中盤、第二幕は長い。ほんとに長い。尺にして、第一幕や第二幕の倍、全体のおよそ50%を占める部分だ。
いきなりこんな話を始めたわけではなくて、これは、パラダイムを発展させていく上で必要な、『ミッドポイント』という要素について語るための導入だ。後述するが、ミッドポイントと、それに付随する要素を使いこなすことが、長編を書くマスターキーとなる。
長い長い中盤、「何を書けばいいんだ!?」とならないために、自分の物語のどの部分を明確にしておけばいいのか、把握しておこう。
長い長い第二幕で、迷子にならないために
実際問題、第二幕は長い。他の幕の倍以上の長さがあって、次に目指す場所、プロットポイントⅡまでは遠い。プロットポイントⅡまで何をすればいいか、どんなシーンを見せればいいか。目的地が遠すぎて、霞んで見えない。
目的地を見失ったとき、人は目玉焼きの話を始める。目玉焼きの話で原稿用紙を積み上げれば、プロットポイントに到達できると願ってだ。結果は、知っての通りである。
長い長い第二幕で書くことを見失わないためには、始点と終点に加えて、もう一つの中継点を見つける必要がある。
BASICで、「第一幕は、OPをインサイティング・インシデントにしたり、OPが終わってからすぐ、インサイティング・インシデントに入って、プロットポイントⅠまで物語を動かそう」と学んだよね。やることと目指す地点がわかって、ずいぶんと見通しが立てやすくなったはずだ。
同じように、第二幕でも、中継点になる、パラダイム上の点について扱う。
物語というのは、ある中心的な出来事があって、その周りに関連したシーンを配置する形で作られている。
中心的な出来事の例を挙げよう。
『タイタニック』……氷山との衝突
『オデッセイ』……宇宙ジャガイモ畑の壊滅
『エイリアン2』……ゼノモーフ(エイリアン)との遭遇
一番知名度があってわかりやすいのは、『タイタニック』かな。
レオナルド・ディカプリオの、あの、船が沈む映画。うろ覚えで構わないから、思い出してほしい。「『タイタニック』は、ええと、二人が出会って、船が沈む話だったよな……?」。OK、それで大丈夫だ。ミッドポイントの観点から、大正解といっていい。
タイタニックの物語って、物語全体を俯瞰して見たときって、氷山にぶつかるまでと、ぶつかった後に分かれない?二人が出会って、氷山にぶつかるまでと、ぶつかった後。こんな風に。
こんな風に、物語を真ん中で半分に割っている出来事がある。この出来事を中心にして、そこにぶら下げるような形でシーンが配置されているんだ。
ミッドポイントは第二幕の中継点
プロットポイントⅠを終えたら、次はプロットポイントⅡを目指す。けれどその過程で、ミッドポイントを経由する。
これがあるとプロットポイントⅠからでも、次の休憩場所がよく見える。
ローズがジャックと出会って、二人の関係が始まるのがプロットポイントⅠだ。しかしそのあと、「あとは船が沈むまで、好きによろしく」と言われても、困ってしまうよね。これでは迷子になってしまう。
ミッドポイントが見えていれば、そんなことはない。ジャックとローズが出会ったら、それから船が氷山にぶつかるまでに読者に見せたいシーンを、第二幕の前半に配置すればいい。
第二幕に書くシーンをいきなり全部、順番通りに並べるのは難しい。
けれど、「氷山にぶつかるまでに書いておきたいシーン」なら、数は半分になる。後半は後半で「氷山がぶつかってから書きたいシーン」をやるから、まずは思いっきり、第二幕の前半について考えられる。
第二幕前半の途中、物語が脱線しそうになったり、何をすればいいかわからなくなっても、ミッドポイントがハッキリしていれば大丈夫だ。ミッドポイントに向かうシーンを追加していけば、タイタニック号は沈み始める。船が沈めば、いずれプロットポイントⅡへたどり着く。
ミッドポイントが第二幕を繋ぎとめる
ミッドポイントは、物語の中心的出来事であり、物語をミッドポイント以前、以後に分割する。ミッドポイントを把握すると、向かうべき場所がわかるから、急に書くべきことがわからなくなったり、物語が横道に逸れるのをやること防ぐことができる。
例えば、ローズとジャックがどれだけお互いの仲を深めあっても、その障害として何が起ころうと、ミッドポイントにさえ戻ってこれれば、物語は破綻しない。氷山に衝突すれば、後は本来やりたかったプロットポイントⅡまで、進んでいくだけだ。タイタニック号は、もう沈み始めている。
『マトリックス』でもそうだ。現実世界でどんなことをしていても、例えばネオが他のクルーと戦闘訓練(ほかにも、仮想空間でトリニティと射撃訓練するとか、マウスとシュミレーションの中で「赤いドレスの女」を鑑賞するとか)をしていたって、モーフィアスがネオを予言者に会わせれば、物語は本筋に引き戻される。
ネオは救世主かどうか、予言者に見せることで、白黒つくのだ。ネオが予言者に会うことになる前後、マトリックスへの侵入によって、物語は半分に分かれている。
ネオが予言者の言葉を思い出し、自分を信じることを選択すること。それがプロットポイントⅡであり、それを引き起こしているのは、「次にマトリックスに侵入するとき」=ネオを預言者に見せるためのマトリックスへの侵入だ。裏切者のサイファーはその侵入の際、モーフィアスをエージェントに引き渡すのだから。
『タイタニック』は特に顕著だ。タイタニック号が氷山にぶつかるという出来事を中心にして、全体がまとまりを持っている。何をやっていても、とにかくミッドポイントにさえ到達すれば、物語を後半に突入させることができるのだ。
こう考えると、自由を得た気にならないかな?
