稿に向かう前に、誰でも準備をするよね? キャラについてよく考えて、作中で起こる出来事を考える。思い出すたびに自分で泣いてしまいそうになるシーンもある。キャラの履歴書を作って、作品のあらすじを書いて、プロットカードも書いた。そして執筆を始める。

あなたにはまず、この状況が「無準備も同然の、行き当たりばったりの執筆のスタート」であることに気づいてほしい。

少なくともぼくらのような「もともと長編が完成させられない側」の書き手の場合、上に挙げたような準備ではあまりにも頼りない。もし、毒蛇の群れと戦うために渡された武器が、先割れスプーンだったら? そんな準備じゃ、気休めにしかならないだろ? 

あなたは「創作には生みの苦しみが必要で、書くことは大変なことで、そのためには辛いことも我慢しないといけない。書くってそういうことだから」って思っているかもしれない。

毎朝9時から17時まで働いて(身に覚えがあるけれど、これで済めばかなりマシな方だというのがまた嫌なところだ)、残った時間で執筆する。1時間に400字しか書けなくても毎晩遅くまで書く。合わない上司に理不尽なことを言われて死にたい日も、それを引きずって休日の楽しみがすべて台無しになっても、原稿に向かう。365日書き続け、苦しい思いをしても継続する。それを半年年積み上げた後に途中で書けなくなっても、まだ書き続ける。自身が多作でないことも、長編が得意でないことも受け入れ、それでも前に進もうとする。そして明日もちゃんと会社に行く。

これは本当にすごいことで、貴ばれるべきことだと思う(働きながら書き続けることほど、尊敬されるべき事柄はない)。

けれど、それが本当に必要な辛さかといえばNOだ。確かに、創作は苦しいときがある。書くっていうのは大変なことだ。産みの苦しみは、避けようがなく存在する。多くの人が思っているように、これはマジだ。だけど、創作のプロセスすべてがそうなわけじゃない。

すべてをひとまとめに「創作とは完全な神秘であり、学ぶことができず、苦しいものである」としてしまうのは、ちょっと乱暴すぎる。それでは学びの機会を失い、創作を対処不能の、正体不明のモンスターにしてしまう。

ぼくらがすべきは、学べるものを学び、このモンスターの正体を明らかにすることだ。

1時間に2000字3000字と書くことは可能だし、それだけ書ければ、平日の2~3時間で4000字は堅い。休日は遊びたいから半日で1万字だけ書いて、友達と遊んだり、新しいゲームをやろう。4000字×5日、1万字×2、1週間で4万字の計算だ。3週間で12万字だし、別に、日曜日を丸っとお休みにしてもいい。その場合でも、1か月あれば12万字になる。下準備や推敲もしなきゃいけないから、年12冊とは行かないけどね。

1時間当たりの執筆量をそんな風に安定させられない、執筆が途中で止まったらそんなの絵に描いた餅じゃないか、だって自分は「長編を書けない側」の書き手なんだから……。と、思っているかもだけど、そういうのは忘れてOK。然るべき知識と手法を身につければできるようになるから、今の段階でどれだけ書けなくても関係ないよ。

然るべき知識と手法を身に着ける。楽しく沢山書き、沢山読み、沢山遊んで、気分よく眠る。その中で新人賞をもらったり、書籍化のオファーがこれば最高だ(なんてったって、あのF上司の顔を二度と拝まなくて済む)。

このBASICステップでは「物語を完成させるために絶対に必要な要素」について説明していくよ。

ここで紹介する手法はぼくのオリジナルでもなんでもなくて、劇脚本の手法をハリウッド映画界が理論化した、体系化されたやり方だ。Wikipediaにも載ってるよ。普遍的で王道、由緒正しい構成の手法だから、安心して取り組んでね。

「構成の勉強は学校の勉強のように、やったらやっただけできるようになる」。創作を長く続けている人ほど、これは魅力的に思えるんじゃないかな? つぎ込んだ時間は確実に経験値になり、センスや才能っていう曖昧なもの抜きに、やればできるようになる。

創作は確かに曖昧な部分も多い。けれど、曖昧でない部分も確かに存在するんだ。それは誰にでも学べるし、誰にでもできるようになる。うれしいね!

