ストーリー工学への偏見とタイムマシン

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タイムマシンに乗って、過去の自分に伝えておきたいことはあるだろうか? 僕はある。

ぼくが長編小説の書き方について学んだのは就職してからだった。最も時間があったはずの中学生、高校生、大学生はもう過ぎ去っていた。長編小説を完成させることついての誤解、ストーリー工学への偏見、取り返しのつかない過ち。

自分の歴史を正すため、ぼくはタイムマシンに乗りこんだ。わざとらしいスモークと、青白い閃光に包まれて。西暦2007年へ……。

「ハル? ええと、中学生の頃のハル?」

「うん。これはタイムマシン? あなたは未来のぼく?」

「そうです。今週はあるウェブサイトで時間旅行企画をやっていて、少年の日の過ちを正そうと、重い腰を上げました。あなたの……ひいては私の人生における軌道修正が間に合ううちに、タイムマシンの力を借りて、過去に戻ってきました。2025年、タイムマシンの実用化には程遠いですが、これは、私のVtuberとしての設定です」

「ぼくの未来は女キャラになるの? Vtuber?」

「未来のものです。気にしないで」

「つまり、ぼくは2025年も生きてるってこと?」

「幸運にも。……そんな嫌そうな顔をしないでください。確かに、あなたはこれから、創作に対する多くの誤解と偏見によって、大きな過ちを犯します。そのいくつかは、あなたと周囲の人を大きく傷つける、取り返しのつかないものです。しかし、あなた……つまり過去の私が歩むこれからを変えるために、私は今ここにいます」

「少しは今よりマシになるっていうこと?」

「大きくずっとずっと、今も、これからもね」

「……それで、ぼくの過ちっていうのは?」

「一言でいうなら、創作を変な方向に神聖視しすぎています。『物語の書き方を学ぶ』という行為に対する態度を間違えている、と言ってもいいですね。確認だけど、あなたは現状『物語の書き方を学ぶ』ことについて、どう考えてる?」

「創作は勉強できるものじゃないし、型に嵌める行為は創作の自由を奪う。自由こそ創作だし、勉強も、勉強して書くことを勧めて来るやつも敵だ」

「その通り、ぼくはこういうやつだった。創作の神秘のヴェールを解体してしまうような真似を、恐れていた。ちなみに、それで長編小説は書けてる? 完成させられたか、完成させられなかったかで答えて。あと、今の気持ちも」

「完成させられなかった。閉塞感で苦しくて辛い」

「だよね、身に覚えがある。解決方法は簡単。ただ単に、創作の勉強を、一回ちゃんとしてみればいいんだ。そうすれば、書けるようになる」

「嫌だ。そんな型に嵌めることをしたら、作品が面白くなくなる」

「本当に?」

「え?」

「だから、『本当に?』 そして、『なぜ?』。ここではいくつかの問に対する答えをあなたに求めようと思う。まず、『物語の書き方を勉強することと、面白さを損なうことの間に、因果関係が本当にあるのかどうか?』説明できる?」

「型に嵌った物語が面白いわけないじゃん」

「そうかもね。それは同意するよ。でも、その答えは、因果関係の有無を説明していない。わたしが聞いているのは、『物語の書き方を勉強することは、本当にあなたの作品の面白さを損なうのか? そうだというのなら、それはなぜか?』ということなんだ。

そもそも、なんで勉強することが型に嵌ることなの? そこからして怪しいよ。どんなゲームだって、手札は多い方が有利じゃないか。

それに、勉強によって創作の自由が阻害される、面白さが阻害されるというのも、根拠が見えない。不自由に感じたり、つまらなく感じたら、勉強した内容を使わなければいいだけだよね。自身の学習による変化を不可逆だと言うのはただの思い込みだし、変わることが変化なら、元に戻ることも変化だ。

最後に、君が『型』と呼ぶものの実態が不明だ。詳細も知らない、勉強したこともないのに、なんでその作用や効用を知ってるの? ここも論理的じゃない。

あたかも副作用を知っているような口ぶりだけど、それは本当に発生する副作用なの? そのメカニズムは? それをぼくに説明できないのなら、それは、知っているつもりなだけ。一番まずいやつだ。勉強が必要だったかどうかは、勉強した後にしかわからないんだよ。あなたの停滞は、あなた自身が引き起こしている。