ミッドポイントによって、物語の重要地点を確定させておくからこそ、それまでは好きなことを思いっきりやれるんだ。そのシーンを後からカットすることになっても、それはうれしい悲鳴だと思っておこう。まずは沢山書くことが、楽しさの秘訣だ。沢山書いて、削って、如何にも物書きって感じだろ?
新しいシーンを思い付いても、不安になることはない。ミッドポイントにさえ戻ってこれれば、物語は自然とプロットポイントⅡへ向かって動き出す。破綻せず、方向を見失うこともない。
ミッドポイントの誤った捉え方と正しい捉え方
ミッドポイントについて知ることは、ある種の奥義でもある。パラダイムを発展させるのに最も必要な物だ。
ちなみに、ミッドポイントについて単に「物語の中盤で危険度がいきなりアップする」もの、と理解している人は危ない。それでは、ミッドポイントの本来の意味を見失う。
シド・フィールドはミッドポイントを、
ミッドポイントは、脚本の60ページあたりで起こる事件、出来事、エピソードであり、第二幕を前半と後半に分けながらも、両者で起こるアクションの橋渡しをするプロットポイントなのである
(Field 2005: p. 193)
と定義している。
脚本の60ページ目と言うのは、ちょうど半分の地点だ(向こうの映画脚本は1分1ページが目安であり、120分映画の場合の半分にあたる)。とりあえず理解のために、雑なイメージで捉えよう。ミッドポイントは、物語の真ん中にあるプロットポイントの一種だ。
パラダイムの真ん中に点が打ってある。たったそれだけものだが、この点が「どこに、何を書くべきか」を具体化する、最大の鍵だ。ただし、ミッドポイントは打つだけではまだ、使い物にならない。この先がある。
シド・フィールドの定義に戻ってみよう。
「ミッドポイントは、脚本の60ページあたりで起こる事件、出来事、エピソードであり、第二幕を前半と後半に分けながらも、両者で起こるアクションの橋渡しをするプロットポイントなのである」だ。
後半部分に注目してほしい。ミッドポイントは「第二幕を前半と後半に分ける」のだ。
つまり、ミッドポイントを起点にして、第二幕の内部で物語の内容が切り替わる。第二幕の内容を切り替え、前後に分割しているのがミッドポイントであり、その連結器となっているのだ。
第二幕は、ミッドポイントにたどり着くまでと、ミッドポイントにたどり着いてからで、2つに分けられる。それぞれ、『第二幕前半』と『第二幕後半』だ。
これだけではまだピンと来ないかもしれないから、例を挙げてみよう。これがまず、『マトリックス』の、基本のパラダイムだ。
ここにミッドポイントを置いてみよう。
『マトリックス』のミッドポイントは、ネオが預言者に会いに、マトリックスに侵入するシーンだ。ざっくり、「ネオが預言者に会う」でもいい。
予言者と対面し、ネオは自分が本当に機械との戦争を終わらせる救世主なのか、確認される。手を見られ、口を開けさせられ、「あー」。
「ここで私が、『とても面白いわ、だけど……』、するとあなたが……」
『マトリックス』より
「だけど、なに?」
「と尋ねる。でもあなたは既にその答えを知ってる」
「『俺は違う』」
「残念ながらね」
映画好きから語らせてもらうと、ここは何度見ても素晴らしい。ネオが救世主がどうか、預言者は何も断言していないのがわかるだろうか?