「キャラもアイデアもあるのに、長編小説が書けなくなってしまう」現象の正体

長編を完成させ、生産スピードをアップさせ、生産量を安定させる。長編を完成させるのはまだわかるけれど、どうして生産性まで改善されるのか? なぜ物語の構成方法を身に着けるだけで? この点について話してかないとね。

これは、「キャラもアイデアもあるのに、長編が書けなくなってしまう理由」に関係している。そもそもどうして、キャラもアイデアもあるはずなのに、途中で書けなくなってしまうのだろう?

仕事中に閃いた、もしくは読書を終えて降ってきた天啓をもとに、あなたは冒頭をノリノリで書き始めた。「いける、これはいける!」

しかし冒頭を書き終えると、急に筆の進みが遅くなった。青息吐息で書き進めるもドンドン書けなくなって、最後は原稿を「未完成」フォルダに入れるか、「連載停止中」のお知らせをどのように出せばいいか考え始める。

この時あなたの中で、何が起こっているのだろうか?

結論から言ってしまうと、書けないという現象の正体は「次に何を書けばいいか、長期間思いつかないから」だ。

あなたが自分の物語の1シーンを文章の形で出力する際、そのシーンは2つに分類できる。一つは、「あらかじめあなたの頭の中にあった、めちゃんこ最高なシーン」。もう一つは「必要に応じて考えたシーン」だ。

前者を書くのは、そこまで難しくないだろう。めちゃ最高なシーンを、超楽しく書けばいい。印象的なオープニングを思いついた後、執筆がマッハなのはこのパターンだね。問題は後者だ。

予め思いついていた冒頭を書き終えて、次のシーンに取り掛かる。「うーん、次は何を書こうか? そうだ、○○のシーンを書こう」。これを繰り返していくうちに、いつか問題にぶち当たる。「うーん、次は何を書こうか……」。そう、何を書こうか、思いつかないんだ。

ここからは2ルートに分岐する。

一つ目が、完全に身動きが取れなくなってしまうこと。これが1時間続き、1日続き、3日続く。1週間なり、1か月になるころには「書けない作品より、書ける作品だ」と自分を納得させる材料を探す方が、生産的に思えてくる。

これは、「自分で『これだ!』と確信を持った内容しか書く気になれない」というタイプの書き手に多い。ぼくはこっちの比率が高いタイプだった。

二つ目が、無理やりにでも書き続けた結果、「コレジャナイ感」に耐えられなくなって、書けなくなること。辛い辛いと思いながらでも、とにかく文章を積み上げるアプローチができるのがこのタイプの人だ(相談を受けてきた傾向として、「書けはするけど読者が離れる」というタイプの人もあてはまる。読者が離れた結果、書く気がどんどん失われてしまうのだ)。

書くのが苦しいシーンの場合、書きながら考えているそのシーンと、物語の関連が薄いことが多い。それは、書き手自身が迷子になっているせいで起こる。最初の読者である自分自身と、二番目以降の読者。両方をこの迷子に付き合わせていては、楽しい結果は期待できない。

現象は違うけれど、どちらも「次に何を書けばいいかわからない」という、小さな躓きの長期化なんだ。

タイピング練習をしても、あなたの生産速度が向上しない理由

執筆速度も生産性の安定も、結局ここに起因する。あなたの純粋なタイピング速度はどのくらいだろうか? そしてそれは、あなたの1時間当たりの執筆量よりもずっと多いはずだ。

この差を生み出しているものは何か、ちょっと考えてみてほしい。そして質問。「あなたが机に向かっているとき、タイピングしていない時間はどのくらいありますか? それは、『どこに何を書くか』を考えている時間ではないですか?」。

机に向かっているのに考えている時間というのは、あなたが思っているよりずっと長い。単純計算、あなたが1時間で1000字しか書けないとして、そのうち30分が考える時間だったなら、そもそも1時間に2000字は書けるポテンシャルはあるのだ。

そしてこの「机に向かっているのにタイピングしていない時間」は、タイピング速度を上げても全く減らない(そりゃそうだ。だってタイピングしてない。ゼロをどれだけ掛け算してもゼロだ)。