これらに反論できる根拠をリトル・ハルは持ってない。ぼくにはわかる、保証するよ。リトル・ハル。だって、あなたはリトル・ハルだもの。君は『型に嵌った物語は面白くない』という話と、『勉強』という言葉を、イメージだけで結び付けている。単なる食わず嫌いだ」

「だから改宗しろと? あなたに頭を下げて、物語の書き方を勉強しろって?」

「『改宗』ね、実にこの頃のぼくらしい言葉選びだね。そしてやはり、ぼくがしかたった話と、根本的にずれている。ぼくは君の創作における思想や信仰の話がしたいわけじゃないんだ。その部分に興味はない。ぼくはいま、損得の話をしている。このままだと、シンプルに損だよ」

「損? ぼくは損得で小説を書いてない」

「創作を神聖視するリトル・ハルは、そう言うかもしれない。けど、得もなしに行動を継続できるほど、人間が強くないのも事実だよ。一度も完成しない、完成するかどうかもわからない小説を書き続けること、それを何年も続けることはできないと思うし、事実、ぼくはできなかった。

それに、損っていうともっと即物的だよ。シンプルに時間を無駄にする……というか、無為に時間が過ぎるから。楽しいことはいっぱいあり、やりたいことはいっぱいあり、やらなければならないことと、すべてが嫌になるような気持ちをやり過ごすことしかできない日々がいっぱいある。そんな中、何の成果も出ないまま、ただ書けないままで、『書く』という行為の優先度は、高くはならないんだ」

「……つまり?」

「放っておくとあなたは日に日に小説を書かなくなり、それを苦痛にも思わなくなる。そして、『小説家になりたかったな』と思いながら、高校に入り大学に入り、就職活動をして社会人になる。そして、吐きそうな気持ちで毎日働く。『小説家になりたかったな』と思いながら、ゲームして映画観て10年近く浪費する。シンプルに損だと思わない?」

「なのになんで、あなたはまだ生きているの?」

「ああ、思い出した、こういうガキだったね。それに対する返答はこうだ。小説を書く以外の娯楽が、それなりに多かったからだと思う。映画も動画も漫画もゲームも、無限にあるから。毎日吐きそうで泣きそうなまま会社に行っても、家に帰ってコンビニのご飯食べて、友達と遊んでゲームやって映画観てシコって寝れば、次の日、会社に行けちゃうんだよね。人間って、強くはないけど割と頑丈だから。大学は割と楽しかったし。で、気づいたら10年経ってた」

「……怖いな」

「ほんとね。別に、今すぐ何もかも変えろなんて言わない。けど、物語の書き方を学ぶことが、あなたの創作に害を与えないことは、知ってもらえたらと思う。すべてと言って差し支えないほど、プラスに働く。マイナスが起こったところで、捨てるだけだよ。

『創作』、『自由』、『勉強』、『型』、言葉のイメージだけで決めつけるのは早計だ。それらは相反するように見えるかもしれないけど、そう見えるだけだから。実態は、全部両立できる。

あなたは今、創作にまつわる俗説、言い伝えだけを根拠に、学ぶことを拒絶している。学ばない人は、学習の必要性に気づかないから、更に学ばなくなっていく。反対に学ぶ人は、学ぶことの必要性をより強く感じるから、更に学んでいく。富めるものはますます富み、持たざる者はさらに失う。今学ばないと、今後も学ばない。何も得られないまま、10年が過ぎる。『物語の書き方』を学ぶことへの態度を改めろと言ったのは、そういうことさ。

わかるかい? あなたが何も知らないまま、『小説の書き方』を学ぶことを拒絶するのは、あまりにも損失が大きいんだ。ぼくはぼくに、10年を失ってほしくない」

「……」

「OK、今日はこのくらいにしよう。これを言う自己満足のために、ここに来たんだ。そろそろ元の時代に戻らないと」

「また来る?」

「モチのロンです。まだ伝えたいことはたくさんあるんだ。タイムマシンの設定を元して……、ええとそれと、次にぼくに会う時まで、今日の記憶を思い出せないようにしなきゃな。過去に干渉しすぎて、これ以上ヒネたガキになられても敵わない。今日の内容は、潜在意識レベルで刷り込むに留めておこう」

「さあ、画面を見て」

「えーっと、『催眠アプリ』? なにこれ?」

「未来のものです。気にしないで。それでは、また会う日まで」

怪しげな音とピンク色の光を浴び、呆然とするリトル・ハル。それをよそに、私はタイムマシンを起動させた……。