予言者は、ネオに聞いているだけだ。「あなたはその答えを知ってるはずよ」とは、「あなたは、自分が救世主だと思う?」と、聞いているだけなんだ。そしてネオは言った。「『俺は違う』」と、疑問気に。
ネオはここで、自分は救世主ではないと選択した。だから予言者は、「残念ながらね」と、ネオにその通りの言葉を返した。ネオがそう選択したから、予言者はそう言ったのである。「あなたがそう思うなら、そうなんでしょうね。残念だけれど」というシーンなのだ。
そしてネオは、自嘲とも、騙されたとも思えるような声で言う。「モーフィアスに、彼にそう言われて、信じ込む寸前で……」と。
構成の観点に、話を戻すよ。
ネオは予言者と話をするまで、自分が救世主だと、信じ込む寸前だった。そのきっかけとなったのが、モーフィアスがネオを予言者に会せると言ったシーンだ。ここが、第二幕の中心的な出来事となる。
第二幕が始まってからずっと、ネオは周囲に「お前は救世主だ」と言われ、実際、力をつけていった。けれど、それはあくまで、周囲に救世主だと言われたから、そう振舞っているに過ぎない。
自分の中に、確固たる確信などない。言われるがまま、ヒーローをやっているだけだ。マトリックスが仮想の世界であるという真実を知り、力をつけた。だけど、まだそれだけである。気乗りしないヒーローが真実の一端を知っても、まだ実感は湧かない。「自分は救世主なのか?」疑問符を取り払うことはできない。
予言者と話をして以降、「自分は救世主ではない」と選択したネオは、それを仲間に言い出すこともできなかった。なのに、モーフィアスは自分の身代わりにエージェントに捕まる。
エージェントに捕まれば、人類の本拠地へのアクセスコードを吐かされることはわかっている。それを防ぐために、現実世界で仲間に殺されるであろうことも。
モーフィアスは、死ぬ覚悟でエージェントの前に姿を現し、ネオを逃がした。ネオは言う。「違う!違うモーフィアス!違うんだ!」。
自分はヒーローではない。けれど、周りはそれを信じてしまっている。自分たちを導いてくれた指導者が、命まで投げ出した。けれど、自分は本当は違うのだ。自分が言い出せなかったばっかりに。
これに、ミッドポイントの、「第二幕を前半と後半に分ける」という特性を付与してみよう。そうすると、こういうパラダイムになる。
ミッドポイントを経て、物語の内容が、変化しているのがわかるだろうか?
プロットポイントⅠからミッドポイントまでは、「他人の言葉で自分を信じるヒーローの姿」が描かれており、ミッドポイントからプロットポイントⅡは、「自分で自分を信じることができないヒーローの姿」が描かれている。
それらはどちらも、「気乗りしないヒーロー」を描くという第二幕の内容に合致している。ミッドポイントによって分割することで、「気のしないヒーロー」のどんな姿を、第二幕のどのあたりに振り分けるか、判断する指標ができたわけだ。
こういう形で、ミッドポイントは、第二幕を、前半と後半のまとまりに分ける。前後に分けたあと、その2つが、何についてのまとまりなのか知るのが大切なのだ。
何についてのまとまりなのかわかれば、「それを補填するシーンを思いつけばいい」とわかる。『マトリックス』の場合、赤い薬を選んで以降からマトリックスに再侵入するまでの空間に書いておきたいシーンと、「自分の言葉で他人を信じるヒーローの姿」に関するシーンを書けばいいのだ。
これを見つけることが、ミッドポイントの真の効能だ。第二幕を分割することによって、サブコンテクストが判明する。そうすると、何を書けばいいのか一歩具体的にわかるようになるのだ。
単に「危険度が一段階アップする」という理解ではいけない理由が、ここにある。
第二幕全体を分割してサブコンテクストを割り出すのが目的であって、物語を創造神の力で荒らすのが目的ではない。
危険度を上げたところで、小説の完結にはどれほども寄与してくれない。むしろ、ミッドポイントを見誤る可能性がある。
『マトリックス』の危険度が一段階アップする場所と言われて、「モーフィアスがネオを予言者に会せると言う」シーンだと、誰が判断できる?
確かに、ネオが救世主か否か、気乗りしないヒーローとしての物語で見た場合、「自分がヒーローではない」と突きつけられるのは、危険度が一段階アップしている。
けれど、単に「危険度がアップする」とだけミッドポイントを捉えていて、そこに気づけるか? という話だ。下手をすると、「サイファーが電話をごみ箱に入れるシーン」とか言い始めかねない。そのミッドポイントで、どんなサブコンテクストができるんだ?。
サブコンテクストを明らかにすることで始めて、ミッドポイントはあなたが長編を完成させる、強力な助けとなってくれる。
『タイタニック』はミッドポイントの好例
『タイタニック』のミッドポイントはわかりやすい。そう、氷山との衝突だ!