例えばあなたが、大学の創作コースである先生に課題を出されたとする。「今からこのアニメを1クール、丸っと文章に起こしてください。ただし、先生は80%くらい録画し忘れたので、足りない分は皆さんで考えて書いてください。提出は来月末です」。WTF! 適当言いやがって! これはキレていいだろう。

また別の先生の授業では、こういう課題が出た。「今からこのアニメを1クール、丸っと文章に起こしてください。ちゃんと全話録画してあるので、これをそのまま、文章に起こしてもらえればOKです。余裕があれば、文章にもこだわって、あなたの特色を出してくださいね。アドリブを入れてくれても構いません。提出は来月末です」。

これなら全然なんとかなりそうだし、アドリブOKって、むしろ色々楽しそうじゃないか?

どっちも最終的には、タイピングしなきゃいけない課題だ。だから勿論、タイピング速度は早いほどいい。けれど、この2つの労力の違いが、タイピングではなく「考えることの量」に起因するのはわかってもらえるんじゃないかな。

考えている時間を減らし、タイピングする時間を増やす。「次にどんな映像を文章にすればいいか」をわかっているだけで、生産性は大幅に向上するんだ(考えることと書くことを別々にやっても、かかる時間は同じでは? と思うかもだけれど、「考えながら書く」というのは非常に高度なマルチタスクだ)。

ここで、構成に話がつながる。「次に何を書くべきかわかっている状態」をシーンごとに連鎖させていけば、後は手を動かすだけで完成だ。次に何を書けばいいのかわからなくなるなら、事前に何を書けばいいのか、はっきりさせておけばいい。所謂、「プロットを書く」ってやつだね。完成も、生産量も、執筆速度も、どれもこれで解決する。時間が作れれば、作品の質だって自ずと上げられるよ。

ストップストップ、わかってるって。プロットなんて、今まで何度も書いてきたよね。その上で、長編を何度もポシャらせてる。

けど、それはやり方が悪かったせいだ。ここはきっぱり言わせてもらうけれど、ちゃんと構成すれば、長編は完成する。だって、「物語を完成させるために必要なものチェックリスト」を埋めてから書き始めるんだから。それが、「ちゃんとした構成」ってものだし、その効果はハリウッド映画産業が証明してくれている。

それでは、初めていこう。必要なものは、映画とポップコーン。それとあなたの、自身の物語への情熱だ!

「あなたにとって長編は何なのか」をはっきりさせる

あまり精神的な話は好きじゃないのだけれど、これだけはハッキリさせておこう。あなたにとっての長編小説は、どんな立ち位置だろうか?

今の仕事を辞めるための手段かもしれないし、作家になることそのものが夢なのかもしれない。有名な作家と対談することかもしれないし、芥川賞をもらうことかもしれない。もしかすると、呪いのように自分を縛ってきた、長編小説という怪物から解放されるためかもしれない。ひょっとして今まさに、「更新停止の告知に使う理由」を探している最中で、それを何とかしたいのかも。

ぶっちゃけ、どの動機を持っていてもいい。そこに貴賎があるわけじゃないしさ。でも、自分自身で動機をはっきり意識しておくことは、何かを学ぶ上でとても重要だ。何かを得たい、何かを避けたい。その動機が高いモチベーションを生む。モチベーションで書く必要はないのだけれど、モチベーションで学ぶ姿勢が変わるからね。

然るべき考え方と手順を学び、それを実行する。特別なことをしなくても、長編はこれで書けるようになるんだ。だからこそ、ガソリンが大事になる。どんな手を使っても、あなたは自分の物語と向き合い、自身の手で十万字を超える原稿を書くことになる。その動力は、あなた自身が自前で用意するしかないんだ。

物語を「ちゃんと構成する」方法

「ちゃんと構成する方法」っていうのは、完成させられる方法っていうこと。「長編小説完成させるために理論上、絶対に必要になる」って要素は、確かに存在するんだ。

ぼくも元々、長編が全く書けない側の人間だった。だから、色々試したよ。けれど、全然書けずに、いつの間にか10年経ってしまっていた。

長編が書けずに10年、色々なことがあって、「小説に専念したい」と学校に行かなくなり、両親と喧嘩して家がめちゃくちゃになった。大切な友達も失くした。

なんとか卒業したけれど、何一つ得られないまま大学に入って、周囲に片っ端から、創作関連の喧嘩を売り続けた。創作論を話されるたびに腹を立て、言い返し、煙たがられた。楽しそうに創作論を話す人が許せなかったし、面白くもない作品に「挿絵を描いてもらった!」と喜んでいる同級生はほんと、理解不能だった。