沈没船の調査から語られることになった物語は、ローズとジャックが出会うところをプロットポイントⅠとして、第二幕に入る。とりあえずこの作品が、二人の関係をタイタニックという船を通して描いたラブストーリーなことについて、異論はないだろう(ちなみに、プロットポイントⅠに氷山との衝突を持ってくると、この物語はパニック映画になる。第二幕、物語の本筋が、沈む船からの脱出になるからだ)。
二人が出会うことによって、二人の関係の物語が始まる。お互いを理解しあうまでの距離であったり、ジャックとは身分の違う、上流階級の人たちとの差であったり、ローズの婚約者であったり、そういう壁を乗り越えながら、二人は、仲を深めていく。広い意味で、第二幕前半には、二人が出会い、仲を深めていくまでの障害を乗り越える様子が描かれている。
そしてミッドポイントに到達した時、物語は別のものへと変わる。まず、二人は愛を誓い合った。そして、船を降りたら一緒になることを決める。息苦しさに押しつぶされそうになっていたお嬢様、ローズと、お金はなくとも自由を持っているジャック、この二人の物語は一区切りとなる。二人の仲は、最高潮に達した。
この先二人に襲い来るのが、災害と形の脅威だ。二人の仲を裂こうとするのは、階級や、横柄な婚約者だけではない。氷山に船体を擦ったタイタニック号は、少しづつ浸水を始める。
映画を見ていて、薄々感じた人も多いかもしれない。「何か、雲行きが変わったぞ」と。
その通りだ。この先しばらく、ろくなことが起こらない。二人の関係を深めていくパートは、もう終わったのだ。
今度はありとあらゆる手段で、二人の仲を裂いてくる。愛を誓い合った二人が、本当に何があっても離れないのか、確認するパートに入った。
ここでシド・フィールドの、プロットポイントの定義を思い出してほしい。「ストーリーのアクションを加速させ、別の方向へと行き先を変えさせるような事件、エピソード」(Field 2005: p.167 )だ。
プロットポイントⅠでは、二人の物語が始まった。プロットポイントⅡでは、ローズがジャックに再び会いに、沈みゆく船に戻る。生き残るローズ、生き残れないジャックという形で完全に引き裂かれた二人が、プロットポイントⅡで再び絆を取り戻し、エンディングのシーンへ向かっていく。
ここで戻ったからこそ、ローズとジャックの仲が、何者によっても引き裂けないことが証明される。ローズはジャックと別れ、一人、避難ボートに乗せられた。けれど、ローズはそれを思い直し、船に戻る。だって、ジャックと離れたくないのだ!
一度完全に分かれた二人が、お互いの気持ちを確かめ合う。何があっても離れないことは、これで分かった。この先の物語は、「二人が生き残れるかどうか」にシフトしていく。プロットポイントⅡを契機に、シーンの内容が変化したのだ。
ジャックとの出会いと、沈みゆく船に戻るローズ。プロットポイントⅠからプロットポイントⅡの間に、もう一つ、大きなプロットポイントがあるのが、わかるだろうか?