で、長編を一本も完成させることなく大学を卒業して、就職した。毎日吐きそうになりながら仕事に行き、要領が悪くて怒られ、上司の指示が食い違って怒られ、「もっと前に死んでおけばよかった」と思いながら寝ていた。現実はとっても即物的で、死にたい気分でも朝は来きた。そんな中でも友達と遊び、なんだかんだ死なななかった。

そんな状況で書き続けても、一向にぼくの長編は完成しなかった。

もともとぼくは創作に手法を持ち込むのが好きになれなくて、「好きに書いてこそ良い物ができる」と考えていた。けどまあ、会社へ行き続けるのも限界で、プッツン来てしまったんだよね。

「あと40年、長編が書けないまま、毎日吐きそうな気分で仕事に行って、一刻も早く帰りたいと思いながら職場で過ごすのか?」って精神的に追い詰められて、とうとう構成の手法を身に着けるしかなくなってしまった。ケツに火が浮いてしまった……、というより、とっくに火だるまになっていたことに気づいたんだ。

それからぼくはなりふり構わず、体系化された構成の手法を、階段を上るように一歩づつ学んでいった。然るべき知識を学び、手順を身に着けていった。そして机に向かってひたすら手を動かした。

本当に驚いたんだけど、それで原稿は完成してしまった。

その時に書いていたのはゲームのシナリオだったんだけれど(大学の後輩にノベルゲーム好きがいて、彼の入れ知恵だ)、20万字近いその原稿を、メーカーに送り付けた。幸いにもその出来はすこぶる好評で、そのままシナリオライターとしての職についたってわけ。

今はそこのメーカーにはいないんだけれど、フリーでお仕事を貰えるようにもなって、シナリオライターとしての実績解除は今も進んでいるよ。

そしてこの時に使った方法が、ハリウッド脚本の構成手法である『三幕構成』なんだ。

「構成」が長編を完成させるマスターキーになる

今の段階で知っておいてほしいのは、「然るべき知識を手順を身につければ、長編は誰にでも書けるようになる」ということ。細かいことは追々話していくから、今はこれだけ覚えてもらえたらOKだ。

ぼくらにはハリウッド映画脚本業界という、大いなる先人の知恵がついてる。それを活用させてもらおう。限りある時間を、よりキャラのことを知り、より魅力的な文章を書くことに費やそうよ。連立方程式を一人で開発するのは凄いことだけれど、教科書を読めば解き方は載ってるんだ。これが今から構成を学ぶぼくらにとっての、アドバンテージなんだからね。

ぼくがあなたに求めることは、とってもシンプルだ。「実行する」ってこと。これだけ(後は、サンプルの映画を観る時、お菓子とジュースを用意して楽しんでほしいってこと!)。

読んだ内容に対して、「へぇ~、なるほど」だけでは、何も身につかない。知識を学んで、手順通りに実行してこそ、実際の執筆に影響を与えられるんだ。長編を完成させるという目標に向かって小分けにされたステップを、一つづつ実行していってほしい。

長編を書くのは大変だ。これを簡単なんて言わない。けれど長編を構成することは、そこまで難しいことじゃない。ステップ・バイ・ステップ、然るべき手順を一つずつ踏んでいくことで、ぼくらのようなタイプでも長編は書けるようになる。大丈夫だ。

さあ、楽しくやろう!

次回予告 構成への誤解

まずは次回、「物語を構成すること」への大きな誤解を解いておこう。

「構成は物語を制限するのか?」

「三幕構成はテンプレートなのか?」

「構成する派VS構成しない派の構図は成立しない?」

「三幕構成はWEB小説のような長期連載には使えない?」

「物語を構成する」というと、いかにも創作を制限したり、型に嵌めて似たような物語を量産するようなイメージを受けがちだよね。けれど、それは大きな誤解だ。

まずはこの誤解を解いて、気持ちよく学んでいくための土壌を作ろう。

それでは、また次回!