それがミッドポイントなんだ。二人の仲にひびを入れる遠因であり、高い目て見たとき、氷山に衝突したことこそが、プロットポイントⅡを引き起こしている。
プロットポイントⅠで、ローズとジャックの仲は、どんどん深くなっていく。しかし仲良くなるだけでは、プロットポイントⅡに到達できない。
プロットポイントⅡへ移行するには、船が氷山にぶつかる必要がある。そして氷山に衝突した事実を伝えに戻るとき、執事はジャックのポケットに宝石を入れる。盗人の濡れ衣を着せられるのだ。タイタニック号そのものと、二人の仲という両方から、状況が悪くなりはじめた。
重要なのは、ミッドポイントが、プロットポイントⅡを引き起こしていることだ。ミッドポイントがあったから、プロットポイントⅡが起こっている。
「氷山がぶつかった。だから、船が沈み始める。けどジャックと一緒に生き伸びたいから、そんな船に戻る」。これがミッドポイントとプロットポイントⅡなのだ。宝石を盗んだ濡れ衣を着せられ、ローズの不信を買っただけでは、船は沈まない。
ミッドポイントとプロットポイントⅡは、関連を持つ。ジャックが盗人かどうか、そんなシーンを延々とやったところで、その程度では、タイタニック号はびくともしないんだ 。
氷山にぶつかったから、タイタニック号は沈み始めたのだ。沈み始めたからこそ、ローズは船に戻る。そこがプロットポイントⅡなのだ。タイタニック号は、二人の仲にひびが入ったせいで沈んだわけではない。
それをやると、ジャックの不仲を沢山描いてからいきなり、ローズが救命ボートから降りるシーンを書く羽目になってしまう。シーンのつながりがめちゃくちゃになってしまうし、それには耐えられないだろう。
ミッドポイントは「製作者の都合で物語をいじくる」とは違う
もう一つ、思い出してほしい。パラダイムを作るとき時、基本の四要素を決める順番を、守るようにと言った。ここでもそうだ。
あなたはミッドポイントを決める前に、プロットポイントⅡを知っている。少なくとも、確定させたから、ここに来ているはずだ。プロットポイントⅠからプロットポイントⅡへ物語が進むために知っておくべき転換点が、ミッドポイントになる。スタートとゴールがわかっていないと、中継点はわからない。
ここを誤解すると、「構成を使うなんて、物語を操り人形にする行為だ!」と憤ることになってしまう。安心してほしい。何度も言ったように構成は創作を操り人形にしないし、創造神の力で彼らの物語台無しにもしない。
例えば、あなたが『タイタニック』を書きたいとしよう。
この場合においてプロットポイントⅠ、Ⅱを決めるということは、書きたい物語が「出会った二人が、再び絆を取り戻す」ものだと、具体的な形で知っておくということだ。
この物語を形にするために次に必要なものは、プロットポイントⅠからプロットポイントⅡへつなぐ、中継点である。それはつまり、「船の上で出会ったジャックとローズの関係の始まり」のシーンから、「ジャックのために、沈みゆく船に命の危険を顧みず戻るローズ」のシーンへ繋ぐために、どんなシーンが必要か、考えるということ。
船が沈んでいるシーンは、元々あなたがプロットッポイントⅡを考えるにあたり、知っていたシーンなんだ。
ミッドポイントはそこに至る過程を明確化したものであって、あなたが「危険度が一つアップするんでしょ?」と、二人の物語に、いたずらに手を加えたわけではない(それはキャラクターや物語への冒涜だと、ぼくは思う)。あなたはあなたは単に、第二幕を前後に分割するシーンを見つけ出したに過ぎず、いわば「物語の世界にそもそもあったものを掘り出した」だけだ。
物語は、プロットポイントⅠ、ミッドポイント、プロットポイントⅡという流れで、直線的に進む。だが、書く時は違う。プロットポイントⅠ、プロットポイントⅡ、ミッドポイントという順で、自分が書きたいシーンについて知っていく。
「二人が出会っていい具合になったから、創造神のパワーによって無理やりぶち壊して、再びくっつかせる」のではない。
二人が出会い、船が沈むことを、あなたは事前に知っている。ミッドポイントは「ミッドポイントを起こせ」というものではなく、「あなたの物語のプロットポイントⅠとⅡの間にある、ミッドポイントにあたる出来事は何ですか?」と、聞いているに過ぎないんだ。
プロットポイントとミッドポイントの注意点
ミッドポイントを扱う上で少し、注意点がある。それは、プロットポイントⅠ・Ⅱとミッドポイントを、混同しないようにすることだ。
例えば、『タイタニック』のミッドポイントとプロットポイントⅡを混同したとしたら、どうなるだろうか?
エンディングまでどれほどの尺も残っていないし、そもそも、「氷山にぶつかるのがプロットポイントⅡだとしたら、ミッドポイントには何が入るんだ?」と、混乱することになってしまう。
反対に、自分の物語のプロットポイントⅡのことを、ミッドポイントだと捉えてしまった場合はどうだろう?
物語全体が前倒しになるわけだから、そうなると、プロットポイントⅡのあと、書くことがなくなってしまう。下手をすると、プロットポイントⅡを終えてすぐ、エンディングに入るような打ち切り連載のような形になってしまう。
「ミッドポイントはこのシーンで合っているだろうか? プロットポイントⅡはこの場所で問題ないだろうか?第三幕に書くことはあるだろうか?」
こういう点に注意して、ミッドポイントとプロットポイント、どちらのラベルをそのシーンに貼るか、確認してみてほしい。
プロットポイントⅡの後、エンディングまで書くことがないなら、それは要注意だ。パラダイム上の点が、左にずれ込んでいる可能性がある。
ミッドポイントは重要だ。重要だからこそ、正しく概念を捉える必要がある。この調子で、具体性をどんどん上げていこう。
それでは、また次